ロシアの作曲家P.I.チャイコーフスキイは1881年から1883年にかけてA.S.プーシキンの叙事詩『ポルタヴァ』(1829年)の主題に基づいてオペラ《マゼーパ》を作曲した。『ポルタヴァ』の主題となっているポルタヴァの戦いから既に300年以上も経過した現在に於いても、戦いに係わったロシア、ウクライナ、スウェーデンの三国の間にはマゼーパ像について見解の相違があり、民族的なしこりを残している。プーシキンとチャイコーフスキイの両作品に登場するウクライナのゲトマン・マゼーパは、ソヴィエト崩壊後、ウクライナが独立する時期までロシアではピョートル大帝の裏切り者として取り扱われ、独立後のウクライナでは英雄として取り扱われており、両国間には歴史認識上の根本的な問題が残ったままになっている。プーシキンは叙事詩『ポルタヴァ』に於いて、マゼーパをロシアに対する裏切り者として徹底的に悪の権化のようにして描写しているが、チャイコーフスキイはマゼーパをプーシキンと同じような目では見ていない。チャイコーフスキイはマゼーパの置かれた状況を如何に考慮し、如何に受け入れ、オペラにいかなる形象を作り出したか、そしてその過程で作曲家チャイコーフスキイの芸術観・世界観にどのような変化と深まりがあったのか。それを究明するのが本論文の目的である。

チャイコーフスキイの主要オペラのうち、《マゼーパ》はもっとも研究が進んでいない作品であり、日本においては言うまでもなく、ロシアでも歴史的背景、プーシキンとの関係から、楽曲分析、そして作曲家自身の意図や世界観にまで踏み込んだ本格的な研究は未だにないのが現状である。本論文ではそういった先行研究の現状を踏まえ、上記のような様々な観点からこのオペラにできるだけ多面的にアプローチする。特にプーシキンの叙事詩『ポルタヴァ』における隠れた主人公であり、オペラに於いては主人公として浮かび上がってくるゲトマン・マゼーパについての可能な限りの詳細な歴史的資料を調査し、分析することは、本研究の前提として大きな意味を持っている。

 本論文は以下のように構成されている。

第1章 オペラ着手への序奏

 作曲家がオペラ作曲に着手する時期に作曲家の周辺では多くの解決困難な問題が発生していた。社会的矛盾の尖鋭化と私生活に於いて次第に強まっていく苦悩は、作曲家を精神的に追い詰めていった。そしてパリで友人のニコライ・ルビンシテーインの死に遭遇した時、に彼はそれまで疑問を持っていた神への信頼、信仰心が以前よりはっきりとした形で目覚めたことを自覚する。作曲家の信仰の問題はこれまで研究者によって論じられることがほとんどなかった故、本章ではチャイコーフスキイの庇護者であったフォン・メック夫人の間に交わされた夥しい書簡の内容を踏まえ、チャイコーフスキイの宗教観がどのようなのであり、どのように変化し、それが作曲にどのような影響を与えた可能性があるかなどについて、予備的に検討を行う。

第2章 チャイコーフスキイの美学 (1)

オペラ《マゼーパ》は内容の悲劇的な深さと演劇性にかけて、チャイコーフスキイのオペラ作品の中で頂点に立つと思われる。だが、結果としてこのオペラは、彼が理想としてきたそれまでのオペラ作品のコンセプトから見てかなり異質な要素を持つものとなった。この一見矛盾した状況は、チャイコーフスキイの生涯と音楽の発展という観点から見た場合、どのような経過を辿った結果なのか。また、こうした矛盾をはらみながら、作曲家の美学は如何にして形成されていったのであろうか。こういった問題意識に立って、《マゼーパ》以前の6作のオペラ作品を再検討しし、更にフォン・メック夫人との往復書簡の分析を通じて、《マゼーパ》作曲に至るまでのチャイコーフスキイのオペラ美学の発展と変化の経緯を検討する。

第3章 チャイコーフスキイの美学(2)

前章で明らかにしたのは、チャイコーフスキイの美学の変化の背後には、作曲家本人の信仰の問題があったということである。それを受けて、本章では《マゼーパ》作曲時期の前後から作曲家の精神の拠り所として鮮明になり始め、その後には次第に確かなものとなっていった信仰心が、如何にして《マゼーパ》と《マゼーパ》以降の作品の美学に影響を与えた可能性があったかを検討する。レフ・トルストイの『懺悔』や、ショーペンハウアーの哲学の影響についても分析を行い、チャイコーフスキイの信仰の深まりとの関連を論証する。

第4章 オペラ《マゼーパ》の題材と歴史的基盤である叙事詩『ポルタヴァ』について

まずオペラの原作である叙事詩『ポルタヴァ』をプーシキンが書くに至るまでの創作史を辿り、歴史的題材の扱い方について、プーシキンの同時代の文学者たち(ルイレーエフ、ミツキエヴィチなど)の場合と比較し、プーシキンの「歴史主義」の再検討を行う。そのための基礎作業として、プーシキンが歴史的な典拠としたバントイシュ=カメンスキイ著『小ロシア史』の内容と、プーシキンの叙事詩の詳細な照合を行った。プーシキンは叙事詩『ポルタヴァ』執筆にあたっては、作品における歴史的真実性を強調したが、史料との詳細な照合の結果明らかになるのは、プーシキンの作品には歴史的叙事詩の枠をはみ出るロマン主義的な文学的表現が多く盛り込まれているということである。その背後には、当時プーシキンがおかれていた不自由な社会的環境があったことも考慮に入れなければならない。『ポルタヴァ』は純粋な歴史的叙事詩というよりは、歴史認識を基本としたロマン主義的文学作品として理解されなければならない。

第5章 叙事詩『ポルタヴァ』からオペラ《マゼーパ》の構成へ

オペラ《マゼーパ》に関するほとんど唯一の本格的な先行研究書といえるのは、ロシアの音楽学者ネスチエフ(Нестьев И.)による『チャイコーフスキイのマゼーパ』である。彼がそこで採用した分析方法を引き継ぎ、オペラの原作であるプーシキンの叙事詩『ポルタヴァ』とチャイコーフスキイによるオペラの脚本との比較をより詳細に検証した。その際、音楽の流れをより明瞭に把握するために、オペラのピアノ用スコアから多くの部分を引用して分析した。また、オペラに挿入されたロシア並びにウクライナ民謡については、ロシアの音楽学者トゥマーニナの研究書を参考として分析を行った。

そして終章では、オペラ《マゼーパ》の背後にチャイコーフスキイ自身の世界観、特に信仰心の深まりがあり、オペラ《マゼーパ》には作曲家のそのような精神的姿勢が反映していることを結論づけた。チャイコーフスキイはオペラの中で崩壊していく家族の姿を悲劇的に描き出しながら、それを音で表現していくという困難な芸術的課題に取り組み、その結果、オペラ美学の新境地を切り拓くことに成功し、音楽劇としてのドラマティックな力を生み出すことができたのである。チャイコーフスキイは、プーシキンの叙事詩『ポルタヴァ』に主題を求め、オペラ《マゼーパ》を創作したが、結果としてできあがった作品では、プーシキンの場合とは異なったアプローチによってマゼーパ像が描かれることになった。マゼーパの行動と心理に焦点を合わせながら、作曲家はそれまでに積み上げたオペラ作曲の経験を活かし、自らの世界観・宗教観をそこに投影して、新機軸のオペラ形式に向けて一歩踏み出したのである。