アンダルス出身の偉大なスーフィー思想家イブン・アラビー(1240年没)に関する従来の研究では、その思想を継承した「存在一性論学派」の思想家たちの著作が参照されることが多く、「存在一性」論として後代に体系化・精緻化された彼の存在論や形而上学、宇宙論の研究が特に進展すると同時に、彼が後代に与えた影響の大きさが強調されてきた。他方で、前代の思想伝統と彼の思想の関係性の考察や、彼以前の体験中心的なスーフィー思想における主要論題である霊魂論や修行論に関する彼の思想の解明は遅れている。神秘主義のみならず哲学においても重んじられた主題である霊魂論に関する彼の思想の研究は、「存在一性論学派」の祖としてではなく前代の神秘主義的伝統に連なる一人のスーフィーとしての彼の思想に光を当てることができると同時に、神秘主義と哲学という彼と最も関わりが深い思想潮流が彼の思想にいかに入り込み、そこでいかに交わっているかを考察することで、イスラーム思想史の中での彼の位置づけや役割を再考することにつながると思われる。

 従来のイスラーム神秘主義思想研究では「霊魂論」(psychology)の語がしばしば使われてきたが、この語によって指される対象の範囲はあいまいであり、論者によって多少異なる。霊魂論の最も基本的な要素は、言うまでもなく「霊魂」(psyche)の概念であり、これを指す上でスーフィーたちは「魂」(ナフス)や「霊」(ルーフ)、「心」(カルブ)などいくつもの用語を用いる。これらの用語によって指された霊魂概念を主題的に論じたスーフィーの記述を分析することが、彼らの霊魂論に対する基本的な理解を提供することは確実である。しかしながら、この方法はイブン・アラビーの思想研究にいまだ十分に適用されているとはいいがたい。彼の霊魂論として紹介されたものが、実際には必ずしも人間霊魂の本質を主題的に論じた理論でなく、聖者論や人間論など、霊魂の問題に間接的に関わる理論にすぎないことも少なくない。

 人間霊魂を指す諸々のスーフィー用語に関していえば、従来のイブン・アラビー研究ではしばしばこれらを互換可能なものとして一括して扱う傾向が見られる。しかしながら、霊魂の多様な側面を用語の使い分けによって語ろうとするイスラーム神秘主義の霊魂論として彼の理論を分析するためには、個々の用語を厳密に区別した上で、それぞれをめぐる教説を別個に検討することも求められる。また、個々の概念に焦点をしぼった研究も中には存在するが、当の概念がほかの概念との関係において有する特徴に対する考察は十分になされておらず、複数の概念を併せて論じた研究も少ない。したがって、上記の用語の使い分けがイブン・アラビーの神秘主義的霊魂論の展開にどのような効果を与えているかという点はいまだ十分に明らかにされていない。このような状況で彼の霊魂論の全体的な構造や性質を論じることには限界がある。

 本研究では上記の用語に注目し、主著『マッカ開扉』をはじめとする諸著作において個々の概念を主題的に論じたイブン・アラビーの記述を分析することで、それぞれの用語を用いて語られた彼の霊魂論の特徴を明らかにする。加えて、個々の教説を比較検討するとともに、複数の用語を使い分けて霊魂の諸側面を論じた彼の記述を分析することで、彼の思想における霊魂論的諸概念の関係性を明らかにする。これによって彼の霊魂論に対する一つの新たな視座を得ると同時に、人間霊魂を指す個々のスーフィー用語をめぐる教説を区別せず、一括して扱う従来の研究よりも精密に彼の霊魂論の構造を分析する。

 また、イブン・アラビー霊魂論を彼の思想全体やイスラーム思想史の中に位置づける、広い視野からの検討も従来の研究では不足している。本研究では先行する神秘主義・哲学思想との関係性を考察することで、イブン・アラビー霊魂論に対する先行の霊魂論の影響と、先行の霊魂論に対するイブン・アラビー霊魂論の独自性を明らかにする。また、これまでの研究で重視されてきた、「顕現」論や「完全人間」論をはじめとするイブン・アラビー思想の他の側面との関係を考察することで、彼の思想内部における霊魂論の位置づけを明らかにする。以上の作業を通じて得られた知見に基づくことで、彼の霊魂論の全体的特徴をより多角的に考察することを目指す。

 上記目的の達成のために、本論では霊魂を指す最も一般的なアラビア語の語彙であり、イスラーム神秘主義思想において中心的な位置を占める「魂」(ナフス)・「心」(カルブ)・「霊」(ルーフ)の概念をめぐる彼の教説をそれぞれ第1章、第2章、第3章で検討する。第4章ではスーフィーよりも哲学者の霊魂論で関心を向けられることの多い「理性」(アクル)の概念に関する彼の議論を、第5章では複数の霊魂論的概念を併せて論じた彼の記述を検討する。

 「魂」・「心」・「霊」のそれぞれに関して、語の原義、聖典における表象やそれをめぐって前代の思想家たちが蓄積した議論をふまえて展開されたイブン・アラビーの議論は、しばしば交差すると同時に各々が固有の性質と方向性をもち、彼の霊魂論に多面性と奥行きを与える。「魂」論には霊魂の悪しき側面をめぐる議論や、人間霊魂の本質や人間性の本質に対する洞察を反映した議論が見られる。「心」はしばしば精神的修養と神秘体験を経て神についての知を得る修行の主体として描かれる。「霊」は主として神に由来する高貴な存在として描かれ、神的な次元との人間霊魂の接触面を代表する。これらの概念の性質は基本的に他の概念との関係性の中で成り立っており、彼の霊魂論が有機的統一性をもつ複合体であることがわかる。

 諸概念間の相互関係については、霊が心に対して神からの知を与え、情欲が帰される霊魂の悪しき側面としての魂を浄めることが述べられるなど、相互の上下関係や優劣関係を示唆する記述が時に見られるが、イブン・アラビーの霊魂論の基調となる単一の階層構造が存在するわけではない。むしろ個々の概念が代表する霊魂の特殊相が固有の仕方で別個に積極的に価値づけられることが彼の霊魂論の大きな特徴である。彼は先行スーフィーの霊魂論的発想を取り入れつつ、彼独自の理論も応用し、それ以前の単純な体験中心的教説が往々にして欠く存在論的な視点を自らの霊魂論に取り入れる。

 たとえば、「霊」を人間の生命原理や神の啓示の媒介として描くクルアーンの記述に基づき、神秘家にとっての生命として表現される直観知は霊によって与えられるとする先行スーフィーの発想を、全被造物に存在を与える「慈愛者の息吹」の表象に基づき描く。また、「心」を同語根の「変転」の概念によって形容する神秘主義の伝統的教説を、世界全体の変転を語る独自の「新創造」論の枠組みの中で論じるとともに、先行スーフィーたちが引用した「心は神を含む」という神聖ハディースを「顕現」論を用いて解釈する。「魂」に関しては先行スーフィーの典型的な自我論に言及しつつ、世界の万物を統合する「神の代理」としての人間観を語る「完全人間」論に基づき、「魂」は人間の高貴な本性に根差したものだと論じる。

 哲学の霊魂論でギリシア語プシュケーの訳語として用いられた「魂」の概念をめぐる議論では、魂の本質や機能を中立的視点から分析する哲学の視点も取り入れ、「理知的魂」・「動物的魂」・「植物的魂」という魂の諸相に関する自然学的霊魂論の概念を、神秘主義的要素と統合しつつ変容させる。また哲学者や神学者の知的営為の方法論的根拠である「理性」の概念を否定的に論じることを通じて、神についての知をめぐる自身の神秘主義的な立場を明確にする。彼のこの議論は、哲学者たちの方法論との対比を通じて積極的な意味を帯びる。

 上記の通りイブン・アラビーの霊魂論には、彼の思想を代表する存在論的・形而上学的教説との明確な有機的連関性が見られるが、霊魂の問題が関与することで、これらの教説によって語られた存在世界の実相を認識する主体を論じる視点が導入される。霊魂論はこれらの有名な教説を、単なる存在論ではなく、それが表現する知を獲得する神秘家の内面の問題を論じる理論として意味づけ、価値づけるという作用を果たす。ここにイブン・アラビー思想における霊魂論特有の役割がある。それぞれの仕方で世界の原理や成り立ちを語る別個の理論としてとらえられた「顕現」理論や「新創造」理論のあいだではしばしば相互の矛盾や不整合が注目され、彼の思想が体系的統一性を欠くと主張される論拠となってきた。しかしながら、霊魂論を中心にそれらをイブン・アラビー思想の中に位置づけ直すならば、存在世界の実相を洞察する神秘家の内面の問題を論じる理論として、単一の方向性を見出されるのである。

 イブン・アラビー思想の存在論的・形而上学的側面を切り取り、それを直弟子クーナウィー(1274年没)以降の哲学的思想傾向の強いスーフィーたちの思想と比較するとき、彼の思想は体系的整合性を欠く、存在論的神秘哲学の原始的形態として消極的に評価されることが多い。しかしながら、彼の霊魂論は修行論と表裏一体であった彼以前のスーフィーの霊魂論と一定の同質性を見せており、本性においては高貴であるが不安定であり、統御が必要な人間霊魂が修行を通じて神秘的体験を経て変容し、高まり、究極の知を得る完成の境地に至るという、首尾一貫した思惟の原理的志向性を有する。視点を変えて、従来注目されがちであった形而上学・存在論よりも、むしろこちらの方がイブン・アラビー思想の中心にあると考えるならば、これまで語られていたほど彼の思想は矛盾と齟齬に満ちた、混沌としたものではないのかもしれない。