「対テロ戦争」に関する社会学的研究 ―脅威認識・対テロ政策・国際法の相互反映性―

河村 賢

本研究の目的は、2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件への対応として行われた「対テロ戦争」政策が、なぜ他でもなく戦争という形で遂行されたのか、しかもなぜ予防戦争というアメリカ外交史的にも極端な戦争の形態を取ったのかという問いに答えることにある。この問いに答えるためには、アメリカにおいて対テロ政策を論じる際に用いられたテロリズムの概念の変遷を通時的に分析する必要がある。本研究は、先行研究を検討しつつ研究の文脈を設定する第一章、分析を進めていくにあたって本研究が着目する相互反映性という理論的概念を彫琢する第二章、ランド研究所と「民主的多数派のための同盟(Coalition for a Democratic Majority: CDM)」、「現在の危機についての委員会(Committee on the Present Danger: CPD)」の三つの組織に着目して1970年代の対テロ戦争政策の準備段階を分析する第三章、CDMやCPDのメンバーが多数参画することで実行されたレーガン政権の対テロ戦争政策を分析する第四章、冷戦の終結とともにソ連の脅威とは独立の問題として捉えられるようになった「新しいテロリズム論」を分析する第五章、9.11テロ後に予防戦争として遂行されたG.W.ブッシュ政権の対テロ戦争政策を分析する第六章、本研究の知見と展望を論じる終章からなる。

 第一章では、9.11テロ以後のアメリカの対テロ戦争政策についての先行研究を検討した上で、本研究がとるべき指針を論じた。知識社会学・外交史・国際法という三つの個別領域に属する先行研究は、テロリズムという脅威についての認識・テロリズムに対処するための政策・その対テロ政策を正当化する国際法的論理の歴史的変遷をそれぞれ論じてきたが、そうした研究はいずれもアメリカ政府がテロリストをいかなる脅威として定式化するかという問題と、その脅威に対していかなる政策的介入を行うか、またそうした介入をどのように国際法的に正当化するかという問題を、切り離した上で論じてきた。これに対して本研究は、テロリストを脅威として定式化することはすでにして特定の対テロ政策を作り上げ、その政策を正当化する指し手となっているということ——これが相互反映性という語で本研究が名指そうとする関係性である——に着目した上で、アメリカ政府が用いてきたテロリズムの概念を分析するという方針を提示した。

 第二章では、相互反映性と構成的規則の関係が論じられた。その際、本研究は対テロ戦争についての先行研究が前提としてきたルールの概念が、ルールとルールによって可能となる行為の関係を因果関係として狭く捉えることにつながったことを指摘した。これに対して政治哲学者ジョン・ロールズ(John Rawls)が「二つのルール概念」において論じた実践的描像を導入することで、こうした先行研究の限界を乗り越え、人々がルールを引き合いに出すことによって営む様々な活動を分析することが可能となることが論じられた。

 第三章では、1970年代を通じたアメリカにおけるテロリズム論の変容が分析された。1972年のミュンヘンオリンピックテロ事件の衝撃を受けてニクソン政権が国際テロリズムの問題への対処に乗り出した当初、政権内には対テロ政策を戦争として遂行しようという発想はそもそも存在せず、テロリストを根本的に動機付けていると想定された政治的抑圧の解消か、さもなければ各国の法執行を補完する国際条約の締結が主要なテロ対策として想定されていた。テロリズムは、植民地独立という正当な目的のために用いられる一つの手段として理解されていたのである。植民地独立のための暴力としてのテロリズム理解から戦争としてのテロリズム理解への転換を説明するものとして本研究が注目したのは、ニクソン政権から研究委託を受けた対反乱研究のシンクタンクであったランド研究所において、テロリズムを既存の戦争のルールの外部において遂行される戦争として捉える見方が早くから提示されていた事実である。すなわち政治的目的の達成のために既存の戦争のルールを侵犯するような暴力に訴える合理的な行為者としてテロリストを捉えるランド研究所の見方こそが、対テロ戦争政策を準備したことを本研究は明らかにした。テロリズムを戦争として捉えるランド研究所の議論は、ニクソン政権には採用されなかったものの、ニクソン・フォード・カーター政権と続いたデタント政策を批判するために立ち上げられたCDMやCPDといった新保守主義的政治団体によって利用され、国際テロリズムの背後にはソ連の支援と指令が存在するという冷戦のフレームが作り出された。ソ連のテロ支援は国連憲章違反の侵略にあたるという国際法的根拠が結びつけられることで、そのような間接侵略に対しては自衛権に基づく武力行使で対処することが必要とされるという議論が作り出された。

 第四章では、1980年代にレーガン政権によって初めて実行された対テロ戦争政策の遂行過程が論じられた。テロリズムに対処するためにはアメリカの側も武力を行使しなくてはならないとする対テロ戦争の構想は、CDMやCPDから多くのメンバーが参加して成立したレーガン政権においても、直ちに実行に移されたわけではなかった。レーガン政権の国防総省長官ワインバーガー(Caspar Weinberger)が論じたようにアメリカの安全保障政策においてソ連との直接的な交戦は不合理な選択肢であるとされており、また国連憲章第二条によって武力行使を禁じられているのは全ての国連加盟国について同様だからである。この問題を乗り越えるためにレーガン政権が参照したのは、ランド研究所の低強度紛争論、イスラエルがCDMやCPDの議論を再定式化して唱えたテロリズムに対する予防戦争論、そして国務省法律顧問ソファー(Abraham Sofaer)が主唱した自衛権の論理である。特に本研究が明らかにしたのは、ソファーの国際法的論理がレーガン政権の対テロ戦争政策に与えた影響の大きさである。シリア及びリビアによる国家支援テロリズムの攻撃に直面した国務省長官シュルツ(George Shultz)は、テロ攻撃を低強度紛争として位置付け、そのような武力攻撃を被ったアメリカは自衛権に基づいて反撃を行うというシュルツ・ドクトリンを定式化した。1985年以降におけるシュルツ・ドクトリンの形成に大きな役割を果たしたソファーは、国連憲章五一条の制限的解釈に依拠しつつ「武力攻撃」への対応として武力行使を行うことを提言し、シュルツ・ドクトリンはすでに生じたテロ攻撃に対する自衛の論理として定式化されたのである。

 第五章では、クリントン政権下における新しいテロリズム論が分析された。冷戦が終結すると、1980年代までのようにテロリズムを冷戦の一環とみなす議論は退潮していった。1990年代以降、代わって議論の焦点となったのは、イスラムという宗教的動機を前面化したテロリズムのあり方であった。こうした宗教的なテロリズムは、新保守主義系政治団体や既存のシンクタンクとも異なる学派に属する研究者たちによって「新しいテロリズム」として名指され論じられた。それまでのように政治的目的のために合理的に既存の法を侵犯するのですらなく、宗教的熱狂に基づいて暴力を振るう存在として理解されたがゆえに、こうしたテロリストたちは抑止が不可能であるとみなされた。

 第六章では、2001年の9.11テロ以後のアメリカの対テロ戦争政策のさらなる変化が論じられた。9.11テロ直後のアフガニスタン戦争においては、レーガン政権以来のテロ支援国家に対する国連憲章五一条のもとでの自衛権の論理が用いられ、アメリカが直面している脅威はテロリズムに関与するテロ支援国家として定式化された。だがアフガニスタン戦争の主要戦闘が終了した後に発表された2002年の『国家安全保障戦略』では、同じく自衛権の論理が用いられつつも、その主要な法的基盤は国連憲章から慣習国際法へと変更され、同時に慣習国際法上の自衛権の要件である差し迫った脅威の概念に合わせてならず者国家とテロリストの双方が抑止不可能な存在とされた上で、両者の結びつきを問題とする脅威認識が定式化されたことを明らかにした。

 終章では、ここまでの歴史的資料の分析を踏まえて、結論と展望が論じられる。テロリズムについての脅威認識と、テロリズムに介入するための政策及びその国際法的正当化を切り離して論じてきた従来の研究は、アメリカの二度にわたる対テロ戦争の展開を、テロリストを単に国際法的秩序の外部において振るわれる暴力だとアメリカがみなし、それに対して法外な手段で対処するようになった過程として捉えてきた。だが本研究の分析が明らかにしたのは、アメリカの対テロ戦争政策は——時々の政権において武力紛争法、国連憲章、慣習国際法とその都度根拠の重心を微妙にずらしながらも——絶えず国際法を参照してテロリズムの脅威を記述し直すことによって作り上げられてきたことである。こうした知見を得ることで、アメリカの対テロ政策における国際法の端的な無視ではなく、戦略的な国際法利用の仕方の一貫性の問題を批判的に問うことが可能となる。本研究が行ったテロリズム概念についての歴史的分析は、アメリカの対テロ政策についてのさらなる批判的検討を行う基礎を提供したのである。

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