「今ここ」を超える向社会行動の可能性を探る

齋藤 美松

 

本論文は、人類の向社会行動(自らのコストをかけて他者の福利を向上させる行為)の特徴を進化的な観点から捉え、有効な社会制度設計のための視座を得ることを目指す。ヒトは互いに助け合い、協力し合うことで、一個体では不可能だった様々なことを可能にしてきた。この意味で向社会行動は人類の成功の原動力として注目に値する現象である。

 第1章では、人類を特徴付ける大きな要素である向社会行動がどのように獲得されたか、そして、その認知プロセスの特徴を論じ、その現代的意味を議論する。先行研究は、向社会行動が進化するためには、繰り返し相互作用する他者同士で構成される集団(本研究では内集団と呼ぶ)が重要であることを示している。内集団では、向社会的に行動する個体は長期的には利益を得ることができ、自然淘汰のアルゴリズムと矛盾しない形で向社会行動という戦略は進化する。そして、この内集団という他者との繰り返し相互作用環境は、向社会行動の認知プロセスにも大きく影響することが近年わかってきた。内集団では、基本的に向社会行動をとることが自らの利得につながることが多く、また、誤って機会主義的な行動をとることのコストが大きい。そのため、ヒューリスティックや情動的なコミットメントとして、向社会行動を導く認知システムが、進化的に、また、日常場面での学習において獲得されることが実証的な知見とともに示されている。こうした向社会行動を導く認知システムは、内集団において、向社会行動をとる個体の利益につながるだけでなく、その集団の福利にとっても効率的に機能すると考えられる。人類はこうした向社会性を礎に経済活動の規模を大幅に拡大してきたのである。しかし、現代の環境において自らの行動が他者に与えうる潜在的な影響の範囲は、少人数の相互作用場面(=内集団)よりも極めて大きく、複雑なものとなっている。そのため、内集団という環境構造で効率的に働くようにチューニングされていると考えられる向社会行動が、現代社会においても果たして効率的に働くのか、という疑問が生じる。そして、もし、現代的な環境構造と、ヒトが内集団場面で獲得してきた認知プロセスとにミスマッチが生じうるなら、どのような社会設計の方向性がありうるのかを考察する必要があるだろう。続く第2章、第3章では、現代において出現した環境構造のもとでも情動的なコミットメントが見られること、そして、それが客観的な意味で非効率を生みうることを見ていく。その上で、第4章では、進化的に獲得された心理的なシステムを無視するのでも制約として扱うのでもなく、むしろうまく利用することで、内集団場面を超えた問題解決のヒントが得られる可能性を議論する。

 第2章では、日本人の参加者が、アフリカおよびシリアという極めて遠方の地域のどちらかに寄付をする、という場面を実験で扱う。内集団における日常的な相互作用場面では、向社会行動はその状況をよく知る特定の相手に対して行われる。その一方で、寄付行為においては、援助対象者の情報はあまりなく、しかも、援助対象者は個人ではなく集団である。このような現代社会において出現した状況で、参加者はどのように社会情報(他の参加者が同じ場面でどのように行動したか)を利用して意思決定するのか検証した。その結果、社会的影響の研究において繰り返し観察されてきた多数派同調現象ではなく、むしろあまり他者から支持されていない「不遇な」寄付対象が選択されやすいという現象が観察された。生理的な喚起水準や、課題中の写真刺激への注意配分データなどの検証から、人々は寄付先間の不平等に対し(それがアフリカやシリアの貧困レベルの客観的な指標ではない場合でも)、極めて敏感に反応する心的特性を持っていることが示された。このような情動的な反応に支えられた不平等回避傾向は、向社会行動を導くきっかけとして重要なものであるが、客観的に援助を必要とする寄付先を判断できる仕組みとなりうるのかについては疑問を提起する。

 第3章では、向社会行動の効率性を客観的に定義できる実験パラダイムを用い、他者福利を増やすために熟慮的な計算が行われうるか検討した。自らが援助対象者と生活環境を共有している内集団場面と異なり、ボランティアのように外部から介入する場面では、向社会行動に伴う意図せざる負の外部性(ex. ボランティアに赴くことで帰って被災地のスペースや食料などの資源が失われる)が発生しうる。負の外部性という副作用まで考慮すると、自らの援助行動が他者福利の実際の増進につながらないかもしれないという現代的な文脈では、向社会行動の効率性を問う必要がある。実験では、自らの援助行動の量を単純に増加させるだけでは、被災地へ送られる寄付金が却って減少する状況を設定した。その結果、寄付金のために課題に取り組む場面では、同型のパラダイムを自らの実験謝金のために行うときと比べて、過剰な援助行動(結果として寄付金の減額につながる)が生じることがわかった。なお、そうした過剰な援助行動の傾向は、他の実験参加者とともに課題に取り組む際に特に強まることもわかった。このことは、実際のボランティア場面のように、どのように行動するか完全には統制できない他者とともに援助を行うとき、特に負の外部性が軽視されやすいことを示唆している。また、こうした過剰な援助行動は、自らの実験謝金のために課題を行うときと比べて、短い反応時間でもたらされていた。これらの結果は、内集団場面では効率的な帰結をもたらした向社会行動への自動的なコミットメントが、現代的な場面では他者福利の最大化に失敗しうることを示唆する。

  第4章では、現在その深刻さがしきりに叫ばれている社会の持続可能性の問題を取り上げ、進化の副産物としてその存在が推定できるインセンティブ(後述)が、まだ見ぬ将来世代のための向社会行動を導く原動力になりうるという視点を提供する。具体的には、ヒトの協働繁殖という生活形態と高度な認知的共感のシステムを背景に、自分の死後も続く社会のために行動したいという「拡大されたエゴイズム」が重要な役割を果たすという可能性を指摘する。また、そうしたインセンティブを質問紙郵送調査によって検証する。人々の回答を分析した結果では、自らのライフステージ(子供がいる→子供がいて孫がいない→孫がいる)が進むほどに、まだこの世に生を受けていない将来世代の福利を現代において代弁したいという意欲が高まることが示された。こうしたことは、生態学的に自らの役割が変化していく中で、自分の死後の社会の繁栄といった「意義あるもの」に関わりたいというエゴイズムが、そもそも存在すらしていない対象である将来世代に対する向社会行動を促す可能性を示唆する。このように、進化の副産物としての心理的なインセンティブを考慮することは、将来世代を含めた社会制度設計の実現可能性を高める。

 第5章では、こうした知見をまとめ、他の研究領域に比したときの本論文の位置付けを論じる。まず、認知科学における共感研究との関連を述べる。共感性は、主に、情動的共感(他者の窮乏などを観察することで自動的に自らもその苦しみを感じる)と、認知的共感(自らの立場から離れ客観的に相手の置かれた状況を推察する)という2つの側面から理解されている。本論文の知見は、現代においては、情動的共感に比べて認知的共感の果たす役割が相対的に重要になっていることを示すものとしても解釈できることを指摘する。また、社会制度設計に関わる諸分野との関連も議論する。近年では行動経済学などの台頭にあるように、経済的インセンティブでは説明できない人間のバイアスを考慮に入れた上での制度設計を志向する試みが盛んである。このような試みは様々な現実的な成果を上げている一方で、もともとの経済学の特徴であった少数の仮定から諸現象を説明する体系としての強みを失っているようにも思われる。本論文も様々な人間のバイアスに注目している一方で、進化的な自己利益最大化のアルゴリズムという理論を背景としているという特色がある。こうしたアプローチは、より大局的な理論基盤を持った制度設計論を開くという意義があることを主張する。

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