「八〇後」作家の韓寒と現代中国文化市場の変容

楊 冠穹

 

 人民共和国建国以来、中国文学史においては政治や社会環境の変化に伴い、「建国文学」、「十七年文学」、「新時期」、「ポスト新時期」等、様々な時代区分が次々と現れた。「新時期」以降の中国文学は改革開放政策に大きく影響されてきたが、21世紀に入ってからは市場経済と密接な関係を有している。この新しい時代の文学の大きな部分を担うのは、直接に文化大革命の影響を受けることなく、外来文化や当代思想の影響を受けて育った世代、いわゆる「八〇後(パー・リン・ホウ、1980年代生まれ)」の個性的な作家たちである。急速に発展する中国消費社会の中で成長してきた「八〇後」世代は、時代の進行につれて社会の中堅的勢力となりつつある。さらに、彼らの社会における役割は徐々に変化し、社会における自己認識を構築しようとする意識が強くなってきており、「八〇後」世代による共通の文化基盤が形成され始めた。

 韓寒(ハン・ハン、かんかん、1982~)や郭敬明(クオ・チンミン、かくけいめい、1983~)に代表されるポスト鄧小平時代に青春時代を過ごした「八〇後」作者たち、そして彼らが創造した今現在の中国文学界はまさに現代の「五四時期〔1919年の五四運動をきっかけに、中国における文学が大きく変化した時期〕」と言えよう。多くの作者の中で、市場という厳しい現実の下で、誰が生き残れるのか、誰が歴史に名を刻んで本当の作家と呼ばれることになるのか、今はまだ断言できないが、「八〇後」という文化現象および「八〇後」作家ついての研究は、中国現代文学史の構想においてなくてはならない重要なものだと考えられる。

 実は、中国「八〇後」世代に関しては、経済・消費や社会・文化などの領域でかなり研究が進んでおり、特に経済上中国と強く繋がっている日本のビジネス界では、「八〇後」世代の消費市場・消費行動についての分析が、大きな課題となっている。しかしその一方で、「八〇後」世代の心情を代表する「八〇後」文学に関する研究は未だ本格的には始まっていない状態である。日本ではそもそも「八〇後」文学を知る人が少なく、中国でも「八〇後」世代は「堕落している」「責任感が無い」「自分勝手」「叛逆的」「軽薄」等と揶揄されており、「八〇後」文学は一過性の文化現象として扱われることが多い。前述の韓寒や郭敬明といった人気若手作家は、学界では未だに文学者あるいは小説家として十分には認識されていない状態である。

 また、ここ数年、「八〇後」作家たちは興味深い動きを見せ始めてもいる。その多くは作家活動のほかさまざまな文化活動の展開を始めている。その中でも、主に自らの宣伝やほかの「八〇後」文学作品を紹介するための定期刊行物の出版と、映画製作の関与は特に注目すべき行動であろう。文芸誌としては、郭敬明が2006年に『最小説』を創刊、張悦然(チャン・ユエラン、ちょう・えつぜん1982~)が2008年から『鯉』シリーズを刊行、韓寒も2010年に『独唱団』をそれぞれ創刊した。例えば、韓寒と郭敬明の文芸誌創刊に関しては「それぞれが編集長として送り出す雑誌となると、読者を奪いあうことになるのでは、と注目が集まっている。いずれにしても文芸誌人気がさらに熱を帯び、新たな読者、そして新たな作家を産み出すステージになることが期待される」と評価されており、彼らは作家として小説を書くことだけでは満足せず、自らより若い作家の新しい作品を世に送り出そうとしており、中国文学の未来を作り出そうとしているのである。

 さらに、郭敬明と韓寒は「八〇後」の先頭を切って、映画界に進出した。2013年、郭敬明は彼の人気小説『小時代』シリーズを自ら監督となって映画化し、その翌年には韓寒が中国版ツイッターであるウェイボーで映画監督デビュー作『後会無期』の製作および同作の上映予定を発表した。二作はいずれも爆発的な反響を引き起こした。彼らを文学史において位置づけるためには、いわゆる作品自体を分析するだけでなく、作家と作品を取り巻く社会状況も見落としてはならないのである。

 本論では、「八〇後」の代表とされる韓寒を軸に、人民共和国建国以後の中国現代文学史における「八〇後」作家の誕生から、彼らが現代中国の文壇および文化市場に対してどのような変容をもたらしたのかを分析した。その際には、韓寒の文学・文化活動を四期に分け、それぞれの時期の社会背景を視野に入れた上で作品分析を行った。同時に、同世代のライバル作家である郭敬明などにも触れつつ、「八〇後」作家の文化界における活躍が中国現代文学の発展にどのように貢献しているのかを考察した。

 第一章では、1999年から2004年までを韓寒の新人期とし、まずは新概念作文コンテストにより韓寒がデビューしたことを紹介した。そして、教育制度への批判をテーマとした彼の小説『三重門』の流行と韓寒の退学とがマスコミによりニュース・評論で取り上げられ、熱い議論を巻き起こした「韓寒現象」、またこの現象に伴い、「八〇後」の作品群が正式に中国社会で文学として認知されるようになったことを関連付け、「韓寒現象」と「八〇後」文学の成立との関係を明らかにした。さらに、「八〇後」文学の原点と言える『三重門』を表現の特徴と物語の構成という二つの側面から分析し、銭鍾書の長編小説『囲城』およびアメリカ1950年代文学のサリンジャーによる青春小説『ライ麦畑でつかまえて』の両作と『三重門』との影響関係を明らかにし、さらにその類似性の社会的要因を考察した。

 第二章では、2004年から2010までを韓寒による論争期とし「批評界はもはや参考にできる理論のストックがない状態に陥っており、経験的な批評もその解釈能力を失っている」という状況の中、武侠小説・武侠映画の発展の流れを整理し、韓寒の唯一の武侠題材小説である『長安乱』(2004)を分析することで、武侠文化が韓寒作品においていかに個性的に受容されたのかを検討した。中国が急速な経済発展を遂げる中、香港返還や台湾問題など中華民族の分裂に関わる現実にも向き合わなければならなかった状況の下で、共産党政府は「一種の統一ムードを促進する文化的な商品」として金庸小説を称揚した。しかし、韓寒は中国大陸における金庸武侠作品の政治的意味に気づき、あえて正統ではない二種の武侠映画――コメディ武侠とアート武侠――からさまざまな手法を学び、武侠らしくない武侠小説を書き上げた。こうした「正統」に立ち向かう姿を示した韓寒は、その後に文化界で「韓白之争」という論争を引き起こし、中国文学の新旧対立、および作協・主流文芸誌・国営出版社の三者から構成される既成文壇側の「鉄の三角」を動揺させた。

 第三章では、2010年から2014までを韓寒の成熟期とし、建国以来の国営出版体制史を整理し、文革後の改革開放政策の実施による出版市場の変化と制限を羅列した。そして、「八〇後」作家たちによる出版活動と市場経済下文化権力の解体との因果関係を明らかにした。その上で、長編小説『1988~僕はこの世界と話したい』を分析対象として、同作における天安門事件(1989)の影を指摘する一方、韓寒が異なる時代に起きたメインプロットとサブプロットを同時に語り、時間の流れを混乱させることで巧妙に当局による検閲をくぐり抜けていることを解明した。韓寒は断片のような記憶を組み合わせて、現実世界に対する批判を行い、当局による言論規制と戦いながら、「僕」という語り手を通じて低層民衆の物語を展開したのである。また、「記憶」をテーマとし、過去の改革運動の犠牲者への追憶を通じて、現代中国においては抹消されている歴史を語ると同時に、大学卒業後の社会人としての挫折に囚われて絶望に沈みかけている三○代初頭の主人公に希望を与えた。最後に、台湾における「韓寒現象」の発生と毛沢東の「老三篇」をも連想させる「韓三篇」の発表を取り上げ、中国の現在を鋭く深く描き、デビュー当時から変わらぬ冷静かつ沈着な目線で中国社会の変化を見届けている彼の姿勢を確認した。

 第四章では、2014年から今日までを韓寒の模索期とし、「八〇後」作家の郭敬明と前後して映画製作に進出した点を取り上げた。ここでは、郭敬明と韓寒という二人の対照的な流行作家が、映画製作においてどのような要素を取り入れて物語を構築しているのかを考察し、「八〇後」作家の映画進出が中国文化市場にもたらした変化、とりわけ、中国文化市場の新構図を描いた。文学が映画製作に寄与する一方で、映画もまた文学創作に寄与するという文字と映像との循環構図が、まさに中国文化市場の現在の姿であることを明らかにしたのである。

 韓寒は言葉遊びや「八〇後」世代に親しい社会的文化的要素を使うことによって、「八〇後」世代の共感を呼び起こし、彼らに広く受け入れられた。彼が多くの人から好かれるのは、不羈の天性によって常に独特な視点で中国社会を見つめているばかりでなく、言論統制下で他人が言えないことを彼が敢えて言うからである。このように、「八〇後」作家たちは体制との戦いや妥協など、さまざまな方法を模索しながら、自らの「文壇」を構築していこうとしている。郭敬明や張悦然のように作協に入り、保護を求めることを選んだ人もいれば、韓寒のように抵抗しつつ、自分の道を堅持する人もいる。これからの中国の文学界は民主化の進展と市場経済のさらなる発展を頼みとしつつ、「八〇後」の活動により新メディア時代への転換を促されていくのであろう。

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