2012年度第2回研究会

本科研の第8回(2012年度第2回)研究会は、2012年12月28日と29日に長崎市のベストウェスタンプレミアホテル長崎にて開催され、初日は研究代表者・研究分担者・連携研究者・研究協力者・ゲスト合わせて18名が出席し、2日目は講演のためにゲストを招き19名が出席した。

はじめに研究代表者・深沢克己より以下の報告がなされた。まず2012年度予算と執行状況が説明され、つづいて10月に開催された国際シンポジウムの報告について、ホームページの掲載準備の状況が確認された。また本科研の成果を総括する論文集の出版計画について、具体的な話し合いがおこなわれた。

次に連携研究者の踊共二が、「スイス再洗礼派の分裂とアーミシュの出現―排除と寛容のダイナミズム」と題する研究報告をおこなった。これは近世ヨーロッパにおいて知識層による寛容論が生成される以前から、無名の聖職者や信徒層を担い手とする草の根の寛容思想が形成されていたことを論じた報告であり、その事例として再洗礼派運動における赦しと寛容の伝統、それを受け継いだアマン派出現の過程が示された。

今回の研究会は本科研の最終研究会となるため、この4年間を振り返る統括報告がおこなわれた。まず、研究分担者である黒木英充が自らの担当分野(地中海の東側/中東地域)とその問題領域を振り返り、今後の研究素材とその可能性を提示した。次に同じく研究分担者である勝田俊輔が近代ブリテン諸島における宗教問題を整理し、アイルランドの宗派間関係史においては、純粋な信仰における対立とそれ以外の対立を区別する必要があると指摘し、今後の課題を述べた。質疑応答の際には宗教の内面的理解について議論するための分析概念がまだ確立されていないことが指摘された。

最後に研究代表者である深沢克己が国際シンポジウムの総括と今後の課題について述べた。本科研の出発点は世俗化史観の脱却と対立史観の克服であったことを確認したのち、4年間の反省点として異なる専門分野間での対話・相互理解がなお不充分であることを指摘した。国際シンポジウムの総括として分析視角を整理した上で自己/他者空間の多層性や宗派的規範の交渉といった論点を提示し、今後の課題として二元論的思考法を克服するために照応関係・内在的一致の視点から歴史を解釈する試みの重要性について論じると、活発な意見交換がおこなわれた。

2日目には東洋大学文学部の神田千里教授による「キリシタンと在来信仰との融和・相剋—16世紀・17世紀前期を中心に」と題する報告がおこなわれた。日本におけるキリスト教の急速な受容の背景にはキリスト教と仏教や日本の信仰習俗との類似性があり、当時は在来信仰とキリスト教は共存可能と考えられていたこと、島原の乱がキリスト教の排除を決定づけたとする議論は本科研にとって大きな刺激となった。

つづいて長崎歴史文化博物館の大石一久氏による報告「日本におけるキリシタン墓碑の様相」がおこなわれた。大石氏はキリシタン墓碑の定義、分類、分布地の分析というアプローチから、キリシタンの葬制とキリシタン伏碑登場の背景や、江戸時代以降もキリシタンの信仰維持を可能とした外海や五島列島の事情を明らかにされた。いずれの報告にも活発な質疑応答がつづいた。

研究会終了後の12月29日午後から翌日30日にかけて、長崎市内の唐寺や日本二十六聖人殉教地、外海のカクレキリシタン墓地などを訪問した。大石報告で言及のあった垣内墓地と枯松神社を訪問し、またカクレキリシタン爺役の方から話をうかがった。現代に至るまで生き続けているカクレキリシタンの信仰や、周囲の仏教徒やカトリックとの棲み分けを実際に見聞することは、異宗教・異宗派間の融和の試みと実践について認識を深める機会となった。

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