集団規範維持におけるマイクロ=マクロ・ダイナミクス:多元的無知現象のメカニズム解明を目指して

岩谷 舟真

本論文の目的は、集団規範が多元的無知状態で維持されるメカニズムの検討である。多元的無知とは「集団の多くの成員が、自分自身は集団規範を受け入れていないにもかかわらず、他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると信じている状況」である(Allport, 1924; 神 2009, p.300)。本研究ではこうした他者の心の誤推測という側面に加え、他者の心の誤推測に基づく規範遵守(行動レベル)まで視野に入れて検討した。

先行研究では、集団規範がその集団の構成員に支持されずとも、集団レベルで維持されうることが示されてきた(e.g., Prentice & Miller, 1993)。しかし、各集団の構成員が他者の行動を観察し、その選好やとりうる反応を予測し、予測された反応に基づいて行動の意思決定をするという時系列的な展開については検討されていなかった。

そこで、本研究では、多元的無知状態が個人の認知、次いで行動のレベルで生起し、やがて集団レベルで再生産されていくメカニズムについて検討した(第1部)。さらに、集団の外側の社会環境にも着目し、社会の流動性と多元的無知状態の生起について検討を行った(第2部)。加えて、同一社会環境内における個人間の違いについて検討し、どのような人物が起点となって多元的無知状態が崩壊するのかについて検討を行った(第3部)。

第1部「規範遵守を導く認知プロセス(マイクロな相互作用)」では集団成員同士の行動観察・選好推測といった集団内の個人間過程に着目した検討を行った。第1部第1章(研究1)では、(1)集団規範が存在しないと想定される状況から、(2)集団規範が多元的無知状態で生起する状況へと展開するプロセスについて、実験室実験を通じて検討した。結果、規範が生起する局面においては、人々は「先行する他者の行動は、選好に基づいている」と推測したとき、自らの選好に反していても推測された他者の選好に沿った行動をとることが示された。

第1部第1章では制約のない状況から規範が生起するメカニズムについて検討を行ったが、続く第1部第2章(研究2)では、(1)集団規範という制約があると解釈可能な状況を設定した上で、(2)その状況から規範性を感じその規範に従うに至るメカニズムについて、継時的調査と実験室実験によって検討した。結果、既に存在する(と想定される)規範に従う局面においては、「先行する他者の行動は、選好とは反している」と予測すると、自らの選好に反していても規範に従うことが示された。

第1部の研究は個人のマイクロな認知と行動に着目した検討であるが、集団規範というマクロな現象についても示唆を与える結果である。すなわち、第1段階として、個人Aが制約のない状況で行動をとり、続く第2段階として、個人Bが「個人Aの行動は選好に基づいている」と予測し、推測された個人Aの選好に合わせて自らの選好と反する行動をとる(集団規範・多元的無知生起の萌芽的場面; 研究1の知見)。さらに、続く第3段階として、個人Cが「個人Bの行動は選好に基づいたものではない」と推測し、その選好と行動のギャップから規範性を感じ、自らも選好とは異なる行動をとる(集団規範の維持; 研究2の知見)。さらに、個人Cが選好とは異なる行動をとることで、後続する他者もまた規範性を感じ、同様に選好とは異なる行動をとると考えられる。このような状況下では、個人は先行する他者から影響を受けると同時に、後続の他者に対して影響を与えている。その意味で、本研究の知見は多元的無知というマクロな社会現象が生起・維持するメカニズムを解明すると同時に、集団規範維持におけるマイクロ=マクロ・ダイナミクスについても示唆を与える結果である。

続く第2部「多元的無知状態を導く社会環境(マイクロ=マクロ・ダイナミクス)」では集団の外側へと視点を拡張した。具体的には、関係流動性や居住地流動性といったよりマクロな社会環境要因に着目し、流動性の高さと多元的無知状態の生起について検討を行った。流動性とは「ある社会において、必要に応じて新しいパートナーと関係を結ぶことができる機会の多さ」(Yuki et al., 2007)であり、新しく他者と関係を構築することが困難な低流動性社会では、所属集団から排斥された場合でも別の集団へと移動することが難しく、排斥に伴うコストが大きい。そのため、低流動性社会の人々は自らの排斥リスクや評判低下のリスクを下げるために、規範逸脱に伴う評判低下可能性を安全策として高めに予測し規範に従うと考えられる。そして、こうした評判低下可能性の過大視が、多元的無知状態を生起させると予想される。第2部第1章(研究3)では、墨田区民を対象とした社会調査により、関係流動性の高い社会と低い社会とで規範遵守のメカニズムが異なる可能性の検討を試みた。結果、(1)関係流動性の認知が低い場合、規範逸脱に伴う評判低下を予測する者ほど規範に従うこと、(2)ここでの評判低下の可能性は過大に見積もられていることが分かった。これらの結果は、たとえ個々の集団成員が規範を支持しておらず逸脱に伴い評判が下がらない場合でも、関係流動性を低く認知する者は規範逸脱に伴う評判低下可能性を過大に推測し、「逸脱すると評判が下がる」と予測する可能性(2の知見)、さらにこうした評判低下可能性を予測した結果として規範に従う可能性(1の知見)を示唆している。但し、第2部第1章における関係流動性の測定は個人の主観的な認知にとどまっていたため、続く第2部第2章(研究4)では、客観的に流動性を示す変数である居住地流動性に着目して、8都道県での社会調査による検討を行った。結果、(1)居住地流動性の低い社会の者ほど規範逸脱に伴う評判低下の可能性を高く見積もり、その結果としてより高い頻度で規範に従うこと、さらに(2)居住地流動性の低い社会の者に限り、ここでの評判低下可能性を過大に見積もっていることが分かった。これらの結果から、居住地流動性の低い社会において多元的無知状態が維持されやすいことが分かった。

さらに、第3部「規範逸脱を導く個人特性」(研究5)では、同一社会環境内における個人間の違いについて検討を行った。具体的には、パフォーマンスの高さと自発的な離職の関連は正相関にあるという主張(Jackofsky, 1984)や、パフォーマンスの高い者は平均的なパフォーマンスの者よりも離職する(集団を離れる)傾向にあるという知見(Trevor et al.,1997)を基に、パフォーマンスの高い者ほど他集団への移動が容易であり評判低下のコストが小さいため、規範から逸脱するという可能性について、実験室実験を通じて検討した。結果、(1)自らの行動が他者に公開される場合に限り、パフォーマンスの低い者ほど規範に従うこと、(2)パフォーマンスの低い者は外集団よりも内集団の中での評判低下を避けたいと思っているが、パフォーマンスの高い者では上記のような差異が見られないことが分かった。(1)の結果は、行動の規定因として他者からの評価が重要であることを示唆すると同時に、パフォーマンスの高い者は評判によって行動が統制されず、多元的無知状態での規範から逸脱する可能性を示唆するものである。

これらの実証研究から得られた知見は、社会心理学的・文化心理学的・経営学的な意義があると考えられる。具体的には、集団成員が相互に選好を推測し合うことによる集団内のマイクロ=マクロ・ダイナミクスを明らかにすることで、集団規範がいかにして多元的無知状態で維持されるかの記述にとどまっていた先行研究の限界を克服した点、集団よりもさらに上位の層にある社会環境(社会の流動性)へと視野を広げることで、多元的無知状態が生起しやすい社会環境を解明した点に社会心理学的な意義がある。また、ここでの流動性の差異は国家間でも見られるものであり、流動性の視点を国家レベルへと拡張することによって、本研究を比較文化的な研究へと展開させることが可能となる。また、従来の研究は国や社会によって流動性の高さが異なる点に着目してきたのに対し、パフォーマンスに着目した本研究第3部は同一国家・社会内でも個人のパフォーマンスの高低によって流動性を活用できる程度が異なることを示唆する。社会環境の流動性に着目することで国家間・社会間の文化差の検討が可能となるのに加え、流動性を活用できる程度の個人差に着目することで社会階層による文化差など同一国家・社会内の「文化差」についての検討へと展開することが可能となるだろう。さらに、本研究はパフォーマンスと流動性の関連に着目したが、この視点は経営学における個人のパフォーマンスと転職行動の関連についての研究(e.g., Trevor et al., 1997)と密接に関わっている。パフォーマンスの低い社員は内集団(会社の同僚・上司など)からの評判低下を回避するために社内のローカルな規範に従う可能性があるが、そうした社内のローカルな規範が社会全体でのグローバルな規範と相いれないものであった場合、その規範に従うことで却って外からの評判を低下させる可能性がある。そして、そのことによって、パフォーマンスの低い者の転職活動はますます困難となりうる。経営学における先行研究では職務満足度、ボーナス、給与上昇など企業内の要因がパフォーマンスと転職行動の関連を調整することが示されているが、本研究の知見を踏まえることで、パフォーマンス、転職可能性、社内のローカルな規範遵守、外集団からの評判といった諸要素のダイナミクスの観点から、転職行動に関する経営学的な研究を展開・発展させることが可能となる。

以上のように、本研究は社会的認知や集団内のマイクロ=マクロ・ダイナミクスの観点で社会心理学に対する意義を持つと同時に、文化心理学や経営学といった他の分野に対する応用可能性も秘めた研究であると言える。

 

 

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