アレクサンドル・ブローク 批評と詩学 ――焼身から世界の火災へ――

奈倉 有里

 本論文は、詩人アレクサンドル・ブローク(1880-1921)の批評と詩学について論じたものであり、著者がこれまでに公表してきたいくつかの論文や学会発表をもとに全体を組み直し、大幅に改定・加筆を施したものである。

 

 「はじめに」では、本論を通じて共通する問題の提起がなされる。文学にかんする学術研究や批評のなかには、許容されてはいるが「事実の陳述ではない」言説というものがある。ノースロップ・フライの言うように、「シェイクスピアは1600年ごろに活躍していた劇作家群の一人であり、世界の偉大な詩人の一人でもある、とわれわれは言う。この前半は事実の陳述であり、後半は事実の陳述として通用するほど一般に認められている価値判断である。しかし、事実の陳述ではない[1]」。

 私たちは、どのような作家あるいは作品が偉大であるかという問いに学術的に答えることはできない。アレクサンドル・ブロークという詩人について、生前から現代まで1世紀と少しのあいだに書かれてきた記述には、常にさまざまな評価がつきまとってきた。肯定的な評価にせよ否定的な評価にせよ、そこには常に著述者の価値判断が伴い、それによりそれらの言説は互いに矛盾しあいながら共存している。本論は、ブロークにまつわる言説に存在するそのような矛盾の歴史的基盤を読み解くことをひとつの目的としている。

 

 第I部「自叙と解釈」は、以下の第1〜3章から成り、それぞれの章で、伝記的背景の確認、伝記にまつわる論争と『自伝』の関連性、批評に対する姿勢をみていくことにより、自叙と批評との相互関係について論じながら、これまでの研究や批評のなかで度々争点となった問題点について検証していく。

 第1章「いくつかの伝記的背景」では、ブロークの出生と幼少期の家庭環境を、同時代の人々の回想や書簡といった資料に基づいて追っていく。この章は以降の章に入るうえでの背景的知識を確認するものであるため、実際に批評や詩学の成り立ちを検証していく2章以降とは性質が異なるが、議論の前提となる事実確認として設けた。

 第2章「『自伝』の解釈とナショナリズムの問題」は2017年の『SLAVISTIKA』第32号に掲載された『アレクサンドル・ブロークの伝記研究における問題点――『自伝』を中心に』が初出であり、本論のなかではもっとも改稿の少ない章である。この章でみていくのは、これまでの研究において頻繁に引用されてきた1915年の『自伝』と、それに関連し現代まで続いてきた二つの論争である。ひとつめの論争は、ブロークの父方の出自がドイツ系であることについてそれをどう受け止めるかということについての論争であり、ふたつめの論争は、ブロークが幼少期に受けたフランス詩の影響についての論争である。どちらの場合も、ブローク自身の言葉として『自伝』が頻繁に引き合いに出されてきた。だがこの『自伝』は、もともと1911年にФ. Ф. フィドレルが複数の作家に対し、当時流行していたアンケートの形式で行なったものであり、1915年の『自伝』はアンケートの質問部分を削除してはいるが、その内容を引き継いだうえで改稿を加えたものであった。この1911年から1915年までのブロークの詩人としての経緯と、改稿箇所と内容をあわせて検証してみると、1915年の『自伝』におけるブローク自身の言葉は、まったく文字通りに受け止められるものではなかったことがわかる。それらの言葉が、それまでの象徴主義の詩人を中心とした論争を強く意識したうえで、その論争のなかで生み出された自身の詩人像を打ち消す目的を有しているためである。さらにそれら二つの問題は、文学批評や教科書のコンテクストにおけるナショナリズムの問題と深く結びついている。この点について、ブローク自身の姿勢と照らし合わせて検証すると、第3章に続く新たな問題点が浮上する。

 第3章「ブロークに対する批評/ブロークによる批評」は中村唯史を代表者とする共同研究「近代ロシア文化の『自叙』の研究――自伝的散文と回想を中心に」の一環として取り組んだテーマであり、2018年3月に水声社から出版された論集『自叙の迷宮――近代ロシア文化における自伝的言説』に掲載された論文「アレクサンドル・ブローク批評における『同語反復』」をもとにしている。この第3章では、第2章の最後で浮上した新たな問題――ブロークの文芸批評に対する批判的な態度がいかに徹底していたかを検証した。この章で追究したのはブロークの、自らの死後に批評家や文学研究者が用意すると予測されるすべての「枠組み」から永久に逃れ続けようとするスタンスの確立である。とりわけ重要なのは、そのスタンスが、一切の枠組みを否定するという単純な姿勢のみで成り立っているわけではなく、あらゆる潮流を、ときには擁護し、ときには批判しながら、その枠組みに対し「曖昧」な態度をとり続けるという点である。

 

 第II部「『初恋』と『火』の詩学」は、以下の第4、5章から成り、それぞれの章で、初期の詩作の始まりとアナムネーシスの詩学、ブロークの抒情詩を中心とした作品における「火」の詩学を検証していく。

 第4章は第3章と同じ共同研究の課題として、2016年の秋に北海道大学に於いておこなわれた日本ロシア文学会全国大会ワークショップ「20世紀前半のロシア文化における自叙の問題」での発表「K. M. C. ――ブロークの『初恋』と詩作の始まり」をもとに、大幅に加筆したものである。この章では、第3章で検証したブロークの「曖昧」なスタンスが生まれた経緯に着目し、まずブロークによるサドフスカヤ宛の書簡を確認することで、ブロークが書簡のやりとりを通じて「詩人」となっていった跡を追った。そして、サドフスカヤにかんする詩を書いたいくつかの時期のブロークの文章をあわせて検証することにより、ブロークの「初恋」と「詩作」が、ともにアナムネーシスというブロークの詩学にとって重要な概念に密接に結びついている可能性を導き出した。そしてその「アナムネーシス」の働きによって記憶を詩として永続的なものにしようとするブロークの作為をみた。

 そしてこれらすべての論を踏まえ、ブロークの詩作の核となるものを探し続けた結果として浮かびあがってきたのが、第5章のテーマ「火の詩学――焼身から世界の火災へ」であった。本論全体の副題もここからとられており、分量的にももっとも多い章である。結局のところ、ブロークの詩学の本質とは、なにかの評価によって定められ上書きされるようなものではなく、ありとあらゆる評価を避けようとするブロークの「曖昧さ」と、それによってむしろ様々な評価を引き寄せてしまう矛盾との、その複雑な相互作用ではないのか。そして、そのような複雑な交流の様子をつぶさに腑分けしながら追うことこそ、ブロークの詩学を考えるうえで、価値判断という陥穽におちいらずに事実の陳述を目指すための、かぼそい紐帯であるのではないか。

 では彼の詩のなかになにか、その紐帯をたどるための僅かな目印があるとしたら、それはなんだろう。そのヒントとなったのは、Ю. М. ロトマンの短い論評における、ブロークの幼少期における「火」の衝撃は、Л. Н. トルストイの「緑の杖」に匹敵するのではないかという指摘であった。しかしこの「匹敵」は、「好対照」ともとれる「匹敵」である。トルストイの場合は、それ自体に倫理的要素の強い「緑の杖」を、意識的に記憶している。だがブロークは、それ自体が捉えどころのない「火」に、おそらく強烈な衝撃を受けたはずであるのに、自分ではそれを認識していない。しかし彼の詩を中心とした著作を、順を追って読んでいくと、それらのテクストは実に雄弁に語っていたのである――ブロークが無意識のなかにその衝撃を抱え込み、その衝撃が、肯定/否定という価値判断を超えた状態で現れていく様を。その「火」は少年時代に心に宿り、「初恋」とともに勢いよく燃えあがり、強い力で焼死へと誘い、あらゆる対照物と不可分に隣りあいながらも融合せず、無政府主義者に出会って「世界の大炎上」を夢見、失意のなかでくすぶりながらも火種をあたため、革命のなかで吹雪とのコントラストを描いたのち、燃え尽きたように静まりながら、ソヴィエトの火葬場に消える。この最終章でみてきたように火とはブロークにとって詩情そのものであり、生命そのものである――いうならばそれは、初恋と同時に燃えあがった生きざまであり、輪郭のない曖昧な彼のスタンスでもあり、奇しくも詩人の出自から死に向かう形で書き連ねてきた本論のテーマ全体を通じて宿る、微かではあるが確かな、目印でもあるのだろう。

 このように第5章ではブロークの作品における「火」を、詩のなかでそれと対比される概念などと突きあわせて検証しながら読み解き、ブロークにおける「火」の発生から消滅までの経緯を、創作活動の全般をおさえつつ追った。1章から4章の流れを受けたうえで、この作業をおこなうことにより、ブロークの詩学のひとつの核を浮かび上がらせることが、本論の最大の狙いである。

 



[1] ノースロップ・フライ(海老根宏、中村健二、出淵博、山内久明訳)『批評の解剖〈新装版〉』法政大学出版局、2013年、30頁

 

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