百回本『水滸傳』の編纂方針

荒木 達雄

 本論文は、『水滸傳』の現存最古の形式である百回本がいかにして成立したかを、編纂者の意圖を推測しながら考察したものである。

 第一章では「成立」および「最終編纂者」の定義を行なった。北宋の歷史に關する書籍に宋江とその集團に關する記錄が認められるが、いずれもわずかで斷片的な記載ばかりである。真に『水滸傳』の源流と言える材料が現れるのは南宋以降である。南宋では宋江やその手下たち個人の活躍が語り物で演じられたようだ。このころ彼らの物語は他の著名な英雄の傳承に比べて知名度が低く、語る場所や對象に合わせて内容を融通無碍に變更したり、先行する著名の英雄物語の要素を利用したりしてさまざまに語られていたらしい。この過程において徐々に、集團の形成、隆盛から幾多の戰役を經て壞滅へというストーリーを得たと考えられる。一方、元支配下の北方で作られた雜劇には、梁山泊三十六人のなかの一名ないし數名をとりあげてその活躍を描く作品があった。そこでは豪傑たちは、山から一般社會に下りてひと騷動を起こしたのちに山へ歸っていく存在で、主人公の經歷を描く英雄物語とは筋立てが異なる。これら來歷も文體も内容も受容する地域や階層も異なる雜多な材料を整理したのが明中期の最終編纂者である。最終編纂者は全百回、梁山泊百八人という構成を定め、南方由來の、梁山泊集團の誕生、成長、崩潰という筋を核に、旣存の故事を選擇、配置し、旣存故事の改編や新しい故事の創作も行なった。『水滸傳』には確かに南宋以來のさまざまな人々の思いがこめられていると言えようが、『水滸傳』全體がどのような讀者に向けたどのような物語であるのかは最終編纂者の手を經てはじめて「成立」したものである。

 第二章では『水滸傳』の核となった宋江の物語を分析した。『水滸傳』第18回から第42回までは宋江が地方の小役人から天命を受けて無賴漢たちの頭領になるまでの物語を中心にしている。低い身分から這い上がるさまは典型的な發跡故事であると言え、事實宋江の物語には他の發跡英雄故事と共通するさまざまな要素が見える。しかし、他の發跡英雄たちと異なる點も少なくない。『水滸傳』以前の資料に見える宋江は、一般的な無賴の英雄傳承と同樣、兇暴で、禮儀をわきまえず、旣存の權力を齒牙にもかけぬ人物であった。一方『水滸傳』の宋江は地方の吏で、腕力武力はなく、舊來の知識人の倫理觀を頑なに守ろうとする小市民である。この宋江像はどこから來たのか。明成化年間刊行の說唱詞話に見える包公の物語が宋江の物語を同じ要素を多數有している。包公は腕力も武力もなく無賴の者や權勢者にあなどられるが、最後はその名聲と地位とで敵を屈服させる。このようなストーリーは、無賴の英雄物語が軍人やアウトローの者を聞き手としていたのと異なり、農民や商人などの庶民に向けて語られていたのであろう。王法秩序內で暮らす庶民が上にのぼりつめ無法者や權勢者を默らせる方法は文人として出世することである。いわば武力によらない發跡物語である。この非武力式の發跡物語を受けいれた宋江の物語があり、『水滸傳』に採用されたのだろう。非武人化した宋江に對し、梁山泊集團の主だったものは無賴の英雄の特徵を有している。つまり『水滸傳』では、武力發跡の英雄たちの頂點に非武力の發跡英雄が乘っているのである。

 第三章では『水滸傳』において宋江と一組に形象されたと思われる李逵の分析を行なった。宋江の形象は道教神趙公明の影響を受けており、李逵の形象はその手下である黑虎と重なる。兩者はまた、梁山泊の無賴の英雄のほとんどが持ちえない倫理觀である孝を重んじる點でも共通する。さらに、李逵は宋江が捨て去った無頼の英雄の特徵の多くを引き受けている。宋江が發跡物語の終盤に李逵と出會い、無賴漢たちの頭領と天に定められた直後に李逵の物語がはじまるのは、二人が『水滸傳』の軸であることを示していよう。最終回にともに毒酒を仰いで死ぬこともまた、兩者が表裏一體であることの表現である。李逵は幾度も梁山泊を下り、そのたびに『水滸傳』前史にいなかった人物を連れ歸っている。構成面でも三十六人を百八人に擴大するためにもっとも貢獻している人物の一人である。李逵の物語は『水滸傳』編纂時の思想、手法がもっともよく表れている部分のひとつである。『水滸傳』には口頭藝能由來の、素朴で單純な内容とリズムよく力強い語り口を有する部分もあれば、神話や民間傳承を利用した不可思議なエピソードもある一方、さまざまな書籍に取材し、旣存の故事や人物の類型を利用して作った、知識人の讀書習慣に合わせた故事もある。舞台が宋代であることに固執せず明代の讀者にとっての同時代的な風俗習慣、民間信仰なども堂々と採用している。ここに強いて全體の風格を統一しようとした節は見られない。讀者が受け入れられると考えたものを幅廣く、遠慮なく取り込んだのであり、當時の「現代的」な感覺で作られた物語であると言える。そして、新作故事のなかに『水滸傳』前史で活躍が語られていなかった人物の登場場面を設けたり、梁山泊集團の轉換點を配したりして、物語全體を進めている。古くから傳わる英雄故事は、エピソード自體に魅力はあっても、集團の形成、隆盛、崩潰という『水滸傳』全體の構成にはほとんど貢獻していないからである。その意味でも李逵は『水滸傳』のために創造された人物だと言える。

これら雜多な材料のなかに、最終編纂者の身分や讀者感がうかがえる材料がある。第四章では醫書および雜劇に取材したエピソードの檢討を行なった。第六十五回は明らかに最終編纂期に作られた故事であるが、物語の展開には關係なさそうな藥事、醫療描寫が見られる。この描寫は當時の醫書などの記載と符合するもので、編纂者がこれらの書籍を參照できる環境にあり、またかいつまんで物語にとりこむ能力を有していたことを意味する。

 同じく第六十五回には、雜劇に見られるエピソードが二種用いられている。この二種は第三十一回、第六十一回でも利用されている。また、第五十三回でも雜劇のモチーフが手の込んだ改編をほどこしたうえで利用されている。先行作品を改編して利用する手法自體は珍しいものではないが、『水滸傳』の材料として決して高い比率を占めるとは言えず、とりこまずとも十分『水滸傳』は編纂できただろうと思われる雜劇を、わざわざ同じエピソードを繰り返し利用する形で取り込んだのかについては一考する餘地がある。『水滸傳』の軸になった語り物は、知識人からは一等劣ると見なされていた藝能であった。『水滸傳』編纂當時、それら低俗な藝能への知識人の關心が高まっていたのは事實であろうが、それでもやはり編纂者は知識人が受け入れがたいような史書との不適合箇所や荒唐無稽にすぎる場面を削る必要があった。同時に、史書、文言小說、類書など知識人のよく知る材料に由來するエピソードを配した。なかでも編纂者が腐心してとりこんだと思われるのが雜劇である。明代中期には、雜劇の多くは舞台を離れ、讀書人が讀んで鑑賞する文藝になっていた。その雜劇がとりこまれていることは、編纂者自身が雜劇を鑑賞できる知識人であったことのみならず、これらの場面から雜劇を想起できる程度の知識を持つ人々を讀者として想定していたことをも意味しよう。編纂者は、一定の讀書習慣を有する知識人の鑑賞に堪えるべく編纂を行なっていたようだ。

 第五章では、多種多様な人物たちがいかにしてひとつの大きな物語にまとめられたのかを、「仲間集め」の視點から考察した。この觀點から見てもやはり宋江と李逵とが百八人を一體化させ、『水滸傳』をひとつの物語として成立させる核となっていた。兩者は生身の人間としては出身も、性格も、人生の志向もまったく異なり、梁山泊百八人の兩極にある。そのような人物を結びつける力が「義」であり、第六章では編纂者が「義」をいかに利用しているかを考察した。『水滸傳』をはじめ、明代通俗小說の「義」は「身近な人間關係秩序の維持を至上のものとし、約を違えない」という倫理觀である。明代には、人はみな生れながらに道德を有し、書物に囚われない無知な庶民のほうがむしろ本性に根差した倫理觀を發揮し得るとの考え方が流行していた。梁山泊の英雄はまさにその象徴的存在である。「ひとたび成立した人間關係は決して壞さない」という「義」は、多種多樣な來歷や思想をもつ豪傑たちを、その多樣性を維持したまま、讀者に不自然の感を抱かせることなくつなぎとめ物語を進めることができる恰好の倫理觀であった。以上の要素を合わせ考えると、編纂者が知識人化した宋江を採用した理由が見えてくる。知識人が無知の人々にも道德は備わっていると考え、その言動に目を向けるようになったとは言っても、知識人は世を導くのはやはり自分たちであると考えていた。梁山泊の「義」は、本人が自發的になしたいと考えるものであるから、當時の思想潮流下での恰好の題材には違いない。しかし、彼らを大暴れさせるだけでは知識人が庶民を導き秩序を守るという大原則までもが破壞されかねない。頭の固い知識人は懲らしめられるべきだが、柔軟で合理的な考えをもつ知識人には従ってもらわねば困る。それが宋江であった。宋江は無賴漢たちに共感しつつも全體を自らの目標へまとめようとする。かくして知識人の管理のもと、素朴で單純、陽氣で亂暴、しかしまっすぐな無賴漢たちの活躍を知識人が樂しめる狀況が完成した。編纂者は非武力の英雄宋江の採用と、全體を「義」の物語とすることを軸に、無賴漢の物語を知識人讀者の鑑賞に堪える形に變えつつ、多樣性という魅力を失わせない形で『水滸傳』を完成させたのである。

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