本論文は、現代ウクライナにおける言語状況について、言語の表象・言説・イデオロギーの観点から研究するものである。主に2014年のマイダン革命以降のウクライナにおける、ウクライナ語とロシア語、ならびに両語の混合語であるスルジクの社会的評価と、それらから導き出せる言語イデオロギーを分析することを目的としている。
第1章では、ウクライナにおける言語問題の変遷と現在の状況について概略を示した上で、本論文の研究背景・研究のアプローチ・研究課題・主たる方法論・本論文の構成を述べている。
第2章では、まず第1部として、ウクライナの言語史を概観している。特に、現代のウクライナで広く用いられるウクライナ語とロシア語の歴史的関係性、ならびに17世紀以降にウクライナが被ったロシア語による言語的同化に焦点を当てている。第2部では、現代におけるウクライナの社会言語学的状況を取り扱っている。同国においてウクライナ語は唯一の「国家語」であり、独立後は普及政策が進められていたものの、歴史的な経緯からロシア語が広く用いられている状況は大きく変化しなかった。「国家語」の地位をウクライナ語に唯一のものとして留めるか、ロシア語にも「国家語」ないし一定の公的地位を認めるか、という問題は激しく政治化し、ウクライナ社会においても意見が対立していた。同国ではウクライナ語とロシア語のみならず、両語の混合語であるスルジクも普及しており、複雑な言語状況が形作られている。
第3章では、ウクライナにおいてウクライナ語にのみ付与される「国家語」の地位に関する考察をしている。「国家語」は旧ソ連諸国において言語の法的地位の名称として用いられるが、その定義と運用は各国によって異なる。そこで本章では、社会言語学において議論されてきた「national language」「official language」といった言語地位に関する用語の先行研究を取り上げ、ウクライナにおける「国家語」の定義と運用に見られる特徴を明かすことを目的としている。1989年の旧言語法から2019年の新言語法に至る、「国家語」に関する規定や裁判所の判断を見ると、ウクライナ語には「国家」を体現する最大限の実用的機能と象徴的機能が備わるようになったが、この背景には独立以後のウクライナ語の普及活動が結果をもたらさず、またロシアがハイブリッド戦争を活用する中、ウクライナ語を国民統合の象徴として位置付けるべく、詳細な法的規定が必要になったことを指摘している。
第4章では、「アンチスルジク」と呼ばれる、スルジクを対象とした言語純粋主義を考察している。「アンチスルジク」とは「反スルジク」のことを指し、1994年に出版された、ウクライナ語の「正しい表現」を紹介する書籍の題名に由来する。近年では「アンチスルジク」の名を冠する講演会・ウェブサイト・SNS上の動画投稿などが観察され、言語の専門家のみならず、一般人が「純粋なウクライナ語」を話すことを呼びかけている。これらの動きは、決してスルジクの話者を排除しようとしているのではなく、ウクライナ語とロシア語の二言語併用者がウクライナに多くいる中、両語の区別を呼びかけることで、人々の言語不安を軽減させることが目的であると言える。
第5章では、ウクライナのメディア言説における、ウクライナ語・ロシア語・スルジクの社会言語学的表象の分析を行っている。まず第2部では理論的枠組を説明している。社会言語学的表象とは言語に関して共有される知識のことを指し、これらは言説を通じて表明され、言語イデオロギーの構成部分となる。これらの表象には肯定的なものと否定的なものがあり、これらは言語の「多数化」と「少数化」の傾向として解釈することができる。よってウクライナにおけるウクライナ語・ロシア語・スルジクに関連づけられる社会言語学的表象の分析は、これら言語の社会的評価を導き出し、如何なる言語イデオロギーが展開されているか、考察することを可能とする。第3部では、2019年に収集したウクライナのウェブメディアが公開する言語問題に関連する記事を対象として、社会言語学的表象の分析を行っている。総じてウクライナ語はウクライナ文化・民族・国家を体現するのみならず、過去にロシア帝政・ソ連時代を通じて弾圧を被った人々を象徴するものとして扱われている。他方でロシア語は「他者」として取り上げられ、過去の圧政者のみならず、当時ドンバス戦争に関与していた敵国のロシア連邦を体現するものとして扱われる。混合語のスルジクは標準語の規範を備えない「非言語」として捉えられ、その話者は「無教養」のみならず「言語問題に無関心」といった否定的な文脈で語られる。第4部の考察では、ウクライナ語がロシア語とスルジクの双方に対して高い社会的評価を帯びる一方で、ロシア語もスルジクに対しては高い社会的評価を有していたことを指摘している。ロシア語は確かに「敵国」の言語であるものの、標準語を有し、多くの人々が用いる言語として、一定程度の権威性が認められていた。よって当時のウクライナにおける言語の社会的評価では、「ウクライナ語に近いか」よりも「言語であるか」の方が優先されており、「アンチスルジク」の事例と同様に、ウクライナ語とロシア語の区別の必要性が認識されていたことが結論づけられる。
第6章では、2022年2月24日に始まったロシア連邦によるウクライナに対する全面的侵攻により、ウクライナ人の言語態度が如何に変化したか論じている。第1部では侵攻前後の言語状況について、主に言語使用に関する統計データを取り上げることで、侵攻がウクライナ人の言語態度に如何なる影響を及ぼしたか論じている。各種の世論調査は2022年2月を境に、ウクライナ語の使用の増加とロシア語の使用の低下を報告しており、戦争によって多くの者がウクライナ語への「切り替え」を望んでいたことが分かる。第2部ではウクライナの言語問題におけるSNSの役割について考察している。1つの事例として、2023年に国際連合の公式アカウントが「ロシア語の日」を記念する投稿をしたが、同日にウクライナ中部の水力発電所が破壊される事件が起きたことにより、ウクライナ人の一般ユーザのみならず、ウクライナ政府の公式アカウントが反応することがあった。この件はSNSにおけるアクターの多様性のみならず、言語問題の文脈においても戦争という事態が今日的であることを示す。第3部は戦争による言語態度の変化を詳細に考察すべく、2022年2月24日以降の記事を対象に、第5章にて用いた理論と方法論を踏襲し、ウクライナ語・ロシア語・スルジクの社会言語学的表象の分析に充てている。戦争の中でウクライナ語の肯定的評価とロシア語の否定的評価は両極化しており、特に侵攻の初期では不審者に敢えてウクライナ語で話しかけることによって、工作員を見出すことが推奨されており、この文脈でウクライナ語は「自国の武器」、ロシア語は「敵国の武器」として扱われる。混合語のスルジクに対する評価は低いままであるが、ロシア語との社会的評価の関係が逆転しつつある。侵攻以後はスルジクのより「ウクライナ語に近い」言語的性質が着目されており、もともとロシア語を話していた人物が、ウクライナ語を話そうとする努力の結果、誤りとして話してしまうスルジクは許容されやすくなっている。よって範囲は限定的であるが、第5章における考察と大きく異なる点として、言語の相対的な評価において「言語であるか」よりも「ウクライナ語に近いか」が重要となりつつあることが挙げられる。
第7章では、第3章から第6章まで行った分析をまとめ、全体で見られる言語イデオロギーの傾向について考察している。第6章で取り上げた2022年の資料を除いた傾向としては、1) ウクライナ語は質的に高い社会的評価を受けるが、量的な普及の不足が問題視される、2) ロシア語は質的に低い社会的評価を受けるが、量的な普及の高さが問題視される、3) スルジクも同様に、質的には低い社会的評価を受けるが、量的な普及の高さが問題視される、という共通点が見出せる。他方で、2022年以降の資料で新たに観察される現象は、この構図を大きく変えるものではない。ウクライナ語は3者の中で唯一、ロシア語とスルジクの双方に対して質的に高い評価を受けているのであって、ウクライナ語に対して既に低い社会的評価を受けるロシア語とスルジクの関係性が逆転したとしても、ウクライナ語の普及が図られるイデオロギー的傾向に違いは見られない。総じて、本論文で扱った資料から見られる言語イデオロギーはウクライナ語による単一言語主義であるが、その内実には、「国家語」の概念に代表されるナショナリズムや、「アンチスルジク」の活動に見られる純粋主義、ならびに「言語的距離」と「言語の純粋さ」のどちらが優先されるかといった、下位に位置するイデオロギーや、単一言語社会に向けた異なる戦略が観察される。
第8章では結論部として、本論文における考察の全体的な傾向として、ウクライナ語・ロシア語・スルジクに関連づけられる社会言語学的表象が、ウクライナ語による単一言語主義という言語イデオロギーを構成していることを論じている。
第1章では、ウクライナにおける言語問題の変遷と現在の状況について概略を示した上で、本論文の研究背景・研究のアプローチ・研究課題・主たる方法論・本論文の構成を述べている。
第2章では、まず第1部として、ウクライナの言語史を概観している。特に、現代のウクライナで広く用いられるウクライナ語とロシア語の歴史的関係性、ならびに17世紀以降にウクライナが被ったロシア語による言語的同化に焦点を当てている。第2部では、現代におけるウクライナの社会言語学的状況を取り扱っている。同国においてウクライナ語は唯一の「国家語」であり、独立後は普及政策が進められていたものの、歴史的な経緯からロシア語が広く用いられている状況は大きく変化しなかった。「国家語」の地位をウクライナ語に唯一のものとして留めるか、ロシア語にも「国家語」ないし一定の公的地位を認めるか、という問題は激しく政治化し、ウクライナ社会においても意見が対立していた。同国ではウクライナ語とロシア語のみならず、両語の混合語であるスルジクも普及しており、複雑な言語状況が形作られている。
第3章では、ウクライナにおいてウクライナ語にのみ付与される「国家語」の地位に関する考察をしている。「国家語」は旧ソ連諸国において言語の法的地位の名称として用いられるが、その定義と運用は各国によって異なる。そこで本章では、社会言語学において議論されてきた「national language」「official language」といった言語地位に関する用語の先行研究を取り上げ、ウクライナにおける「国家語」の定義と運用に見られる特徴を明かすことを目的としている。1989年の旧言語法から2019年の新言語法に至る、「国家語」に関する規定や裁判所の判断を見ると、ウクライナ語には「国家」を体現する最大限の実用的機能と象徴的機能が備わるようになったが、この背景には独立以後のウクライナ語の普及活動が結果をもたらさず、またロシアがハイブリッド戦争を活用する中、ウクライナ語を国民統合の象徴として位置付けるべく、詳細な法的規定が必要になったことを指摘している。
第4章では、「アンチスルジク」と呼ばれる、スルジクを対象とした言語純粋主義を考察している。「アンチスルジク」とは「反スルジク」のことを指し、1994年に出版された、ウクライナ語の「正しい表現」を紹介する書籍の題名に由来する。近年では「アンチスルジク」の名を冠する講演会・ウェブサイト・SNS上の動画投稿などが観察され、言語の専門家のみならず、一般人が「純粋なウクライナ語」を話すことを呼びかけている。これらの動きは、決してスルジクの話者を排除しようとしているのではなく、ウクライナ語とロシア語の二言語併用者がウクライナに多くいる中、両語の区別を呼びかけることで、人々の言語不安を軽減させることが目的であると言える。
第5章では、ウクライナのメディア言説における、ウクライナ語・ロシア語・スルジクの社会言語学的表象の分析を行っている。まず第2部では理論的枠組を説明している。社会言語学的表象とは言語に関して共有される知識のことを指し、これらは言説を通じて表明され、言語イデオロギーの構成部分となる。これらの表象には肯定的なものと否定的なものがあり、これらは言語の「多数化」と「少数化」の傾向として解釈することができる。よってウクライナにおけるウクライナ語・ロシア語・スルジクに関連づけられる社会言語学的表象の分析は、これら言語の社会的評価を導き出し、如何なる言語イデオロギーが展開されているか、考察することを可能とする。第3部では、2019年に収集したウクライナのウェブメディアが公開する言語問題に関連する記事を対象として、社会言語学的表象の分析を行っている。総じてウクライナ語はウクライナ文化・民族・国家を体現するのみならず、過去にロシア帝政・ソ連時代を通じて弾圧を被った人々を象徴するものとして扱われている。他方でロシア語は「他者」として取り上げられ、過去の圧政者のみならず、当時ドンバス戦争に関与していた敵国のロシア連邦を体現するものとして扱われる。混合語のスルジクは標準語の規範を備えない「非言語」として捉えられ、その話者は「無教養」のみならず「言語問題に無関心」といった否定的な文脈で語られる。第4部の考察では、ウクライナ語がロシア語とスルジクの双方に対して高い社会的評価を帯びる一方で、ロシア語もスルジクに対しては高い社会的評価を有していたことを指摘している。ロシア語は確かに「敵国」の言語であるものの、標準語を有し、多くの人々が用いる言語として、一定程度の権威性が認められていた。よって当時のウクライナにおける言語の社会的評価では、「ウクライナ語に近いか」よりも「言語であるか」の方が優先されており、「アンチスルジク」の事例と同様に、ウクライナ語とロシア語の区別の必要性が認識されていたことが結論づけられる。
第6章では、2022年2月24日に始まったロシア連邦によるウクライナに対する全面的侵攻により、ウクライナ人の言語態度が如何に変化したか論じている。第1部では侵攻前後の言語状況について、主に言語使用に関する統計データを取り上げることで、侵攻がウクライナ人の言語態度に如何なる影響を及ぼしたか論じている。各種の世論調査は2022年2月を境に、ウクライナ語の使用の増加とロシア語の使用の低下を報告しており、戦争によって多くの者がウクライナ語への「切り替え」を望んでいたことが分かる。第2部ではウクライナの言語問題におけるSNSの役割について考察している。1つの事例として、2023年に国際連合の公式アカウントが「ロシア語の日」を記念する投稿をしたが、同日にウクライナ中部の水力発電所が破壊される事件が起きたことにより、ウクライナ人の一般ユーザのみならず、ウクライナ政府の公式アカウントが反応することがあった。この件はSNSにおけるアクターの多様性のみならず、言語問題の文脈においても戦争という事態が今日的であることを示す。第3部は戦争による言語態度の変化を詳細に考察すべく、2022年2月24日以降の記事を対象に、第5章にて用いた理論と方法論を踏襲し、ウクライナ語・ロシア語・スルジクの社会言語学的表象の分析に充てている。戦争の中でウクライナ語の肯定的評価とロシア語の否定的評価は両極化しており、特に侵攻の初期では不審者に敢えてウクライナ語で話しかけることによって、工作員を見出すことが推奨されており、この文脈でウクライナ語は「自国の武器」、ロシア語は「敵国の武器」として扱われる。混合語のスルジクに対する評価は低いままであるが、ロシア語との社会的評価の関係が逆転しつつある。侵攻以後はスルジクのより「ウクライナ語に近い」言語的性質が着目されており、もともとロシア語を話していた人物が、ウクライナ語を話そうとする努力の結果、誤りとして話してしまうスルジクは許容されやすくなっている。よって範囲は限定的であるが、第5章における考察と大きく異なる点として、言語の相対的な評価において「言語であるか」よりも「ウクライナ語に近いか」が重要となりつつあることが挙げられる。
第7章では、第3章から第6章まで行った分析をまとめ、全体で見られる言語イデオロギーの傾向について考察している。第6章で取り上げた2022年の資料を除いた傾向としては、1) ウクライナ語は質的に高い社会的評価を受けるが、量的な普及の不足が問題視される、2) ロシア語は質的に低い社会的評価を受けるが、量的な普及の高さが問題視される、3) スルジクも同様に、質的には低い社会的評価を受けるが、量的な普及の高さが問題視される、という共通点が見出せる。他方で、2022年以降の資料で新たに観察される現象は、この構図を大きく変えるものではない。ウクライナ語は3者の中で唯一、ロシア語とスルジクの双方に対して質的に高い評価を受けているのであって、ウクライナ語に対して既に低い社会的評価を受けるロシア語とスルジクの関係性が逆転したとしても、ウクライナ語の普及が図られるイデオロギー的傾向に違いは見られない。総じて、本論文で扱った資料から見られる言語イデオロギーはウクライナ語による単一言語主義であるが、その内実には、「国家語」の概念に代表されるナショナリズムや、「アンチスルジク」の活動に見られる純粋主義、ならびに「言語的距離」と「言語の純粋さ」のどちらが優先されるかといった、下位に位置するイデオロギーや、単一言語社会に向けた異なる戦略が観察される。
第8章では結論部として、本論文における考察の全体的な傾向として、ウクライナ語・ロシア語・スルジクに関連づけられる社会言語学的表象が、ウクライナ語による単一言語主義という言語イデオロギーを構成していることを論じている。