張恨水文学と民国期「古都」北京の残照

王 暁白

はじめに

張恨水(1895-1967)は安徽省潜山県に生まれ、新聞編集者兼作家として北京(北平)に前後あわせて三十七年ほど滞在し(1919-35、1946-67)、『春明外史』、『啼笑因縁』を始め、数多くの北京に関する作品を残した。彼の北京に関する描写は、北京の「風俗画」と言われた。張恨水の生活と創作と緊密に関連している都市といえば、第一に北京であり、以下は重慶、南京、上海と続く。

本論文は、張恨水の作品のなかの立場、経験、物語の背景から見る北京イメージを、主にケヴィン・リンチ『都市のイメージ』の「認知地図」方法と、パス、エッジ、ディストリクト、ノード、ランドマークの五つの要素を援用しながら整理、比較して、北京イメージの形成要素を分析した。具体的な作業としては、まず各作品の登場人物の活動場所と各作品が言及する地名を整理分類し、各作品に基づく北京地図を作成したのち、この北京イメージの地図と作家自身の経験および北京の都市環境とがどのような影響関係を有するのかを検討した。また北京イメージ研究に対する補助線として、張の作品における上海、南京、重慶のイメージも各都市を対照しつつ考察した。

北京の文化イメージが持続的に大規模に書き換えられている現在こそ、北京の文化イメージをもう一度歴史的に整理し理解し直す必要があるだろう。本論文は民国時代を代表する流行作家のテクストをめぐり、リンチの理論を借用して、当時の都市景観を再現し、文学における都市の記憶を考察すると同時に、張恨水の都市アイデンティティーのありようを探求するものである。このような都市文化研究は現在の北京アイデンティティーの再確認に対し、少からぬ意義を有することであろう。

 

第一章 総合的北京イメージ

北京は巨大な統一帝国の首都として500年ほどの安定した歴史的イメージをもっている。明清両王朝の北京城には、紫禁城、皇城、京城(内城と外城を含める)という三重の城壁がある。北京城を平面的に見た場合の最大の特色は南起点の永定門から、正陽門(前門)、天安門、紫禁城(太和殿)、景山、北終点の鼓楼・鐘楼まで形成された「中軸線」およびそれを基本として生まれた東西対称という都市配置構成である。

民国初年、朱啓鈐が主管した京都市政公所は北京の古都改造に対して慎重な態度をとり、道路のネットワークを以前どおり保持し、新しく工事した道路もなるべくもとのネットワークと融合させ、城壁に対して相当に保守的な姿勢をとり、都市の公共領域を開放し保護した。これらの方策により古都の姿はよく保存された。

1933年6月に北平市市長に任ぜられた袁良は、市政建設の中核である「遊覧区建設計画」を制定した。この計画は北平を遊覧区として建設し、外国から観光客を招き、北平の経済を向上させると主張すると同時に、中国文化を宣揚し、国際的理解を促成することを目的とした。計画は古跡と名所を修繕し、交通、宿泊、娯楽の施設を建設することを要求した。1935年袁良は旧都文物整理委員会を成立させ、順序を立てて文物古跡の整理と修繕を行った。

建築家の梁思成は北京城を次のように評論した。「北京は全般的な処理によって初めて完全に、偉大な中華民族の建築の伝統的手法と都市計画の智恵と気勢を表わす。」この論断は三つの方面から理解すべきである。一つ目は、北京におけるそれぞれの伝統建築は優れている。二つ目は、北京は国家によって計画的に建造された都市であるため、建築の分布は合理的で、美観を呈し、秩序立っており、北京の城壁、城門、道路と中軸線の全体的な分布は雄大な規模で、厳粛、整然としている。その三は、建築群が山水、園林などの自然のイメージと有機的に結びついている。本章は以上の三方面を概論した。

 

第二章 北京を舞台とする張恨水小説における北京イメージ

1.張恨水の北京認知地図

本章は張恨水が民国期に発表した北京を背景とする13部の小説を研究対象とした。この13部の作品で出現する場所、地名を整理し、作中における北京イメージを五要素に分類し、張恨水の北京認知地図をスケッチした。

13部の作品においては、パスは一般的に「街」「橋」として現れている。「パス」に関する描写は種類も回数も比較的少なく、出現は偶然であるといえる。北京のもっとも明らかな「エッジ」は城壁であるにもかかわらず、13部の作品のなかで、直接城壁が描写されたり、言及されることは多くない。13部の作品の中でノードは主に城門、道路の交差点または牌楼(大通りの交差点に設置される)として現れる。鉄道駅は北京と地方の間になくてはならない交通の要衝なのである。13部の作品のなかのランドマークは、全て城門・塔・鼓楼のような伝統的な建物であることには注目すべきである。

ディストリクトは都市の独自性を表すもっとも重要なイメージといえよう。ディストリクトは13部の作品のなかで公園、寺社、市場、遊覧地などとして多種多彩に描写されている。ディストリクトは北京のイメージを代表しているといえる。民国期に開放された旧清朝皇室の空間イメージは非常に魅力的である。西郊の山水人文景観は北京城内からは遠く交通も不便だったが、北京イメージの形成に効果的に参与している。

総合的に見て、張の北京認知地図は基本的に完全な北京地図を成しているといえる。

2.イメージの出現頻度:外部要素と内部要素の共同作用

張恨水は北京を認識するのに有利な条件を備えていた。彼の北京における住居と通勤の経験は、北京の認知地図に影響を及ぼした。

1928年以後に創作が始められた作品においては北京イメージが大幅に増えている。言い換えれば、1928年の遷都は張をある程度刺激して、作品のなかで北京イメージをいっそう大きく再現させたのである。

『啼笑因縁』には10万字あたりイメージが9.4種、24.4回出現し、他の作品のイメージに対し圧倒的な地位を占めている。北京で発表された作品と比べて上海で発表された作品には北京イメージに関する描写が遥かに多いといえよう。

北京イメージの形成においては、伝統的なイメージが近代的イメージと比べて感知されやすいと概括できる。

第三章 張恨水文学における都市の系譜:上海・南京・重慶

1.上海:張恨水の小説作品には、上海をストーリーの主な舞台としたものはない。上海のイメージはほとんどがマイナスである。張恨水は上海の近代都市文化がもたらした成果(出版業、新聞業、原稿料制度など)を享受すると同時に、精神的には終始上海と気が合わず、短期滞在にさえ耐えられなかった。

2.南京:張恨水の南京認知地図はどちらかというと全面的、均質的である。描写の頻度と範囲において北京とには及ばないが、ほぼ完全な認知地図を形成し、張個人の独自な体験も一定程度体現しているといえる。抗日戦争中において人心を鼓舞し、意志を確固とさせようと意図して描かれた南京のイメージは独自性がある。

3.重慶:張恨水作品における重慶イメージは、種類がやや少なく、出現頻度が低く、郊外イメージの割合が高く、張自身の重慶における通勤と住居に関わるイメージが目立つという特徴をもつ。

4.張恨水エッセー集『両都賦』:テクストのなかで、北京・南京の両都を直接に比較している箇所は非常に少ない。張は両都の優劣比較を念頭には置かなかったようだ。両都を描いた目的は、両都が陥落した首都であり故都であるという文化的・政治的な意義によっている。事実、両都との比較対象としてあげられた都市は重慶であった。都市像が抑圧された重慶は、「陪都」の身分とぴたりと合致していたからである。

 

第四章 張恨水による「新中国」の叙述(1949-)

この時期の張恨水は「原稿依頼を受けて、見物して、創作する」という過程をたどって創作していたと考えられる。創作においてなるべく新中国のイデオロギーに近接するよう努力したと見られる。一方、この時期、張自身の創作インスピレーションは「思想性」の問題のため、作品化することができなかった。

1957-58年に発表された『記者外伝』に出現する北京の都市イメージは質量ともに突出しているといえる。『記者外伝』と『春明外史』は、類似した構造、類似した人物、類似した外城イメージを重点としているという共通点を持っている。これらの共通点と作家の『春明外史』に対する偏愛から、『記者外伝』は作家による意識的な『春明外史』の書き直しであると推測できよう。北京イメージの描写と表現は、『記者外伝』では『春明外史』よりもいっそう明らかかつ意識的になされている。総じて、『記者外伝』は作家が北京に関する事柄を総括し、北京イメージを集大成した作品である。

 

結論 北京における南方人アイデンティティー

1. 南方出身者の目で見た北京イメージ

張恨水の北京を舞台とした作品の主人公は、その多くが南方人である。明清時代、江南地域は北京に対して、ある程度文化的に優位に立っており、こうした状況から、江南士人たちの北京に対する感情は微妙であったといえる。張恨水は早期の作品、特に『啼笑因縁』以前の作品では、北京は江南と比べて、風景も文化も劣っているとする傾向が見られる。『啼笑因縁』では、張は早期作品のなかの北京と江南のイメージを逆転させている。作家は樊家樹の観点を通じて、初めて江南に対する北京の優位性を表現している。

2. 陶然亭のイメージ:張恨水のアイデンティティーの反映

陶然亭イメージをまとめると、時間順に以下の五つとなる。1.想像されたイメージ:北京へ行く前に詩文のなかの盛名によって想像された完璧なイメージ。2.南方出身の観光客のイメージ:江南の風景を見慣れた、北京へ来たばかりの張を失望させたイメージ。これは1のイメージを否定するものである。3.北京長期滞在者のイメージ:陶然亭の長所を徐々に認められるようになった頃のイメージ。4.故郷を奪われた難民のイメージ:重慶で見た「夢」に出てくる、精神の故郷である北平の、素晴らしい境地としてのイメージ。これは1、2、3のイメージを感性的、理性的に昇華させたものである。5.新中国の宣伝者のイメージ:過去との対比によって際立たせられた、50年代に改修された陶然亭公園のイメージ。これは3、4のイメージを否定するものである。

イメージ1と2は、作家の南方人としてのアイデンティティーを反映している。これに対してイメージ3と4は、作家が北京長期滞在者さらには北京人というアイデンティティーを得たことを反映している。そしてイメージ5には、新中国の公民というアイデンティティーをもつに至ったことが反映されている。

3.結び

民国期の北京イメージを回顧すると、張恨水のケースは決して孤立した特殊なものではなく、同時代の多数の文化人が類似したイメージを語っていることが分かる。張恨水などの作家たちは単に民国時代の北京イメージを再現しただけでなく、民国時代の北京イメージを創造していたのである。民国時代の北京は、明清時代の北京を継承して、これを近代的に改造した。近代化の途中にあってもこのような北京は一貫して伝統のイメージを保持しており、これが北京イメージの独自性であり、このかけがえのないイメージは現在まで伝えられてきた。その過程で、張恨水文学は重要な役割を果たしたのである。

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