本稿の目的は,〈生殖〉と〈男性〉というこれまで積極的には結びつけられてこなかった2つの単語を併記し,そこから新たな問題設定や分析枠組みを構築する作業をとおして,ジェンダー研究という実践を総体的に問い直すことである.こうした試みが位置づけられる背景として,生殖をめぐる男女の身体差の圧倒的不平等を前提として,いかなる平等観に基づき望ましい社会を構想するべきかという問題意識がある.

男女の生殖機能やそれに関連する経験は,いまのところ男女のあいだで代替不可能であり,非対称性がある.生殖において男女が非対称である,あるいはそうした不平等な状態を平等に近づけるべきだ,といった主張には,なんらかの尺度や基準が前提とされている.そうした(不)平等の度合いをはかる尺度や基準は,各論者が有する理想的な社会構想を目指すための指針に基づいて作成されている.しかし,生殖における男女平等が達成されたと判断するに足る尺度や基準は複数ありえ,そして相互に鋭く対立することがある.では,生殖を論じてきた先行研究がいかなる社会構想のもと,どのような尺度や基準を用いて生殖における(不)平等を論じてきたのか,そして,先行研究の議論の変遷を踏まえ,わたしたちはいかなる望ましい社会構想のもとに,どのような尺度や基準を用いて生殖における男女平等を検討すればよいのか――これが本稿の問いである.

本稿は3部構成であり,序を含め11章からなる.第1部はフェミニズム思想を中心とする先行研究における生殖論を検討し,第2部は生殖における男性という存在を男性学・男性運動という分野から検討し,そして第3部は生殖における男女の平等をどのように考えるべきかについて規範的社会理論の立場から検討する.いわば第1部と第2部は既存の研究領域での生殖と男性の関係を批判的に検討することに費やされ,本稿の中心的な議論となる第3部では,現代のリベラリズム思想を中心とする規範理論と,フェミニズム思想を中心とするジェンダーの規範理論との対話(不)可能性を,規範的社会理論の立場から探求するという構成になっている.

 

以下,各部・各章ごとの議論を紹介する.

まず第1部は,2つの章から構成される.第1章では,本稿全体の問題関心や概念の定義について確認をしたのち,これまでの生殖における男女平等について言及している研究潮流として,とくにフェミニズム理論の展開を対象に整理した.具体的には,フェミニズム思想の生殖論において,家父長制と自己決定権の2つの概念が与えた影響を考察した.また生殖が女性の問題として論じられがちである状況を踏まえ,生殖論においてなぜ男性を当事者と考える必要があるのか,男性を生殖の当事者として位置づける根拠は何であるかについて検討した.

第2章では.フェミニズム思想について,生殖をめぐりいかなる議論が展開されてきたのかを歴史的に遡り検討した.フェミニズム思想の男女平等観の変遷を追いながら,同時にその生殖論に登場する男性の位置づけの変遷を考察した.そして,そうした生殖論に男性が積極的には登場してこなかったことを指摘した.

第1部で明らかにしたのは,生殖における男女平等というこれまでの議論において,そこで議論の対象とされているのは女性のみである,という事実である.それを踏まえ,男性も生殖の当事者の一人として位置づける必然性の説明を行った.

つづく第2部では,男女のもう一方の男性は,生殖について何を語ってきたのか,あるいは何も語っていないのであればそれはなぜなのか,について検討をする.第1部で生殖における男性の不在を明らかにしたが,男性の生殖の当事者としての意識の希薄さはなぜなのかが次なる問いとなる.そこで日本の男性学・男性運動という立場から考察を行い,男性は生殖においてどのような存在として自分(男性)を位置付けてきたのかを経験的に検討した.

第2部も2つの章から構成される.3章では,日本における男女平等の実態について各種統計資料から確認をする.また,出産後の生殖と男性,つまり養育と男性の問題を扱う.現代日本において,生殖行為の責任の1つの取り方として,男性は子を養育する義務を負うという認識は――その責任の取り方には幅があるとはいえ――規範の水準では広く共有されている.しかし各種統計データが示す実態は,そうした規範と大きく食い違っている.また,公的扶養による税金の支出を減らすために私的扶養が強調される昨今の社会状況を鑑みると,男性の養育責任はますます強くなってきている.子どもの福祉の観点からも,生殖と男性の問題は捉えなおされる必要があるとして,福祉政策とも接続する重要な問いであることを指摘した.

4章では,生殖の当事者は誰か――あるいは「生殖の当事者は誰か」と考えることはいかなることを意味するのか――という問題について検討をした.そのうえで,男性と生殖という問題系に取り組んだ男性学の議論を紹介しながら,生殖における男女平等という議論において,男性は自身に都合よく不十分なかたちで,他者(女性)の問題として生殖を論じてきたという事実を確認した.

第2部で明らかにしたのは,男性にとって生殖は他者(女性)の問題と捉えられてきたこと,また他方で生殖を論じる一部の男性にはパターナリズムと批判が寄せられ,生殖は男性にとって論じにくい主題となってしまっていることを指摘した.

第1部と2部で行った女性と男性の生殖についての経験的な語りを踏まえ,第3部では,理論的な検討を行った.具体的には,フェミニズム思想の規範理論をより広い理論的文脈に置き直し,1つの男女平等観を提示している社会規範理論として位置づけ直した.第3部では,フェミニズムの規範理論とその他の規範理論との対話可能性を探ることから,生殖における圧倒的非対称性を前提とした男女平等の望ましい考え方を構築するというアプローチを採用した.

第3部は5章から構成される.第5章では,現在の公共哲学や規範理論の参照点としてもっとも相応しいJ. Rawlsの『正義論』と『政治的リベラリズム』を主たる対象に,男女平等がいかように考えられているのかについて確認をした.そのさい,Rawlsの議論を実質的な平等観を提示しているものとして,そこで提示される「よい社会」の内実を含め検討した.

つづく第6章から9章は,フェミニズ思想の規範理論を取り上げた.とくに本稿が注目したのは,ケアという概念を軸に展開しているフェミニズム思想の潮流における平等観と,その含意である.6章ではフェミニズムの規範理論の大きな潮流を概観し,とくに現代リベラリズムとの対立の文脈を重視して整理した.7章では,フェミニズムの規範理論の中心といえるケアをめぐる思想潮流について,論者の世代という切口から詳述した.8章ではケアの議論をさらに展開しているフェミニズム理論を掘り下げて検討し,現代のリベラリズムとの対立点と妥協点を提示した.9章では,Rawlsの議論が前提としている各論点を,フェミニズムのケア論がいかに乗り越えているのか/乗り越えていないのか,について本稿なりの評価をした.

第3部を通して検討したのは,社会構想の指針として,私的領域で適用されていた規範であるケアという論点が,どこまで公的領域に適合・拡張できるのかについてである.ひいては生殖における男女平等をいかように考えるべきなのか,といった規範的な問題に対する解に,どこまでフェミニズムの規範理論は応えられているのかを評価することでもある.

以上の第1部から第3部までの議論を通して,本稿の結論では,これまでの議論を振り返りながら,生殖における男女平等の規範的な解をめぐる検討に費やされる.生殖の男女平等のためには,公的領域への女性の参加はもとより,私的領域への男性の参加を促すことが肝要であることを本稿は主張した.そのため,本稿は,男性を私的領域に積極的に参加させる方向に社会の舵を切るべきだ,という立場を擁護した.こうした本稿の立場は,生殖を女性個人の問題として組み立てられるという議論にたいして修正を迫るものであり,また同時に生殖は他人(女性)の問題としてかかわろうとしない男性にも,修正を迫るものとなる.

こうした社会モデルは,規範的な社会像が有するカップル幻想,異性愛主義,あるいは近代家族規範といった陥穽には十分な目配りをしつつも,生殖という協働的な冒険的企てに向けて進んでいこうとする男女にとって,男女双方から望ましいと思える生殖をめぐるパートナーシップを築くための規範的な原理として,提出される.