スラヴ諸語における所有文―その構造と派生的構文の比較・類型論的研究―

野町 素己

本研究の目的
 本研究の目的は、スラヴ諸語における所有文の構造と意味の分析、および所有文から派生する諸構造の分析と記述である。所有は人間にとって普遍的な概念であるため、これを叙述する所有文も言語形式のなかでは最も基本的なものであるが、そのパターンは様々であることが知られている。本研究では、この所有文を、所有を表す他の言語形式(所有句、外部的所有構造)との相関関係において位置づけて分析を行い、これを手掛かりに、所有文から派生する諸文法構造を分析し、スラヴ諸語の類型化を行うものである。
 さらに、こうして得られた類型論的なデータを踏まえ、言語発生的な視点に基づくスラヴ諸語の分類では説明できない差異として現れる文法構造的の特徴とその原因の究明を目指すものである 。

 

本研究の独自性
 従来のスラヴ諸語比較文法研究やスラヴ諸語類型論研究に見られる、言語を内的システムととらえて記述・分析しそれを比較するという手法を踏まえながらも、本研究では、言語の発生的側面に基づく差異と、言語接触に基づく言語変化という二つの側面から記述、分析、類型化することを試みた。この際、分析対象の文法構造の地理的分布を考慮に入れたことに従来の研究との違いがある。
 また、本研究では、様々な与格構文、複合時称(所有完了)、受動構文などが所有文から派生していることを示し、所有を表す言語構造の相互関係を根幹とする類型論的基準がいかに多様であるかを提示した。上記カテゴリーは、スラヴ諸語類型論的研究における文法記述では通常別個に扱われてきたが、本研究は、こうしたカテゴリーごとの縦割り的研究では見出せなかった、カテゴリー間の連続性を明らかにした。
 また、本研究では、ロシア語、ポーランド語、セルビア語といったメジャーなスラヴ諸語の標準語データを踏まえている他、従来のスラヴ諸語の類型論的研究では扱いが比較的小さかったスロヴェニア語、あるいは、重要であっても十分なデータが存在しないために適当な分析がされてこなかったカシュブ語やその他のスラヴ語の方言データも分析対象としている。分析対象となる資料は、必要に応じてフィールドワークを行い、その結果得られた新たな資料に基づいて分析を行ったため、独自性の高い成果を出した。
 本研究はさらに、類型論的な研究価値だけでなく、個別語研究としての価値も有している。例えば、カシュブ語に関して言えば、伝統的には音韻、形態、語彙研究が中心であった。そのため、「文法化理論」に照らし合わせて分析した、複合時制とこれに関連する時制構造の歴史的変化、受容者受動構文に関する研究の成果は、本論文が目的とするスラヴ諸語研究類型論の研究成果であるのはもちろんのこと、カシュブ語形態統語論研究の新たな一ページを開くものでもある。

 

本研究の構成と概要
 本論文は、合計5章で構成されている。各章の題目は以下の通りである。
 
 第1章:「所有性の概観:所有性の意味と構造、その規定に関する諸問題」
 第2章:「スラヴ諸語の所有表現の諸構造と所有文の類型」
 第3章:「所有文と派生的な「半所有文」に基づくスラヴ諸語の類型」
 第4章:「所有文から複合時称へ」
 第5章:「所有文から受動構文へ」
 
 第1章では、本論文が扱う「所有性」の概念のさまざまな局面を概観し、これまでに行われてきた概念規定の試みと、規定の際に現れる諸問題について論じている。ここでは特にRonald Langacker、Bernd Heine、Robert Dixonなどによる、所有性の類型とその規定に関する先行研究を議論の土台としたうえで、まず、所有性を一義的に規定することは不可能であり、プロトタイプ的なアプローチが有効であることを論じた。さらに、通常指摘される「恒常的な可譲渡所有」に加えて、「有生の不可譲渡所有」もまた所有性のプロトタイプとみなせ、むしろ後者が前者の前提となっている可能性を示した。
 第2章は、Vjačeslav Ivanov他による、スラヴ諸語とバルカン諸語の所有性に関する類型論的研究、およびLeon Stassenによる所有文の類型論的研究などに基づき、スラヴ諸語が有する所有表現における言語構造の概観と分類を行うものである。ここでは、特にロシア語(東スラヴ)、ポーランド語(西スラヴ)、セルビア語(南スラヴ)の3言語を中心に扱っている。名詞句のレベルで所有の意味を表す「所有句」、文レベルで所有の意味を叙述する「所有文」を所有表現の主要な構造として挙げ、この二つの構造と相互関係、その意味的・語用論的な非対称性について分析を行った。
 続いて、これらの統語構造と相関関係にある「外部的所有(External Possession)」構造を、Martin Haspelmathが提唱する外部所有構造への「傾斜」を考慮に入れ、東スラヴ諸語、西スラヴ諸語、南スラヴ諸語における当該構造の類型および傾向の違いを論じた。ここでは、セルビア語における与格構造への偏向、ロシア語における前置詞U+属格への偏向、その中間的な位置づけである西スラヴ諸語という類型的な特徴を明らかにした。
 第3章では、Roman MrázekやAleksandr Isačenkoらが提唱するスラヴ諸語の「beタイプ言語」と「haveタイプ言語」への類型に基づき、所有文の諸構造とその類型パターンについて論じた。本章で分析の中心となったのは、スロヴェニア語の所有文と、その派生構文で、構造的には「所有句」と「所有文」の中間的存在である「半所有文」である。
 西スラヴ諸語および南スラヴ諸語は、従来区別なく「haveタイプ言語」と分類されてきたが、本章で示されるように「半所有文」の実現形式に基づいて類型化した場合、これらの言語はさらに「haveタイプ」(西スラヴ諸語、スロヴェニア語)と「beタイプ」(セルビア語、ブルガリア語、マケドニア語)に下位分類が可能であり、その分布と傾向には地理的な相関があることが示された。この基準によると、従来南スラヴ語群に分類されるスロヴェニア語は、他の南スラヴ諸語よりも「haveパターン」に偏りを示し、これは西スラヴ諸語(特にスロヴァキア語)に近く、西スラヴ諸語と南スラヴ諸語の中間的なパターンであることが明らかにされた。
 スロヴェニア語と西スラヴ諸語に見られる「類型論的な近さ」が生じた背景には、スロヴェニア語が西スラヴ諸語同様に西ヨーロッパ諸語、特に典型的な「haveタイプ言語」であるドイツ語圏に長く属し、その影響を受け続けて「haveシフト」の傾向が強かったこと、これに対しスロヴェニア語以外の南スラヴ諸語(特にセルビア語、ブルガリア語、マケドニア語)は、歴史的・地理的に西ヨーロッパ諸語との接触が弱かったこともあり、「beタイプ」の要素が保持されやすかったことが原因になっていることを示した。
 第4章では、主に西スラヴ諸語、特にカシュブ語とポーランド語を対象として、通時的に所有文から派生した複合時称とみなされる形態統語形式の、いわゆる「所有完了」(「結果相」または「完了相」を意味する構文)の比較に基づく分析を行った。
 西ヨーロッパを「言語連合」とみなす立場から当該構文を言語横断的に検証したBridget Drinka、Bernd HeineおよびTania Kutevaらによると、西、南スラヴ諸語における「所有完了」は、ドイツ語などとの言語接触から生じたものであるという。本章では、ポーランド語の「所有完了」が実際にドイツ語の影響によるものなのか、それとも言語の内的発達によって生じた構造であるのかという観点から分析した。分析の際、まず、スラヴ諸語全体の過去時制の形態的パターンと変化の傾向に従うと「北スラヴ諸語」と「南スラヴ諸語」という分類が可能であることの妥当性を示し、その枠内でカシュブ語とポーランド語の所有完了の比較分析を行った。その結果、文法化の度合いが低いポーランド語の所有完了は、純粋に形態論カテゴリーに属しているとは言えないこと、またドイツ語の使用とは関わりなくその使用域が拡大していることから、主にドイツ語からの直接的な影響に基づくのではなく、言語の内的発達によって生じた可能性が高いことを論じた。
 これに対し、カシュブ語の所有完了は、その文法化の度合いの高さから、ポーランド語や他の西スラヴ諸語とは異なり、ドイツ語の影響を受けた結果文法的なカテゴリーとして借用されたため、形態統語論的なカテゴリーではなく、形態論カテゴリーに属する構造であることを明らかにした。
 第5章では、所有対象の移動の有無という点から所有関係を「静的」および「動的」な局面に分類でき、それに対応して所有文を「静的」なタイプと「動的」なタイプに拡張できることを示した。これを踏まえ、Alexandr Isačenkoが論じた「『haveタイプ言語』は、所有の動的側面を示す動詞(例えばget動詞やgive動詞)の文法化の度合いが高度になる」という仮説について、主に言語の内的発達ではなく言語接触という側面に注目し、get動詞を含む構文の拡張と文法化について論じた。
 具体的には、Bernd Heineが提唱する「文法化理論」を分析の枠組みとし、従来は文法カテゴリーとして言及されなかったカシュブ語の「受容者受動構文」を、「文法化の度合い」という観点から分析した。その際、カシュブ語同様に、かつてドイツ語圏に属し、スラヴ語とドイツ語との複数言語使用を経験した(あるいは現在も経験している)西スラヴ諸語やスロヴェニア語、ブルゲンラント・クロアチア語における受容者受動構文の借用と文法化の度合いを比較対象として採り上げた。
 この結果、カシュブ語の、他のスラヴ語には見られない以下のような特殊性が明らかになった。それは、カシュブ語では、当該構文が形式的には高度な文法化を示すが、意味範囲には多くの制限があり、構造と生産性に大きな乖離があること、また、カシュブ語の受容者受動構文の形式的な文法化の度合いの高さは、文法化の内的プロセスだけではなく、カシュブ語の「所有完了」との構造的、意味的類似に基づく類推、あるいは内的な影響関係が原因となっていることである。

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