本論文の目的は、アルフレート・シュッツ(Alfred Schütz, 1899-1959)の思想を彼の取り組んだ「生と認識の問題」に沿って再構成し、それによって「社会科学が知を生み出すことはいかにして可能か」という社会科学認識論の基本問題へのシュッツ的アプローチを示すことである。本論文が取り組む主題は、社会科学の認識論(Erkenntnistheorie)ないし科学論(Wissenschaftslehre)と呼ばれる。この認識論=科学論は、社会科学者が知の産出のために使える道具を整備する補助的学問ではなく、社会科学における知の産出の意味を反省的に解明することを目指す学、つまり科学の自己理解のための学である。

 シュッツの思考の出発点となる洞察は、社会科学においては認識主体と認識対象が共に社会的世界に属しており、したがって社会科学の認識論は前科学的な生の次元を考慮せねばならない、という点にある。「前科学的な生の次元の存在を前提としたとき、社会科学的認識はいかなるものとして規定されるのか」という問題こそがシュッツの科学論の取り組んだ問題である。これを本論文は「生と認識の問題」と呼んだ。

 第1章では、シュッツの科学論に関する先行研究の検討を行い、本論文が取り組むべき具体的な作業課題を明確化した。シュッツの科学論の関心は、社会科学的認識の正当化ではなく社会科学という営為の十全たる理解に向けられているが、いくつかの研究ではこの点が等閑視されている。また、社会科学の十全たる理解というシュッツの方針を把握している研究の中には生と認識の問題に注目しているものもあるが、シュッツの到達点と限界を解明する作業は依然として不十分である。こうした先行研究の整理を通じて、本論文が取り組むべき3つの作業課題を設定した。すなわち、①シュッツの科学論を彼の思考の展開過程に即して検討すること、②それぞれの著作においてシュッツが生と認識の複雑な関係のなかのどの部分に焦点を当てているかを明らかにすること、③社会科学における生と認識の問題に関して、シュッツが何を達成し、何を達成しなかったのかを明らかにすること、の3点である。

 第2章では、生と認識の問題に取り組むシュッツの思想史的背景を確認した。本章で扱ったのは、論理実証主義、19世紀末~20世紀初頭のドイツにおける「方法論争」、精神科学・文化科学・社会科学の基礎に関する議論である。社会科学における生と認識の関係性を問うというシュッツの問題設定は、ディルタイ、リッカート、ウェーバーをはじめとする同時代のドイツ思想史における社会科学認識論・社会科学方法論に淵源を有していること、その中でシュッツは、ベルクソンやフッサールといった哲学者の思考枠組みや概念を使うことで前科学的な生の次元への独自のアプローチを試みたのだということが、本章の検討を通じて明らかになった。

 以上の準備作業に基づき、第3章から第6章にかけてシュッツの著作の検討を行った。その内容は、「体験からの疎隔としての社会科学」(第3章)、「注意変様としての社会科学」(第4章)、「意味領域としての社会科学」(第5章)、「間主観的探究としての社会科学」(第6章)という形で、4つの命題にまとめられる。

 第3章では、1920年代の草稿「生の形式と意味構造」および1932年の主著『社会的世界の意味構築』を扱い、科学を「体験からの疎隔」として捉える論理を解明した。1920年代から1932年にかけてのシュッツの科学論は、「持続の哲学」としてのベルクソンの諸概念を用いた論理構成が主軸となっている。『意味構築』においてシュッツは、自己解釈にとどまらない真の他者理解の核心を「持続の同時性」という概念で説明し、持続の同時性において他者の体験の生成を見遣る関係性からの漸次的離脱として匿名化の度合いを論じ、匿名化の度合いの極に概念的な科学を置いている。この「両極性」ないし「主観的意味と客観的意味の両極対立」の論理構成は、ベルクソンに依拠して書かれた「生の形式と意味構造」と共通している。認識が生をいかに切り取るかを示すことで、シュッツは社会科学(理解社会学)的認識の限界を論じている。

 第4章では、主に1937年の草稿「社会的世界における人格性の問題」、1940年の論文「現象学と社会科学」、1945年の論文「多元的現実について」に依拠して、この時期のシュッツ科学論が「認識もまた生の一様態である」(=科学する生)という側面へのアプローチに着手していることを明らかにした。「人格性」草稿で生世界概念を導入して以降のシュッツは、体験の流れが生成しつつ生成し去るという意識内的現象としての生ではなく、自己を超越する世界に内属するものとしての生を主題化するに至る。これにより、身体を用いてプラグマティックな労働を遂行する自然的態度の生の経験構造が掘り下げられるとともに、他我の存在の論証は否定され間主観性は生世界の所与とされる。「生への注意」(ベルクソン)が支配的となっているプラグマティックな生に対して、科学する生は自然的態度からの注意変様に基づく「私心のない観察者(disinterested observer)」として規定される。行為への関心を科学的認識への関心に変更することが、科学という生の様態の基本的要素なのである。

 ただし、シュッツ自身は世界に内属する人間としての科学者を扱うことに消極的であり、科学的態度それ自体と科学的活動とを明確に区別しようとしている。この点が第5章と第6章で問題となる。

 第5章では、1945年の論文「多元的現実について」と1955年の論文「シンボル・現実・社会」を用いて、意味領域としての社会科学について検討した。シュッツは「多元的現実について」の中で、科学の意味領域が特有の「認知様式」によって構成されるという議論をしている。しかし「シンボル・現実・社会」になると、認知様式という心的機制よりは、科学を含めた各意味領域の経験の媒体として機能するシンボルと知識に注目しており、シンボル的に構成される意味領域の社会的次元についても扱っている。ここにおいてすでに、社会科学の意味領域の前提となる専門知の共同体を論じる視座が開かれている。しかしシュッツは科学的知識について多くのことを述べてはいない。そこで本章の後半では、トーマス・ルックマンとハンス=ゲオルク・ゼフナーの議論を参照して、専門知の共同体としての社会科学における知識と意味領域について論じた。

 第6章では、社会科学の探究過程を扱った。本章では、シュッツが禁欲した「人間としての科学者」の領域に踏み込み、世界に内属する人間の遂行する科学的探究活動を主題化した。本章の前半では、シュッツとエリック・フェーゲリンの往復書簡に依拠して、社会科学的探究のレリヴァンス構造(主題的・解釈的・動機的レリヴァンス)を検討した。シュッツは、問いを方法に従属させる実証主義への批判的まなざしをフェーゲリンと共有しつつも、ウェーバー科学論が相対主義に陥っているとするフェーゲリンの見解には懐疑的である。価値概念の代案としてレリヴァンス概念を用いることで、シュッツはウェーバー科学論の換骨奪胎を図っているのである。次いで本章の後半では、社会科学的探究に含まれる間主観性の2つの次元(協働する科学者同士の関係と、社会的世界を生きる人々のあいだに立つ人間としての科学者)を検討した。特に後者の次元に関しては、解釈学的循環の議論とシュッツの類型性・親近性の議論とを結びつけつつ、社会科学者の先行理解の構造を検討した。

 結論では、上記①~③の課題に対応する成果をまとめたのち、シュッツ以降の科学論との関連でシュッツの意義を考察した。①シュッツの科学論の展開過程は、ベルクソンの「持続の哲学」に依拠した1920・30年代の論理構成から、生世界概念の導入を経て1940・50年代には「科学する生」を主題化するようになった、とまとめられる。②シュッツが生と認識の複雑な関係のなかのどの部分に焦点を当てているかに関しては、「体験からの疎隔としての社会科学」が「認識が生をいかにして切り取るか」という問題であるのに対して、「注意変様としての社会科学」「意味領域としての社会科学」「間主観的探究としての社会科学」はいずれも「生の一様態としての認識」をめぐる問題である。③社会科学における生と認識の問題に関するシュッツ自身の到達点と限界に関して言えば、シュッツの到達点は、意味、他者理解、間主観性、生世界、自然的態度、意味領域、シンボル、レリヴァンスといった一連の概念を科学論的に練り上げたことである。その成果は先述の4つの命題に集約される。他方でシュッツは、公刊された著作の多くの部分で、世界に内属する人間としての科学者を主題的に取り上げることを回避している。それゆえ、社会科学の探究過程における間主観性の2つの次元に関する議論や専門知の共同体に関する議論は、シュッツ自身の手によっては十分な展開がなされていない。ここにシュッツ自身の限界が存在している。社会科学認識論をシュッツと共に考え継いでいくには、この点を念頭に置く必要がある。

 社会科学的認識の前提条件を問い続けたシュッツの構想は、シュッツ以降の科学論の展開状況においても依然としてその意義を失っていない。「社会科学が知を生み出すことはいかにして可能か」という問題をデータの処理方法や推論の規則には還元できない人間の認識活動の問題として扱おうとする者にとって、シュッツの思索は、問題の複雑さに屈しない出発点を提供するのである。