学位論文
以下の学位論文のうち、博士論文は文学部2号館図書室に所蔵されています。閲覧を御希望の方は文学部2号館図書室にお申し込みください。修士論文、および卒業論文は、原則として当スラヴ語スラヴ文学研究室にて閲覧可能です。詳細はこちらにお問い合わせください。
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博士論文
修士論文
卒業論文
提出年度 | 氏名 | 論文題目 | 要旨 | 種別 |
---|---|---|---|---|
1991 | 金田一眞澄 | ロシア語における「歴史的現在」 | ||
1992 | 小倉千津子 | 『デヴゲニイの事績』―ギリシア語、ロシア語写本の比較研究によるアーキタイプ再建の試み | ||
1992 | 清水道子 | チェーホフの短編小説における創作方法―語り・視点・プロット | ||
1992 | 崔建永 | アナトーリイ・キム研究 | ||
1992 | 三谷惠子 | ロシア語における名詞句の構造と機能の研究―発話のなかの名詞句の"不定・定・照応" | ||
1993 | 大月晶子 | フェートの抒情詩に見る生・死・時間―『夕べの火』を中心に― | ||
1993 | 木村敦夫 | チェーホフ劇におけるコミュニケーションの問題 | ||
1993 | 斎藤則子 | ブィリーナにおける「鳥」―ポエチカ分析の試み | ||
1993 | 藤田智子 | ロシア文学におけるスカースの系譜 | ||
1994 | 三浦清美 | 14・15世紀ノヴゴロド・プスコフ地方における異端残滓と正教会 | ||
1995 | 岩本和久 | 脆弱な<<私>>の肖像―オレーシャの作品にみる自己愛と同一化 | ||
1995 | 裴大華 | アンドレイ・ベールイの『ペテルブルグ』における無意識的物語言説 | ||
1999 | 前田和泉 | マリーナ・ツヴェターエワの詩学―境界線を越える声― | 〇 | |
2000 | 斉藤毅 | O.マンデリシュターム『Tristia』論―「故国的なもの」と「異国的なもの」 | 〇 | |
2001 | 三好俊介 | エヴゲーニー・バラトゥインスキー―対話の詩学― | ||
2001 | 臼山利信 | 中等教育における英語以外の外国語教育に関する調査研究―ロシア語教育を中心として | 〇 | |
2002 | 熊野谷葉子 | 北ロシア農村のチャストゥーシカ―演劇性の観点からみた特徴づけと分類 | 〇 | |
2002 | 楯岡求美 | メイエルホリド演出におけるグロテスクの手法について | 〇 | |
2003 | 久野康彦 | 革命前のロシアの大衆小説―探偵小説、オカルト小説、女性小説 | 〇 | |
2004 | 渡邊克義 | ポーランド人の姓名―ポーランド固有名詞学序説 | 〇 | |
2005 | 寒河江光徳 | コンスタンチン・バリモントの前期作品における「抒情的『私』」の研究―間テクスト性という観点から― | 〇 | |
2005 | 金春和 | Horace in Eighteenth Century Russian Poetry(18世紀ロシア詩におけるホラティウス) | 〇 | |
2005 | 金子百合子 | ロシア語・日本語のアスペクト意味体系における開始性 | 〇 | |
2005 | 毛利公美 | 境界を見つめる目―ナボコフのロシア語作品をめぐって | 〇 | |
2005 | 鴻野わか菜 | アンドレイ・ベールイの『モスクワ』 | 〇 | |
2005 | 栗原成郎 | ロシア俚諺語法の研究 | 論文博士 | |
2006 | 大野斉子 | N.V.ゴーゴリの異本論―840年代から1910年代におけるゴーゴリ作品の受容の分析 | 〇 | |
2006 | 小椋彩 | 「書く人」の肖像−アレクセイ・レーミゾフの文字の王国 | 〇 | |
2006 | 小林銀河 | ドストエフスキーにおける«личность»と«индивидуальность»の用法 | 〇 | |
2006 | 中澤佳陽子 | フセヴォロド・イヴァーノフの『クレムリン』と『ウ』―「新しい人間」についての2つの小説 | 〇 | |
2007 | 古賀義顕 | 現代ロシア語学のための基礎的記述法の研究 | 〇 | |
2007 | 菱川邦俊 | 現代ブルガリア語動詞における文法カテゴリーの研究―「相」の文法カテゴリーを中心として | 〇 | |
2008 | 平松潤奈 | 寸断されたテクスト―『静かなドン』とソヴィエト文学体制の成立― | 〇 | |
2008 | 乗松亨平 | <現実>の条件―ロシア・リアリズム文学の成立と植民地表象 | 〇 | |
2008 | 覚張シルビア | レフ・トルストイの作品における意識の境界状態の心理描写 | 〇 | |
2009 | 三好(竹内)恵子 | 廃墟の詩学―ブロツキイの作品における古典古代モチーフと現代性― | 〇 | |
2009 | 田中まさき | レオーノフ『泥棒』の研究 | 〇 | |
2009 | 石川達夫 | チェコ民族再生運動研究 | 論文博士 | |
2010 | 伊藤友計 | 革命と詩人 帝政末期からソヴェト初期の文芸論争とВ.パステルナーク | 〇 | |
2010 | 平野恵美子 | バレエ《火の鳥》の起源:20世紀初頭ロシア文化と帝室劇場 | 〇 | |
2011 | 野町素己 | スラヴ諸語における所有文―その構造と派生的構文の比較・類型論的研究― | 〇 | |
2012 | 中野幸男 | 記憶と表象 シニャフスキー/テルツにおける地下文学・収容所・亡命 | 〇 | |
2012 | 服部文昭 | ロシア語史研究における『アルハンゲリスク福音書』の意義――文章語(живая речь)の萌芽ならびに日用語の資料として―― | 論文博士 | |
2013 | 安達大輔 | 痕跡を生き直す:ゴーゴリの記号システムにおける反省の諸問題 | 〇 | |
2013 | 小松祐子 | チャイコーフスキイのオペラ≪マゼーパ≫研究―プーシキンの叙事詩『ポルタヴァ』とオペラの美学― | 〇 | |
2014 | 番場俊 | ドストエフスキーと小説の問い | 論文博士 | |
2017 | 梶山祐治 | ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジヴァゴ』におけるモチーフの構造研究 | 〇 | |
2017 | 小宮路子 | オレーシャ『羨望』草稿研究 | 〇 | |
2019 | 奈倉有里 | アレクサンドル・ブローク 批評と詩学――焼身から世界の火災へ―― | 〇 | |
2019 | 金沢友緒 | 近代ロシア文学形成期における啓蒙と「感傷」 : О.П.コゾダヴレフの手法をめぐって | 〇 |
提出年度 | 氏名 | 論文題目 |
---|---|---|
1975 | 長谷見一雄 | ベールイの『ペテルブルグ』における比喩 |
1975 | 淵上克司 | レーミゾフ「十字架姉妹」について |
1976 | 岡崎忠彦 | レールモントフの散文とその周辺 |
1976 | 金沢美知子 | ドストエフスキイの作品世界とその構造―初期作品の意義についての考察 |
1976 | 佐々洋子 | アンナ・アフマートヴァ:『主人公のいない物語詩』 |
1976 | 松橋薫 | レールモントフの創作における主題と表現 |
1976 | 李貴卿 | ロシア語構文《y X(есть)Y》について |
1977 | 鴻英良 | ブロークとイタリア詩集 |
1977 | 鈴木淳一 | 「白痴」について―ドストエフスキーにおけるイエスとムイシュキン― |
1977 | 松岡恒子 | 「曠野」におけるチェホフの創作手法―その発生と継承 |
1977 | 望月哲男 | 「罪と罰」試論、生の意味の探求をめぐって |
1977 | 米原万里 | ネクラーソフの抒情詩における作者 |
1978 | 服部文昭 | 現代ロシア語における格の用法の研究―述語の造格 |
1978 | 沼野充義 | ユーリイ・オレーシャの創作技法 |
1979 | 木島道夫 | ロシア語動詞意味論序説―「格」と意味特徴による記述を中心として |
1979 | 板倉千鶴 | ロシア・ユダヤ系作家論序論 |
1979 | 鈴木喜久男 | ロシア象徴主義成立史序説 |
1980 | 石川達夫 | レフ・トルストイにおける「文明と自然」の問題 |
1980 | 西中村浩 | エヴゲニー・ザミャーチンとネオリアリズム |
1981 | 秋元里予 | M・ブルガーコフ研究―形象と思想 |
1981 | 荘鴻美 | 余計者の系譜―ツルゲーネフの《ルージン》を中心に |
1982 | 斉藤陽一 | 1840年代のツルゲーネフ―「ロマン」への道 |
1982 | 孫明坤 | 現代ロシア語における人称構文―無人称構文の対応関係についての考察 |
1982 | 三谷恵子 | <Domostroj>の言語―コンシン所蔵写本による言語的特徴の研究 |
1983 | 福田千津子 | スラヴに於けるアレクサンドロス伝説の研究―エフロシニ写本を中心にして |
1984 | 野田和人 | 40年代ー60年代諸作におけるドストエフスキイの類型学―夢想家と地下室タイプ |
1985 | 有賀祐子 | 「里程標・Ⅰ」におけるツヴェターエワの表現手法 |
1985 | 西野常夫 | ドストエフスキイにおける時間の研究―「罪と罰」を中心に |
1985 | 柳田賢二 | ロシア語における音節とその機能 |
1985 | 相沢直樹 | ピサーレフのツルゲーネフ論 |
1986 | 木村敦夫 | チェーホフ作劇法の発展―「主人公の消失」と日常的細部の登場 |
1987 | 金指久美子 | 『フェオドーシー伝』の言語の研究 |
1987 | 清水道子 | チェーホフの語りと視点―『犬を連れた奥さん』を中心に |
1987 | 法木綾子 | ミハイル・ブルガーコフのジャンル意識―長編『白衛軍』と戯曲『トゥルビン家の日々』 |
1987 | 崔権永 | Russian and Oriental Elements in Anatoly Kim's Prose |
1987 | 藤田智子 | ザミャーチンの初期短編小説の語りについて |
1987 | 松本賢信 | ドストエフスキイの『二重人格』における主題と構成―意識の二重性と「不愉快」の形象 |
1987 | 斉藤則子 | 《Повесть о Горе―Злочастии》の研究 |
1989 | 中村唯史 | イサーク・パーベリ前期作品の分析―『オデッサ物語』『騎兵隊』論 |
1989 | 裴大華 | アンドレイ・ベールイの小説『ペテルブルク』における幻想的世界と物語構造 |
1989 | 三浦清美 | キエフ・ペチェルスキー修道院における物語の比較研究 |
1990 | 大月晶子 | フェートにおける空と水 |
1990 | 甲斐公朗 | ロシア語の格体系 |
1990 | 加藤敏 | ロシア語動詞における最終接尾辞-sjaの機能の研究 |
1990 | 黒田龍之助 | ネストル作『ボリースとグレープの殉教講話』の言語の研究 |
1990 | 長谷川章 | ザミャーチンの中期作品における時空間―『われら』を中心に― |
1991 | 岩本和久 | オレーシャの作品における「独身」の問題 |
1991 | 菊池嘉人 | M.ブルガーコフ研究―『マスチェルとマルガリータ』論― |
1991 | 増田悟 | ローザノフ研究―<<Уединенное>>と<<Опавшие листья>> |
1991 | 柳町裕子 | 現代ロシア語における「定性」/「不定性」の表現について |
1992 | 斉藤毅 | O.マンデリシタームの創造におけるキリスト教芸術としての音楽 |
1992 | 鈴木玲子 | 『混沌の図式』―А.Блок『見世物小屋』の考察 |
1993 | 尾鼻敏美 | オストローフスキイの『雷雨』について |
1993 | 久野康彦 | В.Ф.オドーエフスキイ『ロシアの夜』:ジャンル、構造、知的領域の問題 |
1993 | 前田和泉 | マリーナ・ツヴェターエワの詩的世界―「山の詩」「終わりの詩」をめぐって― |
1994 | 伊藤なおみ | ジナイーダ・ニコラエヴナ・ギッピウス、人と作品―宗教詩の中のキリスト像― |
1994 | 柿沼伸明 | Расшифровка метафор в романе В.Набокова <<Дар>>(V.ナボコフの長編小説『賜物』のメタファー解読) |
1994 | 竹田円 | Ф.ソログープの『小悪魔』について |
1994 | 三好俊介 | バラトゥインスキーの作品世界における矛盾の構造とその変遷 |
1994 | 毛利公美 | 記憶の力と創造―ナボコフの創作理念の発展 |
1994 | 吉澤ひとみ | ロシア語の動詞における「体のペア」と「意味のペア」 |
1995 | 李弼浣 | 『桜の園』論―主要人物分析及びテーマ考察 |
1995 | 熊野谷葉子 | チャストゥーシカの構造分析―95年アルハンゲリスク州フォークロア調査結果より― |
1995 | 坂上陽子 | 『ポリクーシカ』におけるトルストイの手法 |
1995 | 楯岡求美 | メイエルホリド演出『森林』(1924年)について―演劇におけるアトラクションのモンタージュ― |
1996 | 小椋彩 | アレクセイ・レーミゾフ初期作品研究 |
1996 | 小林銀河 | ドストエフスキーにおける「印象」の詩学 |
1996 | 新門佳陽子 | ルンツ研究 |
1996 | 鴻野わか菜 | 『ペテルブルグ』研究―終末の羅針盤― |
1996 | 今田和美 | 語られた物語—人称小説にみるペトルシェフスカヤの世界観と手法 |
1996 | 守屋愛 | セルゲイ・ドヴラートフ作品研究―『わが家の人々』『鞄』 |
1997 | 柏原芳晴 | ゴーゴリ―ジャンルの類型学 |
1997 | 金春和 | A Structual Analysis of Kniazhnin's "The Braggart"Odd Fellows |
1997 | 金玹英 | ブロツキーの詩における<言語> |
1997 | 寒河江光徳 | バリモントの「我—自然」 <<Я—стихия>>―「太陽のように」「ただ愛のみ」を中心に |
1997 | 田中まさき | レオーノフ『泥棒』(第一版)研究―『泥棒』と第一版の存在 |
1997 | 菱川邦俊 | ソフロニイ・ヴァラチャンスキの言語:「罪深きソフロニイの苦難と生涯」 |
1998 | 菅野開史朗 | ラトビア語の伝聞法をめぐって |
1998 | 吉永智影 | 人生、物語と<私>の誕生―ガイトー・ガズダーノフ 一人称小説の研究― |
1998 | 伊藤友計 | パステルナーク研究―散文作品を中心に― |
1998 | 高橋さよ | ドストエフスキー『おかしな男の夢』に関する考察 |
1998 | 鳥山祐介 | デルジャーヴィン論―見ることと断絶― |
1998 | 福安佳子 | ロシア語における敬称表現の変遷―人称代名詞二人称単数と呼びかけ言葉― |
1999 | 竹内恵子 | ヨシフ・ブロツキーの作品における<遠心力>の詩学について |
1999 | 横山陽子 | イヴァン・キレエフスキーにおける「ロシアの原理」と「西欧の原理」 |
1999 | 大野斉子 | 出版界と読書の変容 |
1999 | 岡村麻子 | 1926年の手紙 ツヴェターエワ、パステルナーク、リルケ |
1999 | 平野恵美子 | バレエ・リュス研究 |
1999 | 平松潤奈 | 語りの生成―ナボコフの『賜物』を読む― |
2000 | 大塚えりな | カラムジンの小説―ロシア近代文学の夜明け― |
2000 | 樫永真紀 | アレクサンドル・グリーンの短編について―まなざしと空間― |
2000 | 田尻貴夫 | オストロミール福音書とアルハンゲリスク福音書1092年における名詞の生・対格の出現について―名詞句と動詞句との階層化試案― |
2000 | 乗松享平 | 境界線上の「私」―ツルゲーネフ『猟人日記』と同時代の言説 |
2000 | 村松壮 | 探求する想像力―アンドレイ・プラトーノフ『チェベングール』を読む― |
2001 | 北出大介 | マリーナ・ツヴェターエワの作品に見るミューズ像―ポエマ「赤い馬」を中心に― |
2001 | 和田幸一 | アンドレイ・ベールイ『シンフォニー』研究 |
2001 | 安達大輔 | カラムジンにおける共同体の閉域と開かれ-1780年代から1800年代にかけての諸論文を読む- |
2001 | 野町素己 | 「所有性」と「共感性」の相関関係―ロシア語とスロヴェニア語の対照研究より― |
2001 | 李東哲 | ダニール・ハルムスの演劇、『エリザヴェータ・バーム』の構成原理について |
2001 | 格根托 | 現代ロシア語名辞合成述語における主格と造格 |
2001 | 高瑩雪 | 『現代の英雄』における時間の構造 |
2002 | 尾松亮 | ドストエフスキー作品における子供像とその思想的問題―児童心理・倫理・ユートピア―三つの観点による考察 |
2002 | 有泉和子 | フヴォストフ・ダヴィドフ事件とゴロヴニン事件 その相互関係を日露両国の史料から考える |
2002 | 覚張シルビア | Поэтика времени в романе Л.Толстого «Анна Каренина»(トルストイ『アンナ・カレーニナ』における時間の詩学) |
2002 | 中野幸男 | アンドレイ・シニャフスキーと20世紀ソヴィエト |
2003 | 河尾基 | フレーブニコフの文体の「奇妙さ」 |
2003 | 恒吉華子 | チェーホフ作品にみる女性たち―19世紀末ロシアにおける女性と社会の関わり― |
2004 | 平松達一郎 | ロモノーソフの詩における世界観 |
2004 | 呉楠 | ドストエフスキーの初期作品におけるセンチメンタリズム |
2004 | Е.Гутова | О русском переводе романа «Золотой храм»(三島由紀夫の『金閣寺』のロシア語訳について) |
2005 | 寺田るい子 | ニコライ・ザボロツキ-「狂気の狼」・「木-」-創作中期のザボロツキ-について- |
2005 | 秋草俊一郎 | ウラジーミル・ナボコフ『「エヴゲーニイ・オネーギン」翻訳と注釈』研究 |
2005 | 伊藤忍 | さまよう自己−アンドレイ・ビートフ『アプチェカルスキー島』『飛び去るモナーホフ』研究 |
2005 | 近藤扶美子 | ソログープ『創造される伝説』研究 |
2006 | 漆間顕正 | В.Ф.オドーエフスキーにおける錬金術的表象について |
2006 | 成清圭祐 | ミハイル・ゾーシチェンコ研究―『取り戻された青春』・『空色の本』を中心に― |
2006 | 亀田真澄 | 20世紀演劇に見る現前性の問題―ヴヴェジェンスキー『イワーノフ家のクリスマス』の一解釈― |
2006 | 小松佑子 | P.I.チャイコフスキーのオペラ『エフゲーニイ・オネーギン』の制作過程について―タチヤーナの形象と手紙を中心に― |
2006 | 竹内まり子 | トルストイの初期作品における自然観について |
2007 | 古宮路子 | オレーシャと1920年代末―1930年代初頭の文学―題材・描出・構成― |
2008 | 梶山祐治 | パステルナークのドラマトゥルギー―『盲目の美女』を中心に― |
2009 | 中山佳奈 | ゴンチャロフ作『オブローモフ』、その文体と構成から見た主題の分析 |
2009 | 世利彰規 | ロシア語の枠組み変様とモダリティ |
2010 | 池田正久 | チェーホフとユダヤ人―『泥沼』を中心に― |
2010 | 関岳彦 | ブロツキー初期作品の研究 |
2010 | 奈倉有里 | 『ばかの学校』への道 |
2011 | 東和穂 | 変容する幼子―アンドレイ・ベールィ『コーチク・レターエフ』試論― |
2011 | 金沢友緒 | トゥルゲーネフ『ファウスト』にみる物語の方法―実験者と観察者の狭間で― |
2011 | 中村秀隣 | ドストエフスキーのリアリズムにおけるモデルの問題 |
2012 | 張忱 | Incompatibility Between Polyphony and Heteroglossia: A Comarison of the Author-Hero Interrelations in Light of Prosaics(ポリフォニーと言語的多様性の相互矛盾――「日常性」に照らし出される作家・主人公の関係を中心に) |
2012 | 宮島龍祐 | ヨルダン・ラディーチコフ作『馬の思い出』の作品論 |
2013 | 田子卓子 | ブーニンの小説『スホドール』の作品研究―「語り」による物語の多層性― |
2013 | 徳弘康好 | カザコフとその時代―晩年の作品における自己と他のテクストの相互関係― |
2013 | 林由貴 | ブーニン亡命前散文における旅人表象の解釈―ベルジャーエフの世界観を手掛かりに |
2014 | マフニョワ | ウラジーミル・マヤコフスキーの長編詩『ズボンをはいた雲』の研究―その詩学と翻訳の問題― |
2016 | 大久保圭 | 近代ロシア絵入り雑誌及び読者層の研究ー『ニーヴァ」と『ロージナ』の比較を中心にー |
2016 | 大崎果歩 | レフ・トルストイ『要約福音書』研究 |
2016 | 田中祐真 | Энклитики в подкарпаторусинском языке -исследование по поведению энклитик на основании написанных текстов-(サブカルパチア・ルシン語における前接語ー記述されたテキストに基づく前接語の挙動に関する考察ー) |
2018 | 銑川貴久 | 現代ポーランド語における所有完了の用法について |
2019 | 横江智哉 | 〈余計物〉のユング心理学的分析の試み:トゥルゲーネフ『ルージン』を中心に |
2020 | 齋藤友貴 | レフ・トルストイ『戦争と平和』論──戦争体験の語りとその受容 |
2021 | 永田怜絵 | ドストエフスキー作品へのアフェクト理論(情動論)の応用─『弱い心』、『ステパンチコヴォ村とその住人』を中心に─ |
2022 | 福島賢士 | ユーリー・ノルシュテインとエドゥアルド・ナザーロフのアニメーション作品における自然描写の比較 |
2021 | 下村莉央 | ヴァルラーム・シャラーモフの短編作品群『コルィマ物語』における自然観 |
2021 | 濱田玲央 | ガルシン戦争作品群における人々の苦しみの分析 |
2022 | 清水真伍 | ナスターシャ・フィリーポヴナの美の二重性─「世界をひっくり返す美」のダイナミズム─ |
2023 | 安井靖雄 | ソルジェニーツィン『第一圏のなかで』について スターリンと外交官ヴォロディンの人物像形成を中心に |
2023 | 木田貴久 | アンドレイ・ベールイ『ペテルブルク』における都市空間についての分析 ードゥートキンの屋根裏部屋を中心にー |
提出年度 | 氏名 | 論文題目 |
---|---|---|
1973 | 松橋薫 | レールモントフの抒情詩における戦いについて |
1973 | 三枝裕明 | ガルシンとその作品 |
1974 | 佐藤真理子 | チェーホフの戯曲における「劇」と「緊張」 |
1974 | 中側保典 | 「貧しき人々」について |
1975 | 野田和人 | 「貧しき人々」時代のドストエーフスキイと彼の先行者たち(プーシキン、ドストエーフスキイ) |
1975 | 奥山英治 | ゴーゴリの空想的世界 |
1975 | 秋田幸男 | 小説「コサック」について |
1975 | 清野豊 | ニコライ・ゴーゴリ(《ペテルブルグもの》に見るゴーゴリの方法と世界) |
1979 | 小暮雅彦 | チェーホフ―その小説について(「狩り場の悲劇」についての考察) |
1979 | 小室信弘 | 「余計者」考(「ペチョーリン」「ルーヂン」「オブローモフ」を中心として) |
1979 | 小野真樹 | ドストエフスキー『悪霊』論 |
1979 | 岩尾謙次 | ネクラーソフの市民詩 |
1979 | 本田博通 | トルストイの宗教進化のプロセス―仏法的な視点から |
1979 | 村山敦子 | H. K. ミハイロフスキイの民衆観 |
1980 | 唐沢あい子 | レールモントフ《現代の英雄》 |
1980 | 三谷恵子 | 現代ロシア語における不定詞の述語用法 |
1980 | 池田和彦 | ドストエフスキーと美 |
1981 | 安達伸夫 | プーシキンの小説作品について 「大尉の娘」論 |
1981 | 沖沢昌紀 | 十字架上の詩人、エセーニンをめぐって |
1981 | 石川一洋 | フェット論 |
1981 | 武隈喜一 | ゴーゴリの初期作品、『ディカーニカ近郷夜話』におけるマスク(仮面)の構造 |
1982 | 横田運代 | 「バーバ・ヤガー」論 |
1982 | 成瀬悦子 | 現代ロシア語における一致定語および被定語の位置関係について―一致定語の叙述性を考える |
1982 | 有賀祐子 | プーシキンの詩における革新をめぐって |
1982 | 西野常夫 | ドストエフスキイの芸術一面 |
1982 | 岩澤聡 | チェーホフの『決闘』について |
1982 | 松下美智子 | ラヴロフ「歴史書簡」 |
1982 | 相沢直樹 | ピーサレフの文学論について―その構造と意味 |
1984 | 大木俊治 | ショーロホフ論―「人間の運命」について |
1985 | 藤田智子 | ザミャーチンの《ナヴァドニェーニエ》について |
1985 | 木村敦夫 | チェーホフ劇の成立―『森の精』から『ヴァーニャ伯父さん』へ |
1985 | 大久保富美子 | 作家としてのゴーリキィ―初期の作品から |
1986 | 福地豊子 | ロシア語動詞の完了体と不完了体について―Медный Всадник(青銅の騎士)を例として |
1986 | 村田幹男 | ドストエフスキーの「賭博者」に関する一考察 |
1986 | 松本賢信 | 『悪霊』論―ドストエフスキー文学における「悪」の諸相 |
1986 | 井上知美 | レスコフ「魅せられた旅人」論―ある逃亡農奴の遍歴を通して矛盾・混沌・そして聖なるロシア |
1986 | 小原志浦 | ブルガーコフの戯曲世界『モリエール』『最後の日々(プーシキン)』における芸術と権力との葛藤、および芸術家の運命について |
1987 | 川島秀一 | チュッチェフ詩研究 |
1987 | 林勲 | トルストイ論―「光あるうち光の中を歩め」におけるトルストイの思想について |
1987 | 荻原弘毅 | プーシキンとモーツァルトの毒殺説 |
1987 | 三浦清美 | チェーホフの「名の日の祝い」をめぐって |
1989 | 増田悟 | 『カラマーゾフの兄弟』論 |
1990 | 岩佐京子 | アレクサンドル・プーシキン 『コーカサスの捕虜』について |
1990 | 斉藤毅 | Осип Мандельштамの『石』の初期詩編における「詩人」とその世界感覚 |
1990 | 鈴木健一 | 『ネフスキイ大通り』論 |
1991 | 尾鼻敏美 | チェーホフの『桜の園』について |
1991 | 片山博文 | プーシキンにおける民衆観の変遷について |
1991 | 渡邉円 | <<Хозяйка>>に見られるドストエフスキイの独自性について |
1992 | 釘宮明美 | バフチン『作者と主人公』に於ける自他のカテゴリー―実存のパトスと美的パトス― |
1993 | 乾浩明 | 『地下室の手記』について |
1993 | 熊野野葉子 | ブィリーナにおける語りと伝承のしくみ |
1993 | 後藤正子 | スタニスワフ・レムについて(中編小説『ソラリス』の独自の世界) |
1993 | 小林銀河 | ドストエフスキーの初期の作品における「意識」について |
1993 | 坂上陽子 | トルストイの『自伝三部作』について |
1993 | 新門佳陽子 | ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』における語りの研究 |
1993 | 瀬沼浩二 | ロシア語動詞の接頭辞による意味の変化について |
1993 | 藤井淳子 | И.С.トゥルゲーネフ『猟人日記』について |
1994 | 守屋愛 | イサーク・バーベリ 連作『騎兵隊』より 短編『パン・アポレク』論 |
1994 | 小村剛二 | ウラジーミル・ナボコフ『賜物』論 |
1995 | 寒河江光徳 | 『太陽のようになろう』におけるバリモント的自我の源泉―ニーチェ、ブーバーとの対比から― |
1995 | 鷹橋毅 | ロシアにおける売春に関する一考察 |
1995 | 細野恭平 | ナショナリズムとソ連邦の崩壊 |
1995 | 三上洋一郎 | Комедия Чехова (チェーホフの喜劇) |
1996 | 篠原裕 | ブーニンをめぐる詩学 |
1996 | 福井学 | ジナイーダ・ニコラエヴナ・ギッピウス研究:「この世に無いもの」に関する一考察 |
1996 | 宮城島大輔 | 歴史的文脈におけるナーナイ詩人アンドレイ・パッサールの詩について |
1996 | 沓掛俊哉 | ロシア語の格の意味論的分析 |
1996 | 高橋さよ | 『悪霊』における罪悪感の問題 |
1996 | 竹内恵子 | ヨシフ・ブロツキーの作品における「空間」と「時間」について―「巡礼者たち」から「ケープ・コッドの子守歌」へ― |
1996 | 横山陽子 | 初期スラヴ派 イヴァン・キレーエフスキーについて |
1997 | 大塚えりな | プーシキンにおける歴史の問題 |
1997 | 大野斉子 | 『カラマーゾフの兄弟』について―犯罪と都市のジャーナリズム |
1997 | 金川純子 | 現代ロシア語口語のシンタクスより |
1997 | 金子真紀 | アレクサンドル・グリーン『真紅の帆』について |
1997 | 関乃理枝 | 日露関係史におけるコミュニケーションと異文化体験―大黒屋光太夫とV.M.ゴロウニン |
1998 | 小谷信子 | Вокальный цикл <<ИЗ ЕВРЕЙСКОЙ НАРОДНОЙ ПОЭЗИИ>>—Идиш звук и Д. Шостакович—連作歌曲集<<ユダヤの民族詩より>>―ショスタコーヴィチとイディッシュの響き― |
1998 | 乗松亨平 | 『悪霊』におけるスタヴローギン=謎=秘密の言説 |
1998 | 中井信晃 | ダニイル=ハルムスの作品の検討 |
1999 | 安達大輔 | З.А.ヴォルコンスカヤのサロン―文学のメディア研究へ― |
1999 | 野町素己 | ロシア語の不可譲渡所有表現 |
1999 | 奈良真志 | トルストイ「復活」について |
1999 | 有泉和子 | 日本のロシア語学の始まり―馬場真由とゴロヴニン― |
2000 | 小林克嘉 | 「幼年時代」について |
2000 | 伊藤知代 | ナターリア・バランスカヤ「ありふれた一週間」をめぐって―文学と生活― |
2000 | 小倉祥徳 | 『アンナ・カレーニナ』における「偶然性」と語り |
2000 | 山崎陽一郎 | ナボコフ『夢に生きる人』について |
2000 | 山田欽一 | ミハイル・ブルガーコフの幻想小説に関する考察―『巨匠とマルガリータ』を中心として |
2001 | 岡本茂久 | 『幼年時代』についての考察 |
2001 | 村上真由 | アンドレイ・タルコフスキー監督『鏡』を読む―父アルセニー・タルコフスキーの詩を中心に― |
2002 | 濱幸美 | ツルゲーネフ『父と子』の分析 |
2002 | 佐藤修 | ロシア語の過去形について |
2002 | 平松達一郎 | ジュコーフスキーの世界―創造的な翻訳詩とは何か |
2003 | 近藤扶美子 | ソログープ前期作品研究 |
2003 | 佐々木陽子 | ロシアの児童文学 |
2003 | 赤岩航 | ロシア語とブルガリア語における体の用法の比較 |
2004 | 亀田真澄 | 物語による「場」の生成―ロシア幻想民話のテクスト分析 |
2004 | 山下琴美 | ソロヴィヨフの哲学―『三つの邂逅』の笑いを中心に |
2005 | 豆原啓介 | バレエ作品『眠れる森の美女』―その歴史と美学 |
2005 | 古宮路子 | 『羨望』における語りの形態−幻想の在り処。『地下室の手記』との比較 |
2006 | 石田佳奈 | ゴンチャロフ初期作品における語り―『ハッピーエラー』のテクスト分析― |
2006 | 城戸武墾 | 『1831年6月11日に』に見るレールモントフのポエジア |
2006 | 小澤裕之 | 解体の文学史―チェーホフ・ハルムス・ヴヴェジェンスキイ |
2007 | 市川誠一郎 | ロシア文学における両義的な狂気 |
2008 | 浜崎慎吾 | チェーホフ「サハリン島」とその時代 |
2009 | 中村秀隣 | 『悪霊』におけるステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェンスキーの形象 |
2010 | 岡山恭子 | 「眠らない男」のユートピア |
2010 | 北川梨紗 | 19世紀ロシアの都市 アンナ・カレーニナより |
2010 | 宮島龍佑 | ゴーゴリ『ネフスキイ大通り』の円環 |
2011 | 相木沙知子 | レフ・トルストイ『イワンのばか』について |
2011 | 帶刀嘉晃 | バザーロフについて |
2011 | 登坂直道 | チェーホフ『サハリン島』第六章“エゴールの物語”に見る目的意識について |
2012 | 田中智樹 | D.ショスタコーヴィチ『日本の詩人の詩による6つのロマンス』 作品とその意義 |
2013 | 平松元 | 『キング・クィーン・ジャック』におけるナボコフの芸術的な手法について |
2013 | 山中信彦 | 亡命作家エゴン・ホストフスキーの「ミステリ小説」の現代の視点からの再評価 |
2014 | 坂本秀輝 | ドストエフスキー『貧しき人びと』の形式と小説としての「よそおい」 |
2016 | 阿部怜絵 | 『悪霊』におけるキリーロフの表象 |
2016 | 大山祐亮 | 印欧祖語における最終音節の共通スラヴ語に至るまでの通時的変化について |
2016 | 銑川貴久 | ポーランド語とカシューブ語の過去時制―所有完了の発達を中心にー |
2016 | 真島亮吉 | 悪漢小説、教養小説として読む『わたしは英国王に給仕した』 |
2017 | 川崎智代 | 行為者としてのアレクセイ・カラマーゾフ:『カラマーゾフの兄弟』論 |
2017 | 古澤卓也 | ニコライ・ベルジャーエフの歴史哲学 人間の自由と歴史の終末 |
2017 | 横江智哉 | トゥルゲーネフ『ファウスト』を読む |
2018 | 齋藤友貴 | トルストイ『戦争と平和』におけるボロジノの戦い |
2018 | 守山侑李 | A.プラトーノフ『フロー』における女性の表象について |
2019 | 杉林大毅 | 『レモネード・ジョー或いは、ホースオペラ(Limonádový Joe aneb Koňská opera)』の作品分析 |
2019 | 福島賢士 | ソ連アニメーションにおける「子どもの孤独」―『ヴィンニ・プーフ』を中心に |
2019 | 濱田玲央 | 『チェルカッシ』における海を中心とした自然描写の研究 |
2019 | 安井靖雄 | 『罪と罰』のスヴィドリガイロフについて |
2020 | 阿佐遼平 | カレリア共和国と『カレワラ』 |
2021 | 小宅夏瑞 | イヴォ・アンドリッチ『ドリナの橋』における「永続性」と「忘却」 |
2021 | 木田貴久 | ゴーゴリ作品におけるペテルブルク表象―「ネフスキイ大通り」を中心に― |
2021 | 細川美波穂 | 『カラマーゾフの兄弟』イワンの無神論について |
2023 | 鎌倉啓伍 | 書記言語の社会的意味:北イタリアのスロヴェニア語レジア方言を例に |