境界の散歩者 ―ローベルト・ヴァルザーの詩学について

葛西 敬之

 本論文の目的はスイスの作家ローベルト・ヴァルザー(Robert Walser, 1878-1956)の諸作品を貫く詩学を、散歩というキーワードのもと明らかにすることである。ヴァルザーほど、散歩と結びつけられて語られる作家はいないだろう。その多くのテクストの中で、散歩spazierenだけではなく、gehen、wandern、schleifenがたびたび成されるにもかかわらず、ヴァルザーに結びつけられる概念が散歩となるのは、彼が1917年に発表した散文『散歩(Spaziergang)』が代表作と見なされているという理由がまずあるが、それだけではない。散歩が、彼の詩学と分かちがたく結びついているからである。

 ヴァルザーがいわば「再発見」されて以来、すでに多くの研究が彼の「散歩」に着目してきた。近年では例えば2017年のWalser-Tagungでは『散歩』出版100周年に合わせて、「散歩」というテーマで多くの論考が新たな視点から提出された。これはヴァルザーにおいて「散歩」という概念が汲み尽くされているというよりも、むしろ未だ究めがたいものだという傍証とみることができよう。したがってこの概念を中心に改めてヴァルザーの諸作品を再検討することによって最も広くヴァルザーの全体像を捉えられるのではないか、という狙いのもとに、「散歩」を本論の議論の中心におく。ただしここで扱われるのは散歩をテーマとし、散歩する登場人物を含む作品だけではない。本論において散歩は「目的に到達することを目的としない、あるいはそもそも目的を持たない動き」と定義される。したがって一見すると散歩とは直接関係しないように見えるテクスト、あるいは論点が出てくるが、それは散歩がこのように定義されるためである。

 まず第一部において、ヴァルザーのテクストにおける「私」と「散歩」の関係を論じる。ただしこれはヴァルザーという人物像を明らかにするものでは必ずしもない。そこで述べられる「ヴァルザー」あるいは「私」はあくまで括弧つきのものにとどまらざるを得ない。ヴァルザー自身に関する伝記的情報を示す資料は十分に残されておらず、これまでヴァルザーの「伝記」とされてきたものは、その多くをヴァルザーの創作中の「私」をヴァルザー本人と同一視しているが、本論ではそのようなスタンスとは距離をとる。第一部第一章において、ヴァルザーがむき出しの私をかたくなに隠し、「私」を演出する振る舞いを、実際のヴァルザーの行動、創作内での「私」およびその文体から検証し、これがヴァルザーの詩学と不可分であることを示す。Personという語がπρόσωπονにまで、つまり仮面あるいは役割という語に遡ることがよく知られているように、ヴァルザーの作品においてこの「私」の人格はつねになんらかのマスクをかぶって登場する。自らの作品群を「私という本」と呼ぶヴァルザーにとって(もちろんこのように言う「私」もまたマスクをかぶっているのだが)、この「私」の問題は彼の詩学と直結している。すなわち散歩の詩学と結びついていることを、第一章ではヴァルザーのとりわけベルン時代の作品から、またヴァルザーの「伝記的」なエピソードも含めて考察する。それに対し第二章においては『1926年の「日記」・断片(Das »Tagebuch«-Fragment von 1926)』に絞り、同様の関係性が見られることを論じる。したがってそれぞれの章はいわばマクロとミクロの関係にあるといえる。すなわちこの「日記」は日記が本来対象とする書き手の「私」が、私の体験が虚飾なく書かれなくてはならない、「現実原理」のもとで書かれなくてはならないと書き手が自省するにもかかわらず、くりかえし回避され脱線し続けるのである。テクストのほとんどを覆うこの迂回の振る舞いの末に、しかしこの「日記」の書き手はこのテクストが「私という本」たり得たという。なぜなら散歩をするようにして書き手の体験が迂回される一方で、その迂回こそが、体験と向き合ってなされて書くという「体験」として書き込まれているからである。ヴァルザーの「私」とは散歩するようにして進むその迂回の痕跡である。

 第二部では、ヴァルザーの言語に対する姿勢を検討する。ヴァルザー自身は、言語論を披歴したといえるようなまとまった論考を残してはいないが、多くの散文小品のはしばしから、あるいはそれらの文体ないし構成から、それは十分に窺い知ることができるだろう。事実、これまでの先行研究においてもそのような手法がとられてきたのだが、その際、次の箇所がしばしば引用されてきた。「作家稼業の本質はひょっとすると主に次の点に在るのではないだろうか、つまり書いている者が常に主要なことの周りを、まるである種の熱い粥の周りを歩き回るのがなにか素敵なことであるかのように、歩き回り彷徨うことに? 何か大事なもの、絶対に強調したと主張される何かは、書いているうち先送りにされ、全く瑣末な別のものについて、さしあたり、ひっきりなしに語られるか書かれるのだ。」

 ここで再び、歩くこと、すなわち散歩という概念に突き当たるのだが、第二部ではなぜこのような認識に至ったかを考察していく。その考察を進めるために、『タンナー兄弟姉妹(Geschwister Tanner)』、『散歩』、『盗賊(Der Räuber)』またハインリヒ・フォン・クライストをテーマとした作品群などを検討する。またそれと並んで、同時代の言語に関する言説を分析し、ヴァルザーがそれらとどのような位置関係にあるかを示す。これによりこの第二部の目的であるヴァルザーの言語に対する姿勢が、さらにヴァルター・ベンヤミンが1929年のエッセイで述べたようなヴァルザーの「だらしない」文章の持ちうる機能が、より明確に提示されることになる。第二部第一章ではヴァルザーの冗長とも思われる文章を駆動させるものとして、「こども(性)」と「(失われた)母への愛」があり、冗長さは偶然の到来を期待する反復によるものであるということが示される。第二章では、ヴァルザーの『トゥーンのクライスト』などのクライストに接して書かれた作品を通じて、ヴァルザーにとってクライストがどのような位置を占めるかまず確認した後、クライストの読書体験を経て書かれたと推測される初期ドラモレット『池(Der Teich)』、『少年たち(Die Knaben)』および『詩人たち (Dichter)』におけるヴァルザーの言語懐疑的契機を検討する。そしてクライストにおけるいわゆる「カント危機」を再検討すると、クライストにおいて、彼を絶望に追いやったようにみえた真実の到達不可能性よりもすでに虚構とその美がより重要な位置を占めていることが明らかになる。そこから『語りながら徐々に思考を作り上げることについて』や『マリオネット劇場について』を経由し、クライストの真実と虚構に関する認識が、ヴァルザーの諸作品において実践されているものと見ることができる。このようなヴァルザーの言語観のもと、真実というシニフィエに至るという極小の可能性を期待しつつ、あるいはその期待という状態に留まることをむしろより好ましいと感じつつ紡がれるヴァルザーの多幸感に満ちた文章は、シニフィアンの散歩として位置づけられる。

 第三部において検討する「散歩」はジャンル間での散歩である。ヴァルザーは1898年にデビューとなる詩を『ブント』に発表し、1900年前後に『インゼル』に数点のドラモレットを書き、1907年から1909年にかけて三作の長編小説を完成させた。一方でその間も、散文小品と呼ばれる数ページの掌編を新聞・雑誌にフェユトンとして掲載し続けていた。そして長編小説三作目の『ヤーコプ・フォン・グンテン(Jakob von Gunten)』以降は、長編小説を発表することなく、もっぱら散文小品を書いてきた、としばしば理解されている。しかし実際は1925年以降も、ドラモレット、詩、長編小説を書いていたことが、後に発見された極小文字で綴られたいわゆるミクログラムの解読によって明らかにされた。これらの異なる形式で書くということは、どのような意味を持ちうるのかが、この第三部での考察対象となる。その際とりわけ注意が払われるべきは、それぞれの形式が要求するNorm、すなわち規範に対して、ヴァルザーの文章がどのようにふるまっているかである。ヴァルザーのメルヒェン改作や詩、長編小説を検討すると、一見ジャンルから逸脱するように見えてその実、それらはむしろジャンルの要求する規範の中で、その規範を過剰なまでに遵守することでジャンルの境界上で、その限界を試すように、書かれているのである。第三部の最終章ではさらに、ヴァルザーの散歩的文章が最も多く発表された媒体であるフェユトンが、ヴァルザーの文体とどのような関係を切り結ぶか検討する。そこでは、記憶と想起という契機を手がかりに、「役に立たない(Für die Katz)」ように思われていたフェユトンが、むしろ日々欠かすことのできないものであるとする価値転換が目論まれていることが明かされる。

 ヴァルザーの作品において様々な姿をとる卑小な「私」、意味と戯れるようにして進む文章、ジャンルの中においてそのジャンルに留まろうとしない詩行、それらの中に常に散歩という契機が存在し、これを経由してヴァルザーの諸特徴を見れば、それらが互いに散歩を中心にして連関しているということが読み取れる。それゆえ、散歩はヴァルザーにおいて描かれる対象としてはかりではなく、詩学、すなわち作品生成の根本原理たり得るのである。

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