マリーナ・ツヴェターエワの詩学 〜境界線を超える声〜

前田 和泉

20世紀ロシア文学史において、ツヴェターエワほど「言葉」の可能性の境界線と格闘し、これを押し広げようとした詩人はいない。その格闘の過程で、彼女はネオロギズムや文法的規範からの逸脱、統語の破壊、斬新な韻律形、句読点の活用など、ありとあらゆる言語的手段を駆使した。本論の目的は、ツヴェターエワの詩的言語の変遷を通時的、共時的な視点から捉え、その詩学の全体像を描き出すことである。

◎1章(〜1912年)まだ10代だったこの時期の作中には、すでに「ツヴェターエワ的なるもの」の片鱗が垣間みえる(両義性、死への憧れ等)。詩的技法の上では(ダッシュの多用などに特色が見られるが)全体的に未熟であり、ひたすら事物の外面や細部を「列挙」するという戦略しか持っていない。韻律形式もまだオーソドックスだが、その中でロガエードや「強弱弱強」格など、後のツヴェターエワが得意とする形(ロシア詩の規範からすると「例外」的形式だが)の「萌芽」が見られる。

◎2章(1913年〜1916年)徐々に詩的言語の自立が始まる。まず「列挙」の質が変化し、ただ単に事物を書き連ねるだけでなく、円環構造や階段構造などを導入し、限られた紙面の中で「より多く」を語るための工夫を行うようになる。また、ダッシュの用法に独創性が現れ始める。一般的な規範から逸脱することも多いが、その表現力は格段に増している。韻律的には、この時期にいわゆる「ロガエード」と呼ばれる形式が確立し、「スポンデイ」(強強格)や行内韻なども意欲的に取り入れられる。ダッシュなども活用しつつ生み出された独創的なリズムは、場面や感情などに応じて巧みに使い分けられている。

◎3章(1917年〜1922年)革命から亡命に至るまでのこの時期は、テーマ的にも文体的にも一気に幅が広がり、斬新な語法が積極的に用いられるようになる。非名詞の名詞化や独創的な複合名詞などを通じて文法カテゴリーそのものへの働きかけが行われ、また、同種の言葉、接頭辞、音素などを「衝突」させることにより新たな意味的負荷を言葉に生じさせる。文法的に「不正確」な文章も詩的技法の一環として利用し、さらに、ダッシュとコロンも駆使しつつ、大胆な省略や複雑な構文を生み出している。韻律の独創性にも磨きがかかり、ロガエード、「強弱弱強」格などが自在に使いこなされる。一つのリズムから別のリズムへと転じてゆく手際も鮮やかだ。ある韻律形で書かれたものを「ばらす」試みなども見られる。

◎4章(1923年〜1930年)亡命生活前半にあたる。創作力は旺盛で、その詩的言語は非常に力強い。とりわけ興味深いのは造語法で、既存の語と絡めながら新語をテクストに持ち込むことにより、単に新しい概念を新しい言葉によって表象するばかりではなく、言語のカテゴリーそのものをも揺るがせてしまう。コロンやダッシュなども効果的に利用され、複線的なテクストが実現されている。この時期の代表作『山の詩』と『終わりの詩』は、それまで試みられてきた様々な詩的技法の集大成でもある。聖書やフォークロア、ギリシャ神話などのポドテクストを用いた重層的な構造を持つこの2作品を、本論では「異端」モチーフを手がかりとして読み解いてゆく。

◎5章(1931年〜1941年)創作の重心は詩から散文へと移るが、それまで生み出された様々な「詩的技法」は、造語、句読法、従属文構造、分節の異化など、散文に場所を変えて生き続けた。しかし孤独と困窮に追いつめられた詩人は、1939年、亡命生活を打ち切りソ連へと帰国し、1941年、疎開先のエラブガで自殺する。

◎付録(試論〜『大気の詩』を読む〜)ツヴェターエワの言語的・哲学的到達の一つの頂点である『大気の詩』(1927)には、おおよそ3つのモチーフがその底流にある。まず第1に宗教的モチーフであり、とりわけ復活祭との平行関係が注目される。第2はギリシア神話で、中でもヘラクレス伝説が重視される。第3が科学的・病理学的モチーフで、この詩人が意外なほど航空史や解剖学に精通していたことが推察される。母親を始め多くの近親者を結核で失い、また父の臨終を間近に看取った体験を反映してか、『大気の詩』で「死」の過程がほとんど生々しいほどリアルに描き出されている。これらポドテクストを踏まえ、様々な詩的技法を駆使しつつ、ツヴェターエワはこの作品の中でいわば「詩による臨死体験」を試みる。

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