ベトナム語における指示詞と指示詞に由来する文末詞・感動詞

安達 真弓

ベトナム語には、主に話し手から指示対象までの距離に基づいて区別される3系列の指示詞があり、指示詞の基本的な形式は全て、それと同形の文末詞及び(あるいは)感動詞を持つ。本研究は、ベトナム語におけるこのような同形式の3要素の関連性を探ることを目的とする。指示詞に由来する文末詞・感動詞の発展は、他の言語においても報告されている。よって、本稿でも、ベトナム語指示詞から文末詞・感動詞へという変化の方向性を想定する。まずは、それぞれの要素の共時的データを考察し、その機能を体系的に整理する。そして、その体系に見られる相違点と共通点を指摘する。

 第1章では、本研究の考察対象がベトナム語(の主要3方言のうち、標準的であると考えられている北部方言)の指示詞とそれと同形の文末詞・感動詞であること、また、それらの用法を自然談話、戯曲、小説の台詞部分など、(指示詞・文末詞・感動詞が現れやすいと考えられる)口語ないし口語に近いデータを用い、言語コンサルタント(40代、ベトナム人女性1名)の判断を仰ぎつつ分析することを確認する。そして、ベトナム語の基本的特徴(オーストロアジア語族ベト・ムオン語派、孤立語、基本語順SVO、主要部先行型など)と、本論文の構成について述べる。

 第2章では、本研究のキーワードとなる、ダイクシス表現、指示詞、文末詞、感動詞、文法化などの用語について、様々な言語における先行研究を概観する。指示詞は、話し手から指示対象までの距離を基準として近称・遠称(2系列の指示詞体系の場合)あるいは、近称・中称・遠称(3系列の指示詞体系の場合)と呼ばれることが多い。(本研究でもこのような慣習化した呼称を用いるが、以下で述べるように、ペトナム語指示詞の実際の用法を正しく反映しているわけではない。)文末詞は文末において、また、感動詞は主に文頭において、話し手の感情や認識、聞き手への働きかけを表すが、指示詞のような具体的な指示対象は持たない。感動詞は指示詞と同様に、それ自体で独立した発話になることができるが、文末詞は単独で現れることができない。ジェスチャーの付随も指示詞と感動詞の共通点であるが、文の構成要素として述語の項になったり、名詞を修飾したりできるのは指示詞のみである。一方で、指示詞・文末詞・感動詞はいずれも、その解釈を文脈に依存するダイクシス表現である。指示詞は、place deixis(話し手や聞き手の位置と比較して、指示対象のある位置を明示すること)にも、discourse deixis(同一テキスト上の、現在の発話、先行する発話、あるいは後続する発話を指示すること)にも関与する。一方、文末詞と、phatic interjection(コミュニケーションを円滑に進行させるために用いられる感動詞)やdiscourse marker(談話の意味を理解する手助けとなる標識)として分類される一部の感動詞は、discourse deixisに特化している。

 次に、各言語における指示詞から文末詞・感動詞への文法化について考える。文法化とは、語彙的な要素が文法的な要素へと変化することをいう。指示詞と同形の文末詞の存在はタイ語、Malayo-Polynesian languages、Papuan languagesにおいて、また、指示詞と同形の感動詞は英語、中国語、日本語、韓国語などにおいて報告されている。これらの文末詞や感動詞が指示詞から派生したものであると仮定すると、1つの形式が非常に多様な機能を持つことになるが、言語によっては、その機能と指示詞の距離や人称による区分の間に、関連する抽象的な意味を見出せるものがある。例えば、近称指示詞は文末詞として、話し手の直接経験を表すことがタイ語やAmbonese Malay, Malay, Javanese(以上、Malayo-Polynesian languages)、また、Bunaq, Adang, Abui(以上、Papuan languages)において観察される。

 第3章では、ベトナム語の指示詞について、単独形(近称đây、中称đấy, đó、遠称kia)、修飾形(近称này、中称ấy, ý, đấy, đó、遠称kia)の各形式と近称・中称・遠称の各系列の特徴を記述した後に、それらが以下の各用法においてどのように使い分けられるかを考察する。

 発話の場にある目に見えている対象を指す直示用法については、距離、人称、共同注意、対比、可視性などの観点から記述し、従来の排他的な区分ではなく、新たに提案する、包含を許容する距離区分を採用する。つまり、ベトナム語の指示詞は、A. 話し手の周囲(近称・中称・遠称の3つから選択可能)、B. 前記Aより広く、対象を具体的に認識できる範囲(中称と遠称の2つから選択可能)、C. 話し手の直接認識が難しい範囲を含む広い範囲(中称のみ使用可能)という、話し手を中心に広がる小・中・大の3つの同心円の中で相対的に運用されていると考えられる。よって、話し手の周囲では近称・遠称・中称のいずれによっても指示される可能性があり、また、直接認識が可能なBの範囲においては、聞き手の位置や指示対象が談話に導入済みか否かに拘らず、中称と遠称のどちらによっても指示される可能性がある。したがって、中称の指示対象は物理的な距離について中立的で、話し手から近いと感じられず、見えていても見えていなくてもいいという、その特徴がかなり捉えにくいものであると言える。ここで、中称が最も遠い場所を表すと結論付けるに当たり、中距離を連想させる「中称」という呼称との間に齟齬が生じる。しかしながら、系列名に変更を加えると先行研究を参照しにくくなるため、本稿ではその定義に変更を加えるに留める。

 中称は非直示的用法においても広く使用される。先行詞を持つ照応用法において中称は、特定された対象だけでなく、不特定の対象や連動的解釈を持つ対象も指示できる。近称については言語的テキストとして提示された先行詞を指示するtextual deixisの用法がある。遠称は照応用法では使用できないが、過去の知識を先行詞なしで直接指示する記憶指示用法においては使用可能なことがある。この用法においては、中称の方が広く使用される。また中称は、疑問詞に後置され、「どこか」や「誰か」などの曖昧な対象を指示する用法や、ある単語が思い出せない時に使われるplaceholderとしての用法も持つ。但し、曖昧指示に用いられるのはđấyあるいはđóであり、placeholderとして用いられるのはấyのみである。指示詞が親族名称に後置され3人称を表示する時、中称のấyは中立的な意味を持ち、遠称のkiaはネガティブな意味を持つ。時間を指示する場合、近称は発話時を、遠称は発話時から過去あるいは未来に向かって離れた時間を表し、中称は照応的に時を示す。以上のように、直示用法においても非直示用法においても、近称と遠称は確定した指示対象を指すことが多いが、中称は未確定の指示対象も指すことができる。

 第4章では、ベトナム語文末詞の概略を述べた後、ベトナム語指示詞と同形の文末詞の使い分けを、自然談話(ある家族の夕食時の会話)のデータを用いて例示する。指示詞は話し手と指示対象の間の距離を表すが、それと同形の文末詞は情報の質についての話し手の主観的判断や、聞き手への情報の提示の仕方に関わる。具体的には、đâyは直接経験に基づく判断(話し手の行動の開始、切迫感、不安、主観的評価)、nàyは事物(名詞句や節)の列挙、đấyは情報共有の志向(聞き手に対する新情報の提示、あるいは聞き手の有する新情報への関心)、kia及び縮約形は知識差(話し手による聞き手の想定の修正、あるいは想定を覆す情報を受けての話し手の驚き)、ấy及びその縮約形 ýは共有知識の確認(聞き手にとって既知であるはずの情報を思い起こさせる、あるいは話し手にとって既知であるはずだが一時的に思い出せなくなっている情報を思い出そうとする)を表す。よって、話し手はその情報が聞き手にとって新情報であるか、既に共有された情報であるかを把握していなければ、指示詞と同形の文末詞を適切に選択することはできない。

 第5章では、ベトナム語における感動詞を概観した後、指示詞に由来する感動詞をその機能に基づいて分類する。指示詞由来の感動詞は、感情の表出(状況変化に対する話し手の驚きを表すkìa)や、聞き手の行動を制止する対人的機能 (話し手の状況に注意を向けさせるđây、共有の規範に注意を向けさせるấy)、談話構造や発話交替に関わる機能(質問に答えるために話し手が長いターンを取ることを前もって知らせるấy、直後の話し手の発言に注意を向けさせる này、先行する文脈における話し手の発言の正当性を確認するđấy, đó)などを持つ。ことばに詰まった時に使う日本語の「あのー」のような用法 (interjective hesitator) は、ベトナム語の指示詞由来の感動詞にはない。

 第6章では、同形のベトナム語指示詞・文末詞・感動詞の機能的差異について、これまでの議論をまとめた上で、それらの使い分けに聞き手の存在がどのように関わっているか、また、各系列はどのように関連し合っているかについて、現時点での結論を述べる。ベトナム語指示詞は聞き手を物理的位置の目印として系列の使い分けの基準に組み込んではいないが、指示詞と同形の文末詞・感動詞は認知する主体としての聞き手の存在を使い分けの前提としている。また、指し示すという対人的な機能を元々持っていたベトナム語指示詞は、文末詞や感動詞へと変化する際に、一つの談話のまとまりを超えて話し手や聞き手が持っている体験・情報と発話の場をつなぐという語用論的機能が強化されている。その時、近称は話し手のコントロール下にある情報を、遠称は話し手から離れているものの明確に認識される情報を、中称は聞き手と共有された、あるいは共有されるべき情報を示す傾向がある。このような情報の特徴付けも、第4章で提示した、包含を許容する同心円状に配置できる。本稿は、place deixisを端緒とするdiscourse deixisへの通時的変化の道筋を具体的に提示するまでには至らなかった。今後、その過程を実証するためには、歴史的資料を活用するとともに、方言(変種)差を比較することも有用であると考えられる。

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