本論文は、白先勇小説の翻案研究を通して、台湾及び中国における白先勇文学の受容・変容の様相を明らかにし、白先勇文学論の新たな構築を目指さんとする試みである。

 文学作品の翻案には様々な形式があるが、本論文ではさしあたり、正式に原作者より翻案権を取得したうえで、小説を映像及び演劇へと改編した作品に考察対象を絞る。その理由は、本論文の主眼の1つが、翻案作品における原作者自身の作家性を考察することにあるからである。

 白先勇は1937年、中国広西省の南寧で生まれた。父は国民党広西派将軍の白崇禧、母は桂林の名家の出である馬佩璋。第7子の先勇が誕生してまもなく、白家は一家揃って桂林へ移った。その後、日中戦争、国共内戦を挟んで重慶・南京・上海・武漢・広州へと南下し、49年秋に香港へ、52年に台湾へ渡る。渡台後はまず台北の名門、建国中学で学んだ後、いったんは成功大学水利系へ入るも、次第に文学の熱が勝って台湾大学外文系に再入学。1960年に台大外文系の同窓と雑誌『現代文学』を創刊、いわゆる「台湾モダニズム文学運動」を展開した。1963年に渡米、アイオワ大学を修了後、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の中国語文学教員として勤めるかたわら、作家活動に励んだ。代表作は、短編小説集『台北人』(1971)、短編小説集『寂寞的十七歳』(1973)、長編小説『孽子』(1983)、散文集『樹猶如此』(2002)など。なお、近年は崑曲の復興活動に尽力している。

 白先勇文学を論じた先行文献は、現在までに中国語の単著だけでも10冊以上あり、共著や大学院学位論文も含めればその数はゆうに100を超えている。また、日本における白先勇研究も、現在までに3本の博士論文が刊行されていることから見れば、現代台湾作家研究のなかでは比較的豊富な研究蓄積があると言える。だが、こうした従来の白先勇研究論の中でも今日まであまり深く考察されてこなかったのは、白先勇小説の翻案作品と白先勇自身との関係性、言うなれば自作小説の翻案に対する作家白先勇の創作行為であると思われる。

 白先勇が近年、伝統演目の翻案崑曲「青春版『牡丹亭』」の制作に勤しむのは、まさしく古典の意義を現代社会の中で大胆に脱構築していくことを重視しているからである。本論文は、こうした彼の古典の再解釈に向かう文学精神と自作小説の翻案作品に対する創作態度の関係性を明らかにしようとする目的のもと、白先勇の自作の翻案作品をめぐる創作行為を考察する。

 白先勇小説の翻案作品は、これまで台湾・中国・香港を中心に数多く作られてきた。それらを俯瞰してみると、第一に、女性を主人公とする短編か男性同性愛を材にとる『孽子』が圧倒的に多いことがわかる。また、特定の映像作家や舞台監督が繰り返し白先勇文学の改編に尽力してきたこともうかがえる。

 白先勇自身は、こうした表現媒体を跨いだテクストの変容を「変奏」と表現し、しばしば自作小説の「変奏」を積極的に促してきたが、それは1980年代の映画化や、2000年代のドラマ化・舞台劇化においても確認できる。本論文ではその2つの時期の改編作品に着目する。その時期の改編作を論じた先行研究は決して少なくないが、そうした翻案のなかで白先勇の作家性、思想性を捉えようとする視点はほとんどなかった。本論文ではより多くの個別事例の検討を通して、白先勇小説の翻案作品における白先勇自身の作家性のあり様を追究していきたい。

 本論は全4章から成り、大きく4つの異なる研究視座から白先勇小説の翻案作品を論じる。1つ目は、白先勇小説の翻案をめぐる白先勇自身の創作行為を明らかにする視点、2つ目は、白先勇小説の改編に携わる映像作家や舞台監督の意図や思想を解明する視点、3つ目は、そうした翻案者たちと白先勇自身との協働の様相を照らし出す視点、最後に、受容者の視点を補いつつ白先勇小説の翻案作品がもつ社会的意味を考える視点である。

 第1章「エグザイルとしての在米中国人――1965年白先勇小説「謫仙記」から1989年中国映画『最後的貴族』へ」は、翻案映画『最後的貴族』に込められた制作側の意図を、第1・第2の視座から個別に考察し、重層的に浮かび上がらせようとするものである。ただし、本章は第1節でまず翻案映画の分析に先立ち、原作小説「謫仙記」の意味を問い直すことから始めた。それを踏まえて第2節では、白先勇が同作の映画化に託した意図を探求した。映画『最後的貴族』を監督したのは中国映画界の巨匠の1人・謝晋であるが、ここではその映画版シナリオを白先勇テクストの1つとして捉えることで、この翻案映画の再考を試みた。その後、あらためて謝晋映画としての『最後的貴族』について論考した。1923年生まれの謝晋監督は、改革開放後に大陸で台湾文学が解禁されるやいなや、まず白先勇文学を手に取り、その読書に没頭したという。本章第3節では、謝晋監督における「謫仙記」改編の意味を、その在米中国人子女表象のあり様に着目しながら考察した。

 第2章「白先勇小説の台湾「本土化」をめぐって――1985年台湾映画『孤恋花』の意義」では、全体を通して第1の視座に立ち、自作小説の翻案をめぐる白先勇の創作行為を探求した。台湾映画『孤恋花』(1985)は、同時期の白先勇原作映画である『玉卿嫂』や『金大班的最後一夜』に比べて、今日では白先勇自身も、林清介監督自身も、あまり饒舌には語らない作品である。その一方で、実はこの映画は極めて良好な興行成績を収めてもいた。本章では、映画『孤恋花』に流れる白先勇の思想を考察し、この翻案作品の意義を再考した。

 第3の視座に立ち、白先勇小説の翻案をめぐる白先勇自身の創作行為と、映像作家たちの改編企図との交錯点、その協働の様相を照らし出そうとしたものが、第3章「中国で生まれた台湾歌曲――台湾テレビドラマ『孤恋花』における「孤恋花」」である。曹瑞原は、2003年の『孽子』から2015年の『一把青』に至るまで、台湾で白作品のテレビドラマ翻案を精力的に行った監督で、もはや白先勇文学の最も著名な翻案者といっても過言ではない。とりわけ「孤恋花」の映像化は、曹の積年の夢でもあったというが、では彼自身は「孤恋花」をどのように読み、2005年の台湾における同作のドラマ化の意義をどう捉えたのか。監督の思想や改編企図は、当時崑曲復興活動に尽力していた白先勇の思想性といかように響き合い、また白先勇自身は「孤恋花」のドラマ化にどう向き合ったのか。それらの点を明らかにしながら、21世紀の台湾における白先勇小説の翻案の意義の一端を考えた。

 第4章「白先勇小説『孽子』の映画・テレビドラマ・舞台劇への改編にみる、台湾セクシュアル・マイノリティ言説の変容」は、第4の研究視座、すなわち受容者の視点を補って白先勇文学の翻案の意味を考えたものである。白先勇の唯一の長編小説『孽子』は、2013年までに中国語版・各国語翻訳版を合わせて計17種類もの版本が刊行されており、その点から見ても、最も広範な読者を持つ白の代表作であることがわかる。同作の翻案は、台湾において3度作られてきた。最初は1986年に公開された映画版、次に2003年に放映されたテレビドラマ版、最後に2014年に制作された舞台劇版である。本章は2014年の舞台劇『孽子』の社会的意味を論じることに目的をおき、まず3つの翻案版におけるセクシュアル・マイノリティ表象の変遷を追ったうえで、舞台劇をめぐる観衆の反応を分析した。そして、その反応と白先勇を含む制作者の企図との交錯点を照らし出しながら、同作における台湾セクシュアル・マイノリティ表象を検討した。

 以上の考察から、白先勇小説の中心的翻案者、すなわち映画・ドラマ・舞台劇の監督たちは、白先勇作品をいかに解釈したのか、また、彼らが白先勇文学の中のいかなる物語・テーマがこの時代・社会に必要であるのかと取捨選択的に考え、白文学を各時代の大衆のためのテクストへと作り変えていったのか、すなわちそうした翻案者の白文学受容と再創造の実態が、中国人映画監督の謝晋と台湾人映像作家の曹瑞原を例に、浮かび上がったのではなかろうか。また、白先勇小説の翻案作品の場合特徴的なのは、往々にして原作者の白自身が極めて積極的な翻案者であり続け、その翻案は原作者と監督との共同作業のもとで生まれているということだ。白先勇はまさしく中国伝統劇の崑曲を、その保存のみならず繁栄を目指して現代化していると言えるが、その精神は、彼が「変奏」と表現した自作小説の翻案作品においても貫かれていると捉えられよう。「時代ごとに異なる注釈」によって白先勇文学の意義が脱構築されていく過程に、白は自ら参画するばかりか、往々にしてそれを促す原作者でもあったのである。言い換えれば、白先勇は、白先勇文学が「保存して硬化」されることを拒み、変奏し続けるものであろうとする運動を止めないのだ。

 白先勇小説の翻案は、原作者と監督らの共同・対話作業によって、異なる時代の異なる文脈にあわせた、いわば繁栄のための最適解が考案され続けた。しかしたとえば舞台劇版『孽子』の観客の反応が示すように、大衆はそうした現代化された白先勇文学を、時に複雑な思いで受け止めるのだろう。同作をめぐる理論家からの否定的意見に白先勇は強く反駁したが、それでもきっと、そうした「物語の参加者」(ハッチオン)との対話を通して、数年後にはまた別の『孽子』の翻案が試みられるに違いなかろう。

 まだ個別事例の研究は尽きないが、ひとまず本論文により、作家白先勇の文学営為には「自作小説の翻案者」という重要な一側面があること、また翻案者とその物語再創造への参加者による原作再解釈を考察することで、白先勇文学受容の一様相を明らかにできたのではないかと自負するものである。