朝鮮時代人物画の展開―契会図、雅集図と画家の自己表象―

中尾 道子

朝鮮時代(1392~1910)は、朝鮮半島の美術史上、絵画がもっとも盛んに制作された時期であり、本研究で取り上げる人物画の分野にも多様な展開が認められる。本論文では、朝鮮時代の絵画における人の表現をめぐるさまざまな試みに着目し、特に実在する人物たちを複数の人物の集合的構成として表現したもの(契会図、雅集図・雅会図)、さらにはそこから派生したと考えられる画家の自己表象(自画像的表現)の問題に焦点を当てる。

本研究では朝鮮時代の絵画を対象に人物画の展開を追うわけであるが、その全てを扱うわけではない。肖像画に焦点を当てるが、本研究で扱うのは、すでに多くの研究がなされている国王や功臣の肖像ではなく、実在の人物が描かれるという意味において、契会図や雅集図・雅会図を広く集団の肖像画と捉える。さらに、画家の自己表象の問題を扱うが、分析の対象にした作品には必ずしも自画像であることがはっきりと明かされたものではない図像も含まれる。これらを契会図や雅集図・雅会図といった集合像の場合と、単独像の場合とに分けて、以下のような構成で論じた。

第一部「朝鮮時代人物画研究序説」では、序章「記録と記憶のメディアとしての絵画」において、人物画の展開をたどる前に、朝鮮社会が享受していた造形芸術の価値観と芸術作品との関わりについて概観し、第一章「契会図の変遷―山水から人物へ」では、人物表現の展開において第一の転機が認められる契会図の変遷をたどる。朝鮮時代の契会図は、16世紀中葉を境に山水を主体とする図像から宴の場面を重視する方向に変化していくが、特に近年紹介された「中枢府重修宴契会図」(東京藝術大学附属図書館蔵)をはじめ、1580年代に制作された作例を詳察した結果、画中に参会者の数や座次までもが忠実に再現される一方、参会者が附した詩文等からは、実在の宴を絵画化するに当たり、中国の故事に倣おうとするなど、理想化の側面もうかがえる。契会図では事実としての会合を記録するだけでなく、士大夫による宴のあるべき姿を後世に伝えることが意図され、個々の人物の肖似性よりも為政者としての理想像の描出に注力されたことなどが指摘できる。また、本章において、16世紀半ばを境に契会図が山水を主体とする図像から人物に焦点を当てた図像に推移する理由を、朝鮮画壇が摂取した中国絵画の画風の差異にのみ求める従来の研究を再検討し、高麗時代に行われた海東耆老会に関する文献史料の分析等から、新たに内的要因の可能性を提示した。

第二部「集いのかたちの変容―ジャンルの横断と雅俗の交錯」では、人物画の展開において第二の転機となる18世紀の雅集図・雅会図を取り上げる。17世紀後半以降、士大夫官僚たちによる政治的な紐帯にもとづく契会のみならず、民間において、社会的、文化的な結びつきによる私的な集まりの流行が見られるようになる。これらは、雅集、勝集、詩会、詩社など、名称こそ実にさまざまであるが、ある共通の目的、絆で結ばれた人々の集まりであり、その共通の絆は契会のように政治的な意味合いの強いものから、地縁、血縁、文学、思想的なものへと広がりを見せ、会合を記念し、記録するために数多くの絵画が制作された。こうした絵画は多様なバリエーションで展開するが、18世紀に至って、それまで描かれる側であった士大夫文人、あるいは専ら作画の担い手であった画家が、作者自身を含む雅集の場を描いたものが出現するようになる。

第二章「一八世紀朝鮮の知識人たちの表象―姜世晃周辺の画家たち」では、姜世晃(1713~91)をはじめとする18世紀の文人画家たちの作例を中心に考察する。作品それぞれに密着した分析となるが、特に、集まりの中に自己を描くという行為、その際行なわれる様々な演出に着目し、従来の人物画のジャンル分けを横断する現象を分析する。その結果、付随する文字情報によって実在の会合を描いたものとわかる絵画は、現実を再現しようとする意図の他に、さまざまな演出(故事・古典を借りた理想化や何らかの型に当てはめる類型化)がなされていたことが認められる。こうした事例は、実在の人物が描かれる朝鮮時代の肖像画制作に求められた肖似性の追究とは異なる方向性を示すものであり、作品の成立には、注文者・制作者・鑑賞者の間における古典の知識や儒教的教養にもとづく当時の人々の共通の認識が機能していたと考えられる。

第三章「金弘道『檀園図』考」では、18世紀朝鮮において図画署の画員として活躍した金弘道(1745〜1806以降)の代表作の一つである「檀園図」(韓国・個人蔵)を取り上げる。本図が実在した集まりを描いた絵画の中に作者自らが像主として登場する自画像的な表現を含んでいるという点に着目し、表現上の特徴及び作画意識の変化の両面から考察を試みた。その結果、本図は金弘道が後半期に多用する雅号「檀園」の初出が認められるなど、まさにその画風の移行期に描かれた作品として位置付けられ、「西園雅集図」等の中国の古典を題材にした故事人物画の受容と実在の集いの絵画化という性格を合わせ持つ作品、すなわち、金弘道独自の解釈による古の文人の文雅な場の再現と、18世紀朝鮮の文人社会の表象が結合した、画中に新たに生み出された雅集のイメージであることを提示した。

第三部「自画像への射程―一八世紀の朝鮮社会と画家の自己表象」では、第二部に見た他者との関係の中で芽生えた自意識が、「集まりの中に自己を描く」という段階から、「自分自身を描く」という行為へ向かう、その様相を、単独像を対象に考察し、画家と画家を取り囲む人たち、特にあからさまな自己表象が許されなかった社会階層にあった人々が、集団(属する階層)としての意識をいかにして一個の図像に収斂していったのかということを論証した。

第四章「金弘道の自画像的表現とその特質」では、「布衣風流図」(三星美術館leeum蔵)、「月下吹笙図」(澗松美術館蔵)、「秋声賦図」(三星美術館leeum蔵)等の金弘道の自画像的表現を含んだ作例を検討する。これらを同時代の文人画家たちによる自画像と比較したとき、あからさまに自分であるという表明が許されなかった当時の画員画家が置かれた情況が浮かび上がる。金弘道は、何かの行為をする像主に自らを投影し、また古の文士に自己のイメージを重ねるという屈折した二重構造でもって自己を表明しているのであり、そこには限られた鑑賞者の間でのみ交わされる自己のイメージが意図されている。

第五章「李麟祥筆『剣僊図』(国立中央博物館蔵)をめぐって」では、庶孼(士族の庶子)の画家、李麟祥(1719~60)の「剣僊図(松下人物図)」を考察し、像主の図様の型を呂洞賓像に求める説の是非を論じる。モティーフの解釈を改めて行い、新たに提示できる画像と史料から主題の再考を試みた。その結果、「剣僊図」は実在人物である酔雪翁(柳逅)を「剣僊」、すなわち呂洞賓になぞらえて描いたものとの結論が導かれるが、ただしその際、実在人物の姿を古人像に重ね合わせる、すなわち写実と理想化の均衡を図るために、従来の呂洞賓図像の改変が行われた可能性が指摘できる。「剣僊図」は李麟祥が欽慕した庶孼知識人である柳逅の肖像画であると同時に、李麟祥自身を含む庶孼たちが置かれた不遇な社会的立場への悲哀と共苦が一図像に収斂された作品である可能性を指摘した。

補論では、画家の身分と表現をめぐる問題を、18世紀朝鮮に新たに登場する「儒画」・「儒法」・「士気画」といった同時代史料に見える語に焦点を当てて考察を行った。朝鮮後期に明の董其昌(1555~1636)の南北二宗論の影響により確固となった身分による画派の区分は、上層文化としての文人画の概念に身分差別的な意味をさらに付与することとなり、李奎象(1727~99)の「儒画」「儒法」や、沈

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