岩井俊二(1963-)は映画監督であるのみならず、小説家・脚本家・漫画家・作曲家・作詞家・映画プロデューサーなどの肩書きをも兼ね備えた総合的なアーティストであり、その作品には強い主体性・作家性が表れているが、一般には映像作品の制作を行なう作家の総称である「映像作家」の呼称で呼ばれている。中国社会は80年代から現在に至るまでの約40年間に激変し、中国文化界も大きな変貌を遂げてきた。岩井俊二が活躍し始めた90年代以降、中国では幾つかの世代的な現象が浮上してきた。すなわち90年代半ばの第6世代映画監督の台頭、90年代の末の「70後」女性作家の登場、21世紀初頭の「80後」作家ブームなどであり、世代によって区切られるこうした文化的現象の中には、顕著な岩井の影響を見いだすことができる。

 本論は岩井俊二の作品(映画4作、小説3作)を主な研究対象とし、その芸術性・思想性・社会性を解明しながら、岩井作品が中国文化界(映画界、文学界)に与えた影響を考察し、第6世代映画監督、若手作家(70後女性作家、80後作家)などを切り口に、中国における岩井作品の受容・創造的模倣の意義を考察することを目的とした。また、グローバル化という背景の下で日中の映画・小説を比較し、両者間の対話を考察しながら、「中国映画・小説の現在」の諸相を岩井受容という視点から体系化した。具体的には第一部分「女性・分身・記憶」(第一章、第二章)、第二部分「少年・少女・成長」(第三章、第四章)、第三部分「メタモルフォーゼ・非日常・非時間」(第五章、第六章)という三つの主題に分けて、岩井作品の中国や中国に対する影響を、映画と小説とのそれぞれの受容を相互比較するという視点から分析した。論文全体は、以下の六章から構成される。

  第一章では、中国語圏における岩井俊二の『情書』の受容を取り上げる。具体的には映画『Love Letter』(1995)・小説『ラヴレター』(1995)各々の受容を通じて、中国大陸・香港・台湾における90年代の“情書熱”の実状を分析した。特に、「酷似人物」と類似の表象を用いた第6世代監督たちの作品を検討した。また、一般の読者・観衆が、作家・映画監督へと成長する過程において『Love Letter』を熱心に受容し、自らの文化的創作活動に取り入れたという、作家・歌手・異業種映画監督における受容状況についても理解を深めることができた。

 第二章では、中国で一大現象を巻き起こした村上春樹(1949-)の小説『ノルウェイの森』(1987)から影響を受けた岩井の小説『ラヴレター』が、「70後」女性作家である安妮寶貝(1974-)の『蓮花』(2006)に与えた影響に注目し、高度経済成長期以降の日中双方の文化圏における記憶の形態および多元的な相互影響関係を探究したほか、女性の記憶喪失とその修復というテーマの文化史的意味についても考察を試みた。最後に『ノルウェイの森』、『ラヴレター』、そして安妮宝貝の長編小説『蓮花』を中心に、それぞれの作品の背景、主題、構造を分析し、三作の受容関係を明らかにして、日中両国の現代流行文化の多元的影響関係の一端を体系化した。

 第三章では、作家としての活動以外にも、出版業界、芸能業界、会社運営と多領域にわたり活躍し、現代中国青春文学を代表する「80後」作家である郭敬明(1983-)が、青春小説において岩井を模倣したことに着目し、その模倣的創造の様相について解明した。特に郭敬明の代表作『悲傷逆流成河』(2007)における岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』(2001)の受容に注目し、現代のいじめ行為と原始社会のイニシエーションとの関係性を念頭において、宗教学者のミルチャ・エリアーデのイニシエーション理論を援用しつつ両作の異同点を比較検討し、現代中国という時代背景と郭敬明文学の形成過程についても考察した。

 第四章では、安妮寶貝(2014年にペンネームを慶山に変更)の小説『七月與安生』(2016)の映画への改編とその過程における岩井受容の問題に着目し、フロイトのエディプス・コンプレックス理論を援用しながら、作中人物の七月と安生という両女性のイメージおよび三角関係の中の権力構造を分析した。また、短編小説から長編映画へと改編される過程において浮上した、女性の視覚的快楽、母親の言説、女性主体の構築という諸テーマの展開および同作における岩井映画『花とアリス』(2004)の少女共犯のテーマの受容について、それぞれ検討した。

 第五章では、これまでほとんど論じられることのなかった岩井俊二の小説『ウォーレスの人魚』(1997)を取り上げて、岩井が人魚という表象を通して描いた植民地香港の歴史とその「中国回帰」について分析した。これに加えて、1997年の中国に対する返還前後の香港映画監督による二作の人魚映画、羅文(1945-2002)『人魚傳說』(1994)および周星馳(1962-)『美人魚』(2016)にも注目し、日本と香港の映画監督が描く人魚と香港の関係性を考察し、香港の人魚をめぐる表象とその系譜的関係を検討した。

 第六章では、映像作家の賈樟柯(1970-)『山河ノスタルジア』(2015)と岩井映画『スワロウテイル』(1996)とを取り上げて、それぞれの固有の物語性と作品製作の時代背景を考慮しつつ、両作における近未来都市及び金銭をめぐる表現に注目し、更に経済のグローバル化状況下で生まれたノスタルジア(郷愁)の表現方法に焦点をあてて両作を比較研究した。

 以上のように、本稿は岩井の創作を複数の段階に分け、特に高い独自性と強い個性を有し、中国への関心が色濃く投影されている発展期の岩井俊二作品に注目して、中国における岩井作品の系譜に連なる作品における岩井受容の詳細を分析するとともに比較研究を行った。第一部分では、中国での岩井受容の起点となった『Love Letter』について論じた。この作品は最も広く受容され、その受容とは単なる模倣(オマージュ)ではなく、独自の展開を示している。こうした受容者が後に岩井とコラボレートした例もあり、今後もそうした可能性が十分に考えられる。第二部分では、岩井のメッセージ性に深く影響を受けた受容者たちが、それぞれ新しい創作世界を切り開き、大きく変貌を遂げた中国文芸界の中堅グループに成長していく様子を考察した。第三部分では、これまで言及されてこなかった岩井作品における中国の影響を前景化し、岩井作品と中国の歴史・社会・文化との関連性を俯瞰した。それぞれの部分で扱った、理解・受容・交流という三つの段階においては、日中の映画・小説間の「影響」・「比較」・「対話」が観察できるのであり、ここから現代日中両国文化の密接な連動性の一端が窺えるのである。中国における岩井俊二作品の受容を研究し系譜的関係を明らかにすることは、現代中国の映画・小説の現在の諸相と変遷を総合的に探求するうえで不可欠な作業なのである。