句の中核部を形成するハワイ語の機能語 -‘anaと方向詞を中心に-

岩﨑 加奈絵

 

 

 本研究では、ハワイ語文の基礎的単位である動詞句・名詞句に現れ、さまざまな統語的役割を担う機能語について、その性質を考察・記述することを試みた。そしてその際、特に‘anaと方向詞の2カテゴリに着目した。また、各要素の性質を明らかにするにあたっては、ハワイ語が日常的に使用されていた時期に書かれた文献資料から用例を採った。

 第1章では、本研究の目的、およびハワイ語の基本情報を述べ、考察対象である「自然継承期ハワイ語」を、20世紀初頭に使用が禁じられる頃までのハワイ語、すなわちネイティブスピーカーが数多く存在し、ハワイ語が自然に継承されていた時期のハワイ語と定義した。加えて、本研究で文献を使用する理由、さらに本研究がしばしば言及する「規範」としての文法記述について説明した。

 第2章では、まず1節と2節で、議論に関係する事項を中心に、主に先行研究における記述に基づき、ハワイ語の音韻・語類・句構造・文の種類について概観した。続いて3節では、先行研究にコンセンサスのない点を中心に、本研究で用いる用語の定義を明示した。特に重要な点として、ハワイ語において「動詞」「名詞」などは、内容語の下位分類としての語彙的カテゴリではなく、文で使用された場合に明らかとなる、統語的なカテゴリであることを述べた。

 第3章では、ハワイ語の主な先行研究と、ハワイ語以外のもので本研究に関連する重要な研究について整理した。そのうえで、ハワイ語文法記述が抱える問題点、特にレファレンスグラマーの更新が1970年代以降行われていないことについて言及した。

 第4章では、本研究における記述・考察の材料であるデータが、どのような性質のものであるかを紹介した。具体的には、用例を検索する際に使用したテキストデータのタイトル、それらの発行年・分野・分量・表記法といった基礎情報、さらに判明している範囲で、どのような経緯で、どのような人物の手によって書かれたものであるかを述べた。原本発行年代が19世紀~20世紀初頭のテキスト5編をメインコーパスとし、分量は延べ語数で約15万7000語である。

 第5章は本研究の主たる章である。まず、1節では句に出現する機能語の記述をカテゴリごとにおこなった。特に受身のマーカーに関しては、名詞句でも少なからず出現することを具体的な用例数とともに提示した。

 続く2節では‘anaを取り上げた。‘anaは、ポリネシア祖語の名詞化接辞に由来するとされ、ハワイ語研究者の間でも一般に名詞化辞と定義される。しかし、第2章で明らかにしたように、内容語の「動詞」「名詞」というカテゴリが統語的なレベルのものであり、語彙的なレベルで「動詞」「名詞」というカテゴリが存在しないとすれば、名詞化という派生プロセスは、そもそも想定のしようがない。筆者は自身の先行研究において、①ある内容語が名詞として機能するために必要な要素は、冠詞や指示詞などの決定詞である、②‘anaは名詞化辞ではなく、先行する内容語が行為・動作そのものであることを明示する機能を有すると考えられる、という点を明らかにした。そこで、②の検証を念頭に、‘anaが名詞化以外の機能を担っているか否か、 ‘anaが句に含まれるかどうかで統語的・意味的な違いがあるか否かの2点について、機能語・内容語との共起関係に注目して検討した。

 その結果、 ‘anaの使用を促進する、あるいは抑制する要素は明確ではない、と判断するに至った。共起する機能語・内容語は特定の偏りを示すことはなく、コーパス中には、同じ機能語や内容語であっても‘anaを伴う場合と伴わない場合の両方が見られたためである。このことは、自然継承期末期のハワイ語では、‘anaは祖語の段階ではあったはずの名詞化という機能を失いつつあった、すなわち‘anaが機能と形式の並行性を失う途上にあったことを示唆すると結論付けた。加えて、‘anaの分布上の特徴について、チャント文での出現割合が他のジャンルの文章に比べ少ないことにも触れた。

 ‘anaの使用について決定的な条件が明らかになった訳ではないものの、まとまった量の用例から量的な‘anaの分布の傾向を提示することはできた。特に、機能語との共起関係に着目したデータを提示することができた点は、先行研究にない成果である。具体的な分布を示すことで、‘anaをどのような場合に使うことができるのか、どのような場合に使いにくいのかを、以前より正確に予測できるようになったと考える。

 5章3節では方向詞を論じた。‘anaに比べ、方向詞については先行研究による機能の説明がうまくいっており、本研究のデータもそれらに矛盾しないものであった。次に、方向詞について未だ説明されていない、①誰・何を基準として方向を決定し、マークするのか、②いつ使うことができ、いつ使われにくいのか、という2点を検討した。

 用例分析の結果、方向の基準点(①)については十分明確にはできなかったが、各方向詞の特徴が明らかになった。第1に、aku <離れていく>/ mai<近付いてくる>の相対的方向表現と、a‘e<上へ> / iho<下へ>の絶対軸的方向表現の2カテゴリがあることを示した。第二に、共起する内容語に着目することにより、類似する意味特徴を持つ複数の内容語が、方向詞との共起関係においては異なる傾向を示すことを明らかにした。ここから、方向詞を伴いやすいかどうか・伴う方向詞の種類に偏りがあるかどうかは、内容語の意味的性質によってではなく、語彙的に決まっている可能性が高いことを示した。最後に、‘anaの場合にある程度認められた文章のジャンルによる出現頻度の違いは、方向詞においてもある程度当てはまるが、方向詞ではそれ以上に「対話性」が出現頻度の違いに影響しており、文章の書き手にとって聞き手が意識されることが、方向詞の使用を促進することを明らかにした。 ‘anaの場合と同様、具体的な分布を示すことで、使用されやすい状況を理解するためのデータを提示できたと考える。

 第6章では、自然継承期ハワイ語とは別に、1970年代のハワイアン・ルネサンス以降のハワイ語を「現代ハワイ語」と定義し、それがどのような性質を持つか、特に英語やレファレンスグラマーとの関係に着目しつつ考察を行った。

 まず、ハワイ語とハワイ語の記述が辿ってきた経緯を、歴史・社会的背景を交えて概観した。学習による継承が主たる継承方法となった現代ハワイ語は、学習の過程で曖昧な点や不明点が生じた際、母語話者の直感に頼れない場合がほとんどである。したがって、現代ハワイ語には、教科書の記述や、その元にもなっているレファレンスグラマー(換言すれば、文法研究の知見)の記述の影響があると考えられる。本章では、これまでのハワイ語の記述や英語からの影響の有無を明らかにするため、5章で扱った‘anaと方向詞を題材とし、現代ハワイ語と自然継承期ハワイ語との間に差異があるかどうか、あるとすれば、現代ハワイ語に固有の性質とはどのようなものなのかを検討した。

ここでも決定的な違いやその要因を明らかにするには至らなかったが、ハワイ語教科書でしばしば対応させて説明される‘anaと英語の-ing形について、また、英語には対応する文法要素のない方向詞について、それぞれ量的なデータを提示した。特に、方向詞の出現割合は僅差ながら減少しており、これが話者ごとの変動なのか、それとも他のデータからも同様の傾向が見られるか、今後に繋がる結果を提示できたと考えている。現時点では現代ハワイ語の統語的研究はほとんど行われておらず、本研究での考察はその第一歩と位置付けられる。

 第7章では、全体の総括と今後の課題について述べた。

 なお、巻末の資料編では、本研究が使用したハワイ語テキストデータがどのようなものであるかを提示するため、メインコーパスに含んだテキスト5編の各冒頭1ページ分を参考資料として提示した。

一覧へ戻る