言語的普遍性と言語的特異性は一つの実体<言語>の二側面としてあり、どちらに比重が偏ってもその言語の本質を表わしているとは言えない。今日のアスペクト研究において、諸言語に広く存在するアスペクト的意味特徴を洗い出す作業も重要ではあるが、どのような形である意味特徴が各言語で実現するかという点も類型論的および実践的な側面から重要であることは言うまでもない。
本論文の目的は、アスペクトの普遍的意味カテゴリーとしての可能性と個別言語におけるその言語相対的特徴との狭間で、ロシア語と日本語において諸アスペクト意味がどのように実現するかという点を、特に対象言語における開始表現に焦点をあて検討することにある。その際、本論文では普遍性に方向付けられた対照基盤として、vonWrightによる事象の存在論的分類(状態、過程、出来事)、および諸アスペクト的意味特徴を取り上げ、各々に詳細な検討を加えた(静態性、動態性、プロセス性、持続性、終了指示性、限界性、異質性、均質性、変化、安定性)。一方、言語的相対性を記述する手段として個別言語に特徴的な意味を表わす「意味的優勢素」の概念を援用する。意味的優勢素は次のような特徴を持つ-(1)当該の意味野が対象となる言語で“綿密に”構成されていること(多様な言語レベルに有意味である);(2)当該の意味の表示手段がその言語で高い使用頻度を有すること;(3)当該の意味表現が発話において低い意図性を有すること;(4)他言語への翻訳の難しさ等(Wierzbicka,Падучева,Петрухина)。
アスペクト機能意味野における意味的優勢素を、Петрухинаに従い、ロシア語では《限界・境界》と規定する。これはアスペクト的動詞分類における終了指示性(Маслов)の有意義性(体ペア形成)、完了体による文法的限界性(Виноградов)の指示、限界の概念を多様に表わす表現手段の豊富さ(動作様式)等の理由に拠る。《限界/境界》概念の優位性はロシア語において限界性が表わされる際に、通常、どのような限界であるかを明確に提示しなければならないという点に特徴的に現れる。日本語においては、最大限に文法化されたアスペクト的指標テイル形は過程と状態の記述に使用、アスペクト的動詞分類における終了指示性の無関与、ル/タ形による限界性指示の劣勢、過程・状態の多様なバリアントを提示する語形成手段の豊富さ(テアル形、テオク形、テイク形、テミル形等)から、状態と過程の上位概念である《安定性》を意味的優勢素として規定する。本論文では第一部において、ロシア語の意味的優勢素《限界・境界》が、日本語との対照において、どれほど優勢なのか(逆を言えば、日本語において当該の意味はどれだけ劣勢なのか)を明らかにし、第二部では、限界性の一バリアントである開始性について、そのロシア語における優位性と日本語における劣勢な地位を具体的な言語資料を用いて検討した。
両言語の文学作品とその翻訳からなる言語資料を分析した結果、ロシア語のテキストにおける開始表現の使用頻度は、日本語のそれより多く、その数量的優位性は原文か翻訳かに関わらず、全ての作品において認められる。これはロシア語の開始意味が、特に語りのテキストにおいて、語彙意味としてのニーズより、限界の概念が非本質的な均質的事象に対してその限界付けを義務付けるという、アスペクト-タクシス体系に条件付けられて登場することが要因の一つとなる。このような場合の開始意味は文法的意味に近似し、従って、話者による表現の“意図性”が低い。また、ロシア語では開始性の意味分類が日本語のそれより詳細であり(起動的開始性、導入的開始性、状態変化的開始性)、多様な語形成手段(за-,по-,раз-ся等)、位相動詞構文(начать,стать等)によって表わされる。一方、日本語において「-始める」「-出す」といった明示的な開始意味の表現手段によって表されるのは主に起動的開始性であり、静態性の高い動的事象に対しては開始表現が用いられることが少ない。日本語では動的事象の位相限界(開始性)を語彙的に“明示化することもできるが明示化しなくてもよい”という傾向が見られ、このことは開始性の意味付け(限界性の意味づけ)が日本語ではかなりの程度話者の任意であることを示唆する。ロシア語の開始表現に日本語の開始表現が対応しない場合、日本語においてはル形/タ形が用いられることが多いが、それは必ずしも開始限界を暗示するわけではない(コンテキストに依存)。また、《安定性》を表わす語形成手段が対応する例も見出される(テミル形、テイク形、テクル形)。コンテキストによって与えられる言外状況が、ロシア語ではより“限界”に着目した表現で記述され、日本語ではより“安定的な”解釈を好んで記述される傾向にあることは、各対象言語に備わる言語的世界像の一端と考えられる。