20世紀初頭、ロシアでは社会の急速な変化に呼応し、芸術変革を求める運動、いわゆるロシア・アヴァンギャルドが起こった。芸術の根源的な原則ともいえるウスローヴノスチ(約束事:芸術を律する独自の規則性)の追求が文学や美術とともに演劇でも行われた。
本論文では,ロシア革命という激動の時代を含め、20世紀の最初のほぼ40年にわたるメイエルホリドの演出の特質を彼自ら演劇性の本質だと主張した「グロテスク」に焦点を当て、論じる。メイエルホリドのいう「グロテスク」は、辞書的な誇張された醜悪なもの、という意味ではなく、「明確な根拠なしに種類の異なる概念を結びつけ」、「対立するものを混ぜ合わせ、意識的に対立を激化させ、その独自性をもてあそぶ」。つまり、コントラストが誇張されるように仕組まれた異なる要素を「衝突させる」ことである。
このうち、特に「異なるものを恣意的に組み合わせ、衝突させる」という限定的な要素をとくに強調したのが、モンタージュである。そして、このモンタージュによる衝突がより効果的に起きる場を提供し、保証するのが、ファルス(笑劇)やその中心となる道化芝居である。ファルスは、誇張された滑稽さの中に規定の価値基準を逸脱することを可能にする。特に既存の社会規範の外側に存在する道化は規範から自由であり、彼らの無軌道な変わり身の早さは、対立する価値観を同時にあわせもつことを可能にする。矛盾する価値すら両立を可能にする彼らの自在さは、日常では起きにくい衝突を加速させる触媒となっている。
つまり、グロテスクは、日常をファルスという拡大鏡で拡大(誇張)して映し出し、モンタージュによって衝突を起こし、観客の常識に動揺をあたえるための仕掛けである。特異なウスローヴノスチを有している舞台は、日常とは異質な空間であり、メイエルホリドにとって、それはまさに日常的な習慣の中で凝り固まってしまった感覚に衝撃を与え、解きほぐし、従前とは違う視点を与える、つまりグロテスクな空間である。
本論文は6つの章からなる。
第一章では、メイエルホリドの演劇性に、潜在的な深い影響を与えたチェーホフの戯曲『かもめ』と『桜の園』をとりあげた。両戯曲はメイエルホリドに、コントラストの強調された相対的な関係のなかに、世界を表現する方法や、人物を典型化する表現への契機を与えた。
第二章では、ブロークの『見世物小屋』をとりあげた。この戯曲はメイエルホリドに、チェーホフ的な相対性の徹底によって、不可知な世界を動的にモデル化しうることを示唆した。また演劇における虚構性の重要さとコメディア・デラルテに対する関心を呼び起こした。
第三章では、メイエルホリドが演劇の(文学からの)自立を意識し、演劇の構成元素である俳優の身体へと関心を向けた時代背景をアヴァンギャルド芸術との関わりで考察した。メイエルホリドは、自在な俳優表現の理想をコメディア・デラルテやサーカスの演技技術と即興性に見出し、ビオメハニカという独自の俳優訓練を体系化することになった。
第四章では、メイエルホリドの関心が、過去の民衆芸能の部分的な模倣ではなく、構造そのものの復活を目指したこと、つまり、演劇のほうを道化芝居の構造に読み込む試みだったことを明らかにした。それは、新たなる「民衆演劇」の創造を狙いとしていた。
第五章では、『仮面舞踏会』(レールモントフ原作)や『森林』(オストロフスキイ原作)の演出におけるモンタージュの機能について考察した。モンタージュは異質なものどうしが出会い、衝突する瞬間をクローズアップして強調する。言葉による戯曲の一解釈を与えるのではなく、観客自身に、虚構という条件つきながら、舞台上で起きる事件に遭遇する、という体験をさせるのである。さらに、時間経過に沿って変化する様相を動的に表現する。
第六章では、オレーシャの『善行目録』を演出したメイエルホリドが、グロテスク-モンタージュ手法を個人の心理の表現に応用したことを明らかにした。
チェーホフとの出会いに触発されて始まったメイエルホリドの演劇性探求は、ファルスとモンタージュからなるグロテスク演劇へと帰結した。モンタージュは、ファルス(道化)が保障する、既存の価値基準から開放された空間で、事象の全体像を多面的かつ動的に表現する。観客に与えられるのは、それまで常識的に前提となってきたあたりまえの日常が、ある種(心理的衝撃としては)暴力的でさえある方法で動揺させられる祝祭的な時空間である。
この様な動的な場の提供が、メイエルホリドの目指したグロテスク演劇であり、メイエルホリドの実験的な手法は、現在、ロシアで活躍する演出家のみならず、ピーター・ブルックをはじめとする各国の演出家にその精神とともに受け継がれている。