本論文の目的は,2000年に施行された成年後見制度というものが,どのように広がり,運用されてきたのか,そしてそれは人びとの生活にいかなる影響を与えるものであったのか,という点を明らかにしていくことにある.成年後見制度を社会学的な立場から分析していくにあたり,本研究では「成年後見の社会化」という言葉に着目する.「成年後見の社会化」とは,成年後見制度を専門とする民法学者らによって用いられてきたものであり,法学というひとつの学問的なパラダイムのなかで共有され,流布されてきた概念である.本論文では,こうした法学者らによって用いられてきた「社会化」概念を相対化し,事例にもとづいた経験的な分析を通して,オリジナルな分析概念としての成年後見の「社会化」概念を構成し,提示する.これにより,成年後見制度がどのような形で利用され,それが「社会化」と呼ばれているのか,あるいは成年後見制度を機能させるうえで,どのような「社会化」のかたちがありうるのか,という点を結論として導く.本論文は,序章と結論を含め,以下の7章からなる.

 

 序章では,本論文の問題意識,目的と意義,研究対象,調査における倫理的配慮について記述した.とくに,本論文のポイントとして,以下の3点を主張した.

 第一に,成年後見制度が社会学の分析対象として重要なのは,判断能力の不十分な個人に対し,本人の主体性が失われていくなかで,社会がそうした個人をどのように扱うのか,いかに対峙するのか,といった社会的判断が当制度の利用/運用プロセスのなかに深く刻み込まれているからである.成年後見制度の運用をめぐる基準は契約を必要とする人びとの日常生活の様々な場面で,できるかぎり当制度を使わずに済ませたい人びとと,なるべくなら制度を利用してもらいたい社会的組織との間でつねに揺れ動いている.多くの関係性を契約という形式によって成立させる現代社会において,成年後見制度は人びとの暮らしのなかでどのようにして必要とされ,あるいはどのようにして利用を求められているのか,当制度の適用/運用をめぐる営為を問うことは,現代社会のあり様を問うことにつながるものである.

 第二に,成年後見制度の利用が本人の財産管理と身上監護に多大な影響を及ぼすものである以上,制度の利用をめぐる判断には,個人と社会,家族との緊張関係がみられるはずである.本論文で試みるのは,判断能力が不十分とされた個人の私有財産と身上監護に関する決定を社会がどのように扱うのかを明らかにすることである.この点で成年後見制度の社会学的な分析は,現代社会のひとつの社会診断となるものである.

 第三に,福祉社会学や家族社会学では,家族を超えたケアの担い手の可能性が模索されてきたが,成年後見制度はこれらの議論に対し,どう答えることができるのか.果たして,第三者の成年後見人は選択肢のひとつになりうるのか.高齢社会の進展,単身世帯の増加,家族規範の変容といった社会変動によって,かつてとは異なる社会的課題が生み出されるなかで,本論文は,成年後見制度の分析を通して,一定の答えを提示することを試みるものである.

 

 第1章では,成年後見制度の概要,成年後見の登場の背景,スローガンとしての「成年後見の社会化」について記述した.

 成年後見制度とは,民法上の法定後見制度と,任意後見契約法による任意後見制度から成る,判断能力が低下した本人の財産管理と身上監護(契約行為)を支援する制度である.

成年後見人は,親族,あるいは親族以外の第三者に大別される.現行の成年後見制度が導入されて以降,親族後見人が減る一方で,第三者後見人は年々増加し,現在7割以上を第三者後見人が占めている.このうち,第三者後見人の9割は専門職後見人である.ほかに,第三者後見人には法人後見や市民後見のかたちもあり,そのアクターとして,社会福祉協議会やNPO法人,生活協同組合などの形態がある.また,成年後見の登場の背景について,旧制度の問題点,国際的な人権意識の高まり,社会福祉基礎構造改革における成年後見制度の位置づけの3点から整理した.さいごに,広く人びとに利用されるための「政策的課題」として成年後見制度を捉える「成年後見の社会化」という言葉が,スローガンとして2000年代初頭に出てきたことをまとめた.

 

 第2章では,民法学者が「成年後見の社会化」をどのように論じてきたのかについて,大きく3点からまとめた.ただし,本論文では,これらを法学者がいう「社会化」の概念に限定せず,社会科学の世界において普及している社会化の多様な意味合いを念頭におきながら,成年後見の社会化の現象として捉える.したがって,本論文では法学者が提示した「社会化」概念のみならず,以降の分析を通して独自の概念として成年後見の社会化を概念化しようとする.

 

 第3章では,社会変動から成年後見制度の位置づけを捉えるための分析をおこなった.これにより,親族後見人から第三者後見人へと成年後見の担い手が変化してきたことを,社会変動との関連から捉えた.つづいて,成年後見制度の市町村長申立てを運用するにあたり,すなわち,後見費用を社会化するにあたり,中間集団の役割が重要な機能を果たす場合があることを指摘した.

 

 第4章では,成年後見制度の利用がどのように広がり,普及したのかという観点から,民間企業を通した成年後見制度の位置づけと機能について分析した.成年後見制度とは,その利用動機に示されるように,本人の生活上の何かしらの生活課題を成年後見制度によって解決しようとするときに持ち出されるものである.逆に,そうした事情のない限り,成年後見制度は利用されることなく,これまでその大部分は家族や周囲の人びと,支援者によって代わられ,人びとの日常的な営みの中で回収されてきたものである.そこで,成年後見制度が焦点化されるようになった要因のひとつに市場があったこと,すなわち,成年後見制度を通した財産管理の社会化は,被後見人と市場の関係から捉えられることを指摘した.

 こうして,市場が成年後見の社会化を推し進めたことを踏まえ,財産管理の社会化が,人びとの生活にいかなる影響を及ぼしたのかを,本人および家族の視点から分析した.そして,成年後見の社会化がこれまで家族に専属的に担われてきた財産管理を専門職を担い手の中心として脱家族化するものであったこと,財産管理の社会化は,家族の家計支出の管理やケアの処遇決定に対しても,一定の脱家族化を促すものであったことを指摘した.

 

 第5章では,4章で議論した財産管理の社会化の議論を受けて,成年後見制度による身上監護の社会化に関する分析と考察を行った.第三者の成年後見人のほとんどを専門職が占めるなかで,身上監護をめぐり,専門職間の衝突や対立が生じることがある.それぞれの専門職が培ってきた専門性の違いに加え,それぞれの仕事の進め方,利用者とのかかわり方,アプローチの仕方など,各専門職が置かれた構造的な要因も考慮して,成年後見人を含めた各専門職は対応する必要がある.このように,身上監護の社会化には,成年後見人,および本人を支援する専門職それぞれが,専門職として内面化した文化や規範の相対化が求められる.こうして支援方針を協議する場が設定されることで,ある種の均衡が図られ,一定の安定の実現が図られる.このように,成年後見制度を機能させる上での条件として,身上監護をめぐる協議の場の設営が,重要な要素として組み込まれていることを指摘した.各専門職が他職種の専門職と開かれた場で協議することを可能にするという意味で,これも成年後見の社会化の一側面とみることもできるだろう.さらに,生活協同組合のワーカーズコレクティブが取り組む成年後見事業を分析し,専門家以外の諸アクターが実質的に関与していくこともまた,成年後見の社会化における重要な要素であることを指摘した.

 

 本論文の結論として,成年後見制度を機能させる上での重要な側面として,意思決定をめぐる協議の場が設定されていくことや,中間集団的な多様な存在が関与していくことのなかに,成年後見の社会化を見出せることを主張した.以上の分析は,おもに法学者によって用いられてきた「成年後見の社会化」を出発点としながら,社会学の立場から事例を分析し,経験的に考察していくことを通して,その括弧を外していく作業でもあった.

 そのうえで,本論文では,これまでの民法学の議論では成年後見制度の中心をめぐって,財産管理か身上監護かを問うてきたのに対し,それをさらに超える包括的な概念として,生活支援を設定し,その生活支援に包摂された,成年後見制度(身上監護・財産管理)という視点を提示した.そこでは,感情労働や人間としての信頼関係,さらに,全人的関係にまで視野を広げた,成年後見制度を通した支援のあり方が模索されてもよい.こうした見解は,福祉サービス利用援助事業など,これまで地域福祉で議論されてきた問題関心に接続されるものである.

 また成年後見の担い手は,親族から第三者へと大きく変化した.しかしながら,本論文で指摘したように,専門職を中心とした社会化にも限界があり,それには市民後見人の支援による補完が期待される.これらの点が今後の分析課題となっており,地域福祉と市民後見について,本論文で確立することを試みた社会化概念を用いることによって,新たな知見を導きだしていきたい.