N. V. ゴーゴリの異本論1840年代から1910年代におけるゴーゴリ作品の受容の分析

大野 斉子

この論文は文学作品がどのようにして社会に普及し、長い間に古典として定着したのか、そのプロセスとシステムを研究するものである。論考にあたって題材に選んだのは19世紀前半のゴーゴリの作品である。その理由はゴーゴリの作品が19世紀を通じて様々な異本として再生産されてきたこと、そして異本と受容層に他の作家に比べて際だった多様性を見せていることにある。しかし本論はゴーゴリ作品の受容の歴史というよりも、文学作品の大衆化と古典化のメカニズムを考察することに主眼をおいているため、ゴーゴリ作品の分析はそのより普遍的な問いのケーススタディとして位置づけている。
作品の普及と古典化は、作品の研究だけでは解明できない。作品研究と集団的な受容の研究では、その個別性と集団的な受容の変化を扱う際の論理が異なるためである。この論文では、その個別性と集団の変化の両方を論じるための理論的な枠組みとしてシステム論に多くを負っている。これは受容のプロセスで生じる個々の変化と、集団的な受容との連関を見いだす上で有効に機能する。そればかりでなく作品の受容のプロセスにみられる不確実性、時間の経過、一貫性のなさなどノイズとして排除されかねないことを説明する論理をその中に含んでおり、受容の個別の事例を一つのシステムの中でとらえることを可能にする。
この研究が異本の研究であることはこのことと深く関わっている。異本は個別の読み方や時代ごとの流行の産物である一方、それを異本群としてみたときには社会のシステムや、文学作品を介した集団的なコミュニケーションの変化を表すものだからである。異本論を通じて、本を読めない大衆の間でゴーゴリの作品がよく知られていたのはなぜかという疑問、あるいは多様なメディアにゴーゴリ作品が使われたのはなぜかといった様々な問題に対する考察が可能となる。
この論文では1840年代から20世紀初頭までを研究の対象時期として定めている。ゴーゴリ作品がどのように大衆化し、古典として受け入れられたかを論じるため、論の大半はゴーゴリ以後を扱っている。20世紀初頭を区切りとしたのは、このときまでにゴーゴリの受容に大衆化と古典化を示す構造的な変化が生じているためである。
しかしこれは通史ではない。全体を通じて本論文はゴーゴリ作品の異本が産出されるシステムや、受容の仕方の変化を軸としてテーマごとに論考を行っている。第一部では異本とは何かについて、一つの出版物を題材に詳細に論じる。第二部では、社会的な文脈による作品の読み方の変化と、それが後に受容の再生産に果たす役割について論じる。第三部では個別の文学作品が文化的遺産として構築される際に異本が果たす役割を論じる。

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