G・マードック氏連続講演会

ダブリン・トリニティ・カレッジ専任講師グレイム・マードック氏の連続講演会

第1回
日時:2010年3月9日(火)13:30-17:30
場所:東京大学(本郷キャンパス)法文1号館3階315番教室
講演題目:近世トランシルヴァニアにおけるキリスト教諸宗派の関係

第2回
日時:3月12日(金)13:30-17:30
場所:東京大学(駒場キャンパス)18号館4階コラボレーションルーム3
講演題目:ハンガリー改革派教会とカルヴァン派国際主義

第3回
日時:3月13日(土)13:30-17:30
場所:東京大学(駒場キャンパス)18号館1階ホール
講演題目:近世西ヨーロッパを旅するハンガリー人たち

コメンテータ:小山哲(京都大学大学院文学研究科教授)

本科研の第1回海外招聘として、アイルランド共和国のダブリン・トリニティ・カレッジ専任講師グレイム・マードック氏による連続講演会が2010年3月9日、12日、13日、東京大学本郷および駒場キャンパスにおいて開催された。

第1回講演は、近世トランシルヴァニアにおいてローマ・カトリック、ルター派、カルヴァン派(改革派)、反三位一体派という4つのキリスト教諸宗派の共存が実現した過程を論じている。異宗派共存は、オスマン・トルコとハプスブルク家という二大勢力の狭間でトランシルヴァニアの支配者層が政治的必要性から認知せざるをえなかった妥協の産物であり、近代的寛容に通じる思想から発したものではない。例えばルーマニア系農民層の大半は東方正教会の信徒であったが、政治的影響力を持ち得なかったために、宗教寛容は認められなかった。また、法定の4宗派はいずれも単独の国家教会となりえなかったために、かえって互いに論難を応酬しあった。17世紀になると改革派教会が優勢になったが、公国内の政治的安定と社会的平安のために、4宗派共存の原則は遵守されたのである。

第2回講演においては、改革派教会に焦点があてられ、近世ハンガリー王国およびトランシルヴァニア公国における改革派教会の発展を、域外の改革派教会からの影響とその受容、独自の教理問答の普及、西ヨーロッパへの留学(三十年戦争まではハイデルベルク大学がもっとも人気があり、三十年戦争後はオランダの諸大学が好まれた。大学のないジュネーヴに留学するものはほとんどいなかった)等、多くの事例を挙げながら説明された。

第3回講演においては、近世西ヨーロッパを旅したハンガリー人の手記が紹介され、宗派抗争の時代に彼らがハンガリー以外のヨーロッパをどのように捉えたのかが紹介された。そしてとりあげられた旅行記では、ヨーロッパ像、あるいは西ヨーロッパと東ヨーロッパの差異を概念化するよりも、西ヨーロッパの都市や建造物を個別に故郷ハンガリーの文物と比較を行うことが主であり、ナショナルな偏見よりも宗派的偏見のほうがより強烈な考えの枠組みを形成していることなどが指摘された。この講演には京都大学の小山哲氏が、ポーランド史研究者の立場から、近世ポーランド人の旅行記との比較をおこない、言語の問題、宗派的・国制的およびヨーロッパ的アイデンティティについてコメントを行なった。

いずれの講演会の後にも、活発な質疑応答が行なわれた。第一回目においては、まず宗教史およびハンガリー史における用語の確認がなされた。「カルヴァン派」と「改革派」がどういった時に使い分けられるか、ハンガリーおよびトランシルヴァニアで勢力をたもった反三位一体派の性格について等、丁寧な説明があった。つづいて商業活動の活発な近世オランダやナント王令発布後のフランスにおいても一定の異宗派共存があったという指摘がなされ、トランシルヴァニアとの比較が検討された。またアイルランド史の立場からは、アイルランドにおいては近代を通して異宗派共存が失敗に終わった点が言及され、トランシルヴァニアとアイルランドとの決定的な差異について質問があった。これら他地域との比較においてマードック氏は、トランシルヴァニアは、地政学的環境から多様な文化を経験していたこと、外的脅威に対して宗教的多元主義が政治的安定のための最善策という現実認識があったことを強調した。

第二回目においては、プロテスタンティズムの伝播と活字文化の関連について多くの質問がなされ、教理問答に依存した思想伝播の限界について補足があった(農村部や貧民にはプロテスタンティズムはあまり受け入れられなかった)。その一方で、1560年代にはトランシルヴァニアの改革派は、オランダ、フランス、ドイツの一部、ポーランドの改革派と同じ文化や同胞愛を共有しており、そこにはトランスナショナルなカルヴァン派世界が存在していたと主張した。これに対して、ドルドレヒト教会会議や三十年戦争前夜の千年王国思想・薔薇十字思想の影響に関して質問があった。

第三回目においては、小山氏が言語問題については社会層によって差があるのではないかとラテン語嫌いなポーランド貴族の例をあげた。また宗教的・国制的アイデンティティとヨーロッパ的アイデンティティについては、小山氏は、18世紀まで前者が大きな影響力をもっていた点を強調した。マードック氏はこれに同意しながら、17世紀後半になると文化的な西ヨーロッパに対してハンガリーの後進性を意識したような記述も現れることを指摘し、これはハンガリーにおける改革派共同体の弱体化に対応しているのではないかと結論づけた。

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