「調査」につづく「評価」「周知化」も文学部の大切な仕事
髙岸 次にキャンパスの知られざる遺産を今後どうしていくか、という話に移りたいと思います。
堀内 私たちが行っている考古学はまず、「調査」、「評価」、そして「周知化」として発信することで世間に認知されます。特に「周知化」は文学部にとって大事な仕事です。

図8 シンポジウムのポスター
芳賀 今年3月に「東大にねむる加賀藩本郷邸と江戸の宴」というタイトルでシンポジウムを行いましたが、まさに皆さんに知っていただくという周知化を文学部への寄附金を使って開催させていただきました。文学部から一般に公開・発信して、共有しようという試みです。
鈴木 そういえば堀内さんと松田さんがヒューマニティーズセンターで講演してくださった「古くて新しい学術資産-東京大学の埋蔵文化財-」講演録のブックレット、あれも寄附をいただけたからこその企画でしたね。発掘自体は全学の予算だけど、発信は文学部が中心となって寄付に支えられてやっているわけです。
髙岸 「考古学」というと遺跡を掘る、そして出てきた石器や土器が復元されて博物館に展示されているというのが一般的なイメージです。実はこれら資料ひとつひとつの扱い、あるいは周知化し、学会の外に発信する方法については、人文学が試行錯誤を繰り返してきたと思います。堀内さんは、「近世考古学」という比較的新しい時代を扱っていることになりますがいかがでしょう。
堀内 新しい時代の研究であれば、「モノ」とは違う歴史の伝達コードが存在します。それは絵画資料であったり、文字資料であったり、現存する建築物であったり、そういったものなどを有機的につなげていって評価をしていく。そして、今、髙岸さんがおっしゃったような発信は、歴史語でつむいで語っていくというようなプロセスを考えると、調査についてはさまざまな手法はありますが、やはり評価・周知化はどうしても人文的な要素が強くなっていくと思います。
文化資源学の研究アプローチ
髙岸 松田さんは・人文社会系研究科に2000年に創設された文化資源学という新しい専攻に所属されていますが、その研究方法の特徴をお聞かせください。
松田 文化資源学研究専攻では、既によく使われている「文化財」や「文化遺産」という言葉とあえて差をつけてというか、異なる意味を加えるべく「文化資源」という言葉を使い始めました。そこにさらに「学」が付くのですが、その意図は、「文化財」や「文化遺産」のような価値はいまだ定まっていないけれども、文化の理解を深めてくれる資料群が世の中にはたくさんあるので、そうしたものを文化の「資源」として研究してみようというものでした。いまだ正体がよくわからないけれども、おもしろいと思うものを徹底的に掘り下げることによって新たな価値を生み出してみようという発想から、文化資源学は生まれました。
「鉱物資源」や「海洋資源」に少し似ていますが、文化資源がどこに眠っているかは現時点でははっきりと定まっていないため、その見定めから始めないといけません。でも、ひょっとしたら大きな価値がその資源には眠っているかもしれないため、探査してみようという感じですね。
この文化資源学っぽい話としては、赤門脇のトイレについての調査があります。第1部で、東大は赤門北側に「だれでもトイレ」を作ろうとしていたという話が出ましたよね。当時大学が言っていたのは、赤門脇に良いトイレがあると多くの人が助かるだろうということでした。それを聞いたときに私が気になったのは、それは別に今にかぎった話ではなかろうということです。以前は本郷キャンパスに入るための門の数が今よりも少なかったため、門の脇にトイレを設けるニーズがむしろ大きかったと思ったのですよね。そこで、昔のキャンパス地図を大量に見ていったところ、少なくとも1897年から1950年頃まで、赤門脇には便所があったんです。
芳賀 どこに?

図9 松田陽准教授
松田 最初は赤門の北側番所の北側で、途中から南側番所の南側に移りました。小さな便所で、建築学的な価値が見出せるようなものでもありません。ただ、これは面白いことを見つけたぞと嬉しくなって、「誰でもトイレ」をつくろうとしている先生方に、「赤門脇には以前も50年以上トイレがあったという歴史的な説明を加えると、今日新たに赤門北側にちゃんとしたトイレを設ける必要性をよりうまく説明できるんじゃないですか」と言ったところ、納得してくださいました。
これって、ほんとうに何気ないことだと思うんです。そんなことに着目するような研究者もあまりいないと思うんですけど、まだ得体のよくわからない、正体不明な物事を追いかけていると、それなりの発見につながり、それが今日のキャンパスのあり方にも何かしらの視座を与えることがあるんだなと思った例でした。
ここから強引に敷衍しますと、文学部の研究は役に立たないとか言われるときもありますけれども、すぐに役に立つような、すでに価値の定まっているものは追いかけていないと思うのですよね。手垢のついたものなどつまらないというか。いまだ価値が定まっていないことを探査して、新たな価値を生み出そうとしているのだと思います。
ただ、そういう評価が定まっていないものを調べるためには、社会からの理解と支援が必要ということなんですね(笑)。
堀内 歴史研究はやればやるほど、お金と時間がかかるものですから。
芳賀 すぐには結果が出ないですしね。

図10 鈴木淳教授
鈴木 歴史研究者というと、いろいろ昔のことを知っていそうだけどほんとは知らないことの方がはるかに多いものです。私がキャンパス計画室員になったのは、実は文化資源学の木下直之先生に「あとをやれ」と言われて引き継いだのです。なぜそういうことになったかというと、木下先生が図書館前の再開発について、何に反対するのか、何を残せばいいのかというので、かなりいろいろ調べたときに、お手伝いしたのがきっかけです。「あそこのクスノキを残せ」という話があったんです。木下先生も私もいろいろ調べたら、どうも最初からクスノキが植えられていたわけではないとわかりました。そういうのって、課題を突き付けられないと調べようと思わないんですね。実際に、モノが目の前に突きつけられてきたり、「これは何なのか?」と問われて、初めて調べ始める、そして、ああ、そういうことを考えていなかったな、と思わされる。それで歴史の見方が広がるのがおもしろいところですね。
芳賀 東大っていろいろな分野の先生がいらして、例えば農学部の先生方は、文学部が忘れがちな、生物や樹木の保存に気を配ってくれています。庭園よりも今の生物の生活環であるとか、あるいは赤門脇のトイレのときも、後ろの木を切ってそこに建設すればよいのではと思ったら、いや木も大事なんだと。価値観が違う人たちがひしめいていることは大事なことだし、そしてその中で文系的な歴史学的な重要性を主張していくことは私たちにとって意義あることだと思います。
文学部らしい「問い」とは?
髙岸 松田さんは文化資源学のゼミでキャンパス内を学生さんと一緒に歩いて調べていますよね。
松田 はい、堀内さんと成瀬晃司さんと一緒に行っている「東京大学の埋蔵文化財と文化資源」の授業ですね。この授業は課題レポートに特徴があります。「東京大学の敷地内にある気になるものは何ですか。それの何が気になりますか。そこからどのような問題が引き出せますか」という課題です。いかにも文化資源学らしいですね。そしてこの課題を出す前に、学生たちと一緒にキャンパス内を歩き回ります。キャンパスには実はこんなに面白いものがありますよという説明を加えながら巡検するのですが、実際に現地に足を運び、その場所で何が見えるか、何を見出していくのかという観察眼を鍛えてほしいという思いを込めています。
髙岸 学生さんたちが大学で学ぶ時間は限られているなかで、実は足もとに宝の山があると。直接、発掘に参加できなくても、歩いて、見て、調べればいろいろなことがわかってきて、それが近世考古学や文化資源学という新たな学問領域につながっていく。将来、東大創立200周年、250周年のときには、おそらくわれわれは生きていないけれど、学問やキャンパスはどうなっているかなと想像したりします。
松田 堀内さんと芳賀さんは埋蔵文化財調査室と長らく関わってこられましたが、「埋蔵」という言葉はおもしろいと思うのですね。これは木下直之先生がおっしゃったことの受け売りなんですけど、考古学は地中に埋蔵されている文化財を研究対象にするのに対して、私がやっている文化資源学は、地上に埋蔵されている文化財も研究対象にします。地上に出ていて、ひょっとしたら視界にも入っているかもしれないけれども、「これは何だろう?なぜここにあるのだろう?」という問いを抱かないかぎりは、埋蔵されているに等しい資料体を研究していく、という考え方です。
日ごろ気づいていいはずなのに気づかないことに対して、立ち止まって問いを投げかけるというのは、文学部の研究の一つの大きな役割だという気がするんです。日常生活を見る目が少し変わる、とでも言いましょうか。
問題解決型の学問ではないかもしれないけれども、人生観を変えてくれるような視点を提供してくれる学問はやっぱりいいなと思います。
長いタイムスパンで考える
堀内 私も木下先生とそんな話をしたときに、“埋蔵文化財”は行政や法律用語なので、あまりいい言葉じゃないなと思っていて、発掘調査をすると、上のほうの層からは埋蔵文化財とはなり得ない新しい時代のものが出てくるんですね。埋蔵文化財調査はその対象となる層の下からしか行いませんが、実はその上にも人間の活動の痕跡がしっかり刻まれています。それらは、やがて時代が遷れば、遠からず学問の守備範囲に入ってくるものです。今の法律ではカバーしきれない、けれども大学にとって重要な歴史資産をどうするのか、という視点が大事だと思っています。

図11 髙岸輝教授
髙岸 芳賀さんは古代ギリシア・ローマという1000年単位の古い時代を研究されていますが、1000年後のこのキャンパスというようなことをやっぱり考えるんですか。私は500年くらい前の絵画を研究しているので、現代の美術が500年後にどうなっているのかなとか、あと何回修理しなければいけないな、というようなことは考えます。日本の伝統的な絵画は60年から100年に一回は裏打ちの紙を剥がして修理をします。
芳賀 パピルスとかで残っているものも確かにありますけど、私の研究分野では紙はほとんど残らないですし、そうなると石のような硬いものに目を奪われがちですね。だから、構造物の基礎とかレンガとか、そういうものが残って、たぶん1000年後に廃墟となってからでも掘ったら、昔の東大のいろいろな建物が出てくるかなとは考えます。
髙岸 絵巻や掛軸のように紙や絹からできていて、一瞬で焼けて失われてしまうような繊細なものに私は惹かれます。その話を芳賀さんにしたところ、「石は、全く儚くない」と言われてしまいました(笑)。
芳賀 美術品に対する感覚がまったく違っていました。古代彫刻はパンパンっと、手で叩いても大丈夫、みたいな感じですからね。叩きませんけど。
髙岸 研究対象には繊細なものと、堅固なものの両極端がある。
芳賀 まさに文学部の中でも、価値観が違う人たちがひしめいている。
髙岸 今日は「ブラタモリ」をきっかけに、江戸時代の加賀藩邸と庭園、関東大震災からの復興、東京大空襲、東大紛争の痕跡にいたるまで、本郷キャンパスが経験してきた激しい時代の変化と遺物の積層が見えてきました。普段このキャンパスで研究や教育を行っているわれわれにとっても素晴らしい研究材料であり、これらを未来に向けてどのように保存・分析・発信していくのかが改めて問われていると感じました。みなさん、ありがとうございました。

図12 東京大学文学部の建物と四季