本論は、元軍人たちを、戦場体験をもつ生き残りとしての側面からではなく、軍人というキャリアを背景に戦前から戦後を生きてきた生活者としての側面から捉えるものである。敗戦後の元軍人たち、なかでも志願し軍隊で教育を受け軍人を職業としてきた職業軍人たちは、価値観が一変した戦後日本社会の否定的まなざしのなかで人生を再構築してきた。1960年代の慰霊碑や記念館建設等の事業を通して、元軍人たちは、戦前から戦後にかけての自らの人生を、戦後社会の文脈において、いかにして意味づけていったのか。その際に戦前から戦後にかけて長い時間をかけて培われてきた社会関係にどのように支えられてきたのか。本論は、このような問題関心をもったうえで事例研究を試みる。

 戦後日本社会科学の研究蓄積は、戦前戦中の軍人や軍隊をみていても、戦後の元軍人の姿はみていないか、戦前戦中の延長で捉えてしまう傾向が強かった。また、戦争への向き合い方をみる戦争体験論や戦争記憶論、あるいは戦死者慰霊研究などにおいては、戦前から戦後にかけての生活者としての姿が死角になりがちである。逆に、社会学において戦後社会における生活者としての元軍人の姿に最も光をあててきたライフコース研究は、職業や学歴や階層といった論点から生活者としての姿を捉えるが、かえって戦争体験や記憶といった戦争との向き合い方は探求範囲外になってしまう。

 また、本論は、戦後社会のなかの元軍人たちが「孤立」しているという先行研究のモデルの問題点を指摘する。全体としては元軍人たちが戦後社会で孤立していることは認めつつも、戦後社会という外部のアクターと戦友会がどのように関係を形成し、相互行為をしてきたのかを分析していく。そのために本論は、大規模戦友会による慰霊碑建立などの事業に着目する戦略をとる。

 そのうえで、ライフコース研究のなかで立ちあがってきた「コンボイ」という概念を利用する。本論は、コンボイを、「戦友会の事業を支援する主体」を指す概念として用いる。これによって、戦後社会において孤立している元軍人・戦友会の、外部の支援者とのネットワークに光を当てることができる。そのうえで戦友会・元軍人とコンボイとの関係を、戦後の事業の時点だけではなく、戦前からの歴史的な形成過程を通して探究する。

 以上を踏まえて、本論が事例研究において直接に問うのは、戦争・軍隊に否定的な戦後社会において、元軍人たちの戦友会が、戦争や軍隊の肯定的評価と結びつけられやすい慰霊碑や記念館建設といった多くの資源を要する事業を達成することが、いかにして可能になったのか、である。この問いに取り組むことを通して、元軍人たちが戦後社会をどのように生きてきたか、というテーマを探究すると同時に、社会学の戦争研究に有用な概念を整備することが本論の研究目的である。

 

 第2章では、集合的記憶論と戦時動員論という主な戦後社会学の戦争研究の研究枠組みの再検討を行った。それぞれの意義と限界を確認したうえで、集合的な「記憶」を可能にしている社会関係、あるいは社会変動が現れている場の具体的なメカニズムを分析する必要性を提起した。検討を踏まえて、本論は、戦争をめぐる記憶の「場」という、研究枠組みを提示した。これは一方で、単純な社会意識論・知識社会学とは距離をとりつつ、生活者としての元軍人が戦前から戦後にかけて形成してきたキャリアやネットワークに光を当てている。他方で提唱者のノラによる「記憶の場」概念の実体的定義とも距離を取り、あくまで社会学的な分析概念として整備している。本論は、「記憶」よりも、それが存立する「場」にアクセントをおいた分析概念として、次の分析視点から記憶の「場」を再構成した。第一に、「場」は、複数の異質な担い手のネットワークによって成り立つ。第二に、担い手からみる「場」には複数の「記憶」が共在し、重層している、とみる。第三に、「場」に参与してきた担い手のライフコース・生活史へ着目する。以上の3点は、記憶の内容についてだけではなく、担い手の社会関係という観点から、記憶の「場」の存立を可能にしている仕組み、いわば「記憶の現前それ自体を支えている社会的・集合的なメカニズム」を解明するために設定された視点である。

 

 第3章ではまず戦後日本社会学の軍隊に関する諸研究、特に社会学の軍人研究について批判的に検討し、生活者としての軍人に目を向け、従来手薄だった非エリート軍人を対象とする必要性を示した。本論の研究対象事例である予科練という歴史的対象に関する基本的な知識を確認した。予科練出身者が、高等小学校や旧制中学から軍学校に入った職業軍人であり、特に海軍兵学校のような将校エリートではなく、主に下士官以下の養成機関であったことを押さえ、出身階層や昇進構造についても概略を素描した。

 そのうえで、このような対象に関する、社会科学の議論として、ファシズム論における「下士官」の議論と「立身出世」の経路としての軍隊に関する研究を批判的に検討し、この二つの研究潮流が十分に検討していない戦後を研究する意義と、その際に着目すべき点を提示した。そして以下の第4~6章の事例分析で依拠する調査資料について説明した。

 

 第4章では、慰霊碑建立や記念館建設といった事業を実行していくなかで、入隊世代による戦争体験の差異をこえた大規模戦友会がいかに組織化されていったのか、を分析した。予科練出身者といっても、入隊世代という点だけみても、戦争体験には大きな差異があった。予科練乙種の戦友会組織(雄飛会)は、学歴認定という戦後の人生・生活に直結する運動や、外部から注目を集めた慰霊祭、慰霊碑や記念館建設などを達成していく、いわば戦後体験を通して、戦後社会において否定的な評価を受けてきた自己の人生に対する肯定的な新たな意味づけを重ねていった。そして、慰霊祭や慰霊碑建立の達成は、戦友会会報というメディアを介して共有されていき、対面的な会合が中心ではない大規模戦友会に「想像の共同体」としての実質を持たせていく。また、予科練教育における精神といった抽象的な言葉によって入隊世代を越えて共有されうる戦争体験の要素を抽出することによって、末期世代をも包摂していった過程を明らかにした。

 

 第5章では、戦友会の慰霊碑建立の事業に対して、なぜ立地地域の地域住民が積極的に支援したのか、を問うた。具体的には、戦前の軍都の様々な場における地域住民と予科練がいかに対面的関係を形成してきたかという歴史的文脈を分析した。体罰や空襲の大量死などの目撃体験を背景に地域婦人会は、予科練に対する独自の記憶をもっていたが、これは慰霊碑や記念館に表象として結実することはなかった。それでも、組織的な募金・奉仕活動に加え、予科練内部の甲種と乙種の団結を呼びかけるなど戦友会の統合において独自の役割を担った地域婦人会は、いわば記憶の「場」における消失する媒介であった。

 

 第6章では、特に多額の資金を要する記念館の建設をとりあげ、その実現を可能にした支援者のネットワークが、旧軍関係者をこえて政財界にまで広がっていたことを明らかにした。その起点となったのは、戦前からの付き合いがある元教官をはじめとするコンボイであり、予科練出身者の戦前から戦後にかけてのライフコースを肯定的に承認する語彙を提供する役割も果たしていた。そして、財界による大きな資金の投入は、不足分の埋め合わせというよりも、記念館の事業の拡大にもつながっていた。以上から、記憶の「場」における政治・経済的ネットワークの分析の重要性を提起した。

 

 第7章が結論である。事例分析の問いに対する答えとしては、事業達成の体験の共有などによる、戦争体験の差異の解消(第4章)、戦前からつながりのある地域住民による独自の記憶にもとづく直接的支援(第5章)、旧軍の元教官等のコンボイを橋渡し点とした政財界の文化エリートとのネットワークからの資源提供(第6章)といった要素が浮かび上がった。これは、戦争体験に由来する生き残りの負い目のような従来の説明とは異なり、戦後の体験に着目したものである。それと同時に、戦友会孤立論に対して、戦前から形成されてきた支援ネットワークに光を当てたものである。

 本論の意義は、第一に、戦後社会における元軍人の生活者としての姿に着目し、戦争や軍隊に対して否定的な戦後社会のなかにあっても、元軍人を支援するコンボイを中心とした資源提供のネットワークのなかにある戦友会・元軍人を捉えたという、従来の軍人研究に対する意義を有する。コンボイは慰霊碑や記念館建設の資金面での協力のみならず、元軍人たちの戦前から戦後にかけての人生を承認する「人生の確認のためのフィードバック」を担っていた点が重要である。第二に、社会学の戦争研究の方法論としても、担い手から、記憶の「場」を社会学的な分析概念として整備した意義を有する。

 限界と今後の課題としては、人文学・社会科学における広範な記憶をめぐる研究・議論について、学説的・理論的検討を通して記憶の「場」を理論枠組みとして体系化すること、軍人研究としての知見を軍事社会学と接続し、比較のなかで事例を位置づけることなどを挙げた。

 最後に、記憶の「場」を中心とする本論の根底にある、戦争研究における「方法としての局所性」について論じた。総力戦論や国民国家論といった巨視的な理論が、全体性のレベルで戦争を記述してきたのに対して、「場」において具体的なメカニズムを観測することによって、戦争と社会の関係性を捉えなおす試みとして位置づけ、展望を示した。