序章要旨

 『金光明経』は,原型が遅くとも5世紀以前に成立し,その後およそ三世紀にわたって発展増広されたと見られている.インド語原典が現存するほか,チベット語訳三種,漢訳三種が知られており,またインド語原典からの訳出と見られるコータン語訳,チベット語からの重訳と見られるモンゴル語訳等,漢訳からのウイグル語訳,ソグド語訳等が現存している.本論「序章」第1節にはこれらを網羅的に紹介し,またインド語現行テキストの確定に至るまでの校訂批判研究史を概観して確認した.

 また,『金光明経』には護国経典としてアジア諸地域で信奉された歴史があり,とくに中国天台宗においては厚い教学的研究の蓄積がある.「序章」第2節では,こうした歴史的な『金光明経』への解釈研究を概観し,次いで近現代における,梵・漢・蔵および諸語のテキストの対照によって行われた,批判的思想研究の蓄積を概観した.上の作業を通して,教学的研究を基盤とした共時的思想研究が比較的充実していること,また現存諸資料の比較による通時的思想史研究がテキストの発展増加に伴う思想的変遷の諸相を解明しつつあることを確かめた.これに応じて,本研究の目的を,テキスト成立前史の形成過程解明,および現存諸資料の間に見られる思想的変遷に関する残余の問題の解明と定め,これらを一貫した『金光明経』の通時的思想史研究をなすことを目指した.

 

第1章要旨

 第1章では,「四天王品」「弁天品」「吉祥天品」「地神品」「散脂品」のいわゆる「諸天に関する五品」,および「正論品」「善集品」「鬼神品」を扱った.第1節では検証前の見通しとして,「諸天に関する五品」は,いずれも神祇が経典受持者への加護を説くという点で構成上のまとまりを持つのみならず,物語上も四天王とともに来集した神祇が続々と説主をつとめるという連続性を持っていると見た.さらにこの後の「正論品」「善集品」はいわゆる護国思想を主題とする点で「四天王品」と連関を持ち,「鬼神品」はこれら七章の総結をなすと見てその検証を以下に行った.

 検証の結果,「四天王」から「鬼神品」に至る八章は,元来,説法師の称揚を主題とし,テキスト形成前史においては「四天王品」「地神品」が双頭でその核をなしたものと推測される.「四天王品」に連続する神祇の加護として「弁天品」「吉祥天品」が加わり,諸仏菩薩への敬礼文が付され,その末尾に「鬼神論」が釈尊による承認として置かれたものであろう.さらに「四天王品」の治国論の広説として「正論品」が,説法師供養の実際として「善集品」が挿入されると,「鬼神論」との連続が薄れたために,「地神品」までの小結として「散脂品」が仮構されたものと考えられる.

 経の受持者および説法師に神祇の加護があることは,初期大乗以来の説法師称揚を主題とする部分における典型的な叙述であった.本経の特色は,神祇の加護を発展させて護国思想を導出し,また経の受持を離れて直接に神祇を勧請し成就を請う儀礼の説示を導出して,しかもこれらを仏教的に意義付けた点にある.この体裁はテキスト形成前史にすでに整い,テキスト成立後にはもっぱら後者の儀礼,呪句,讃歌がヒンドゥイズムの源泉から摂取され,儀軌の収録じたいが目的化したようである.すなわち「四天王品」以下八章には,テキスト形成前史には「説法師称揚」>「儀礼の取り入れ」>「仏教的粉飾」という発展が見え,テキスト形成後の増広には儀軌集化する傾向が見える.

 

第2章要旨

 第2章第1節には,本経全体にわたって対告衆として登場する,ルチラケートゥ(信相,妙幢)菩薩について,ノーベルによる後代付加説を踏まえて検討した.ルチラケートゥは教説部分をなす「如来寿量品」「懺悔品」「蓮華品」,受持流通の功徳を説く「名持品」「正論品」「授記品」「讃仏品」と散発的に登場するが,通読すればこれらがルチラケートゥの如来寿量・金鼓懺悔偈を聞知,過去因縁譚,授記,成仏という一連の物語であることが分かる.ノーベルによればこの物語はテキスト編纂以前の比較的後代に付加されたもので,経が大乗菩薩称揚の傾向を強めたことを表しているという.

 本論が検証した結果,「正論品」のルチラケートゥは他章のルチラケートゥと性格付けに齟齬があり,したがって別の登場人物と名前だけ代替された可能性が高く,また「名持品」「授記品」「讃仏品」も前後の物語と遊離性が高いため後代挿入が充分疑いうる.ただし「如来寿量品」「懺悔品」「蓮華品」のルチラケートゥについては後代付加を証するに足る論拠を見出しえなかった.したがって本論としては,ルチラケートゥの後代付加を全面的に肯定するには至らないが,菩薩の授記から成仏に至る物語が追加されたことは承認され,すなわち全経を菩薩成仏の物語として再編しようとする作為のあったことを認めるものである.

 第2節においてはボーディサットヴァ・クラデーヴァター(道場菩提樹神)の検証を行った.クラデーヴァターは,テキスト編纂段階においてはおそらく「除病品」「流水品」「捨身品」の過去因縁譚を担うだけの「菩提樹神」であった.これが「菩薩」を冠する名に改名され,菩薩の因縁譚の対告衆として相応しい神格として重視されて,「蓮華品」の対告衆を地神から交替せられたようである.この変遷はテキスト編纂段階から系統Bの分岐までの間隙に起こった.

 上二人の対告衆の登場回数の増加は,いずれも菩薩の称揚という主題にもとづいた作為として総括でき,この改編はテキスト編纂段階の前後から系統A,Bの分岐段階の前後に至る範囲で行われたものと考えられる.これは前章の議論で対象にした経典の「素材」形成期より遅く,「仏教的粉飾」の段階に重なる.したがってテキスト編纂段階の前後には,儀礼への仏教的意義付けとともに,菩薩の称揚という主題を志向して経典を整える作為が働いていたと考えられる.

 

第3章要旨

 『金光明経』末尾には過去因縁譚群が存し,「授記品」「除病品」「流水品」では三章で一連の一万天子授記の因縁譚が語られ,続いて「捨身品」で第二の因縁譚たる捨身飼虎本生話が語られる.第3章ではこれらの外部源泉を探る目的から,平行資料との比較を行った.

 

第結論要旨

 テキスト成立前史においては,おそらくは説法師がその人格的主体となって,「懺悔―蓮華品」「空品」を核とする教義的部分,および「四天王品」「地神品」を核とする伝持流通を説く部分が集積され,一経として編輯されていったものと考えられる.教義的部分は,あるいは原初から現行通りの「如来寿量品」「懺悔品」「蓮華品」「空品」から成ったかもしれない.また流通分は「地神品」一章が先行したかもしれないが定かではない.

 説法師の称揚という主題をもつ「四天王品」「地神品」に引率されて,「弁天品」「吉祥天品」「鬼神品」,また「正論品」「善集品」,の追加があり,そして「散脂品」が追加されたものと考えられる.この中でも比較的早い段階に「四天王品」と「吉祥天品」への単純な儀礼の摂取があり,それへの仏教的粉飾という操作がなされたと見られる.このような形成過程を経て,現行の「四天王品」「弁天品」「吉祥天品」「地神品」「散脂品」「正論品」「善集品」「鬼神品」という,いわゆる流通分が整備されたものと考えられる.

 流通分の形成過程における仏教的粉飾と同程度の段階で,ルチラケートゥの三世にわたる授記物語が構想され,全経にわたってこれが配置されたものと考えられる.流通分にあっては「正論品」がこの下で改編を受けたらしい.ノーベルの説を採れば,教義的部分に「如来寿量品」が設けられたのもこの段階であり,如来の寿命無量,仏讃歎と懺悔,空という諸思想を具えて現行のいわゆる正宗分が確立したことになる.これはテキスト編纂の前後の段階であり,編纂に伴って菩薩称揚の主題が強調されたことを示すと考えられる.おそらくは僧院住の出家菩薩集団がこの編纂を担ったものと推測される.

 系統B以降,系統C––Eの増広に見られる傾向は,儀礼・呪句の積極的な増備,陀羅尼の菩薩修道論への組織化,教義・修道論の精緻化,の三方面にまとめることができるだろう.

 これを教団史的観点から見れば,特に教義・修道論の精緻化という傾向からは,経典が僧院ないし経典を核にした信仰集団内で議論され,発展せられたことが容易に想像され,またこれに世俗的性格をもつ儀礼・呪句の積極的な増備という傾向を考え合わせると,その僧院住の改編者らが,在俗信徒にこれを勧め,また新たな伝道布教にこれを活用せんとしたのであろうことが推察される.ただしこの段階での増広部にヒンドゥイズムとの明白な対応が見える点からは,テキスト成立前史の「素材」蒐集者と想定される説法師らが,この段階でも同じ任を担っていたと考えることができよう.

 以上,テキスト成立前史から発展増加の形成史を通覧するに,『金光明経』はその想定されるテキスト成立前史においてすでに,ヒンドゥイズムの源泉から供養儀礼を摂取し,これに仏教的粉飾を加えて経の体裁を整えていったと考えられ,テキスト成立以降の発展においても儀礼,陀羅尼を大幅に追加されたが,いずれも菩薩の称揚と修道論の精緻化の下に,逐次意義付けられていった.

 『金光明経』は,このように新しく異質な要素群を絶えず摂取しながら,いわゆる「純密」経典のごとき包括的な教理を構築しそこね,むしろ初期大乗に属する思想の枠組みの中で,それらを咀嚼しようとする弛まぬ営為を続けたために,図らずも密教経典に近接していったのである.大乗から密教へ,という仏教思想史の過渡期において,それを体現するかのような内的な発展運動の,諸段階をつぶさに露呈している『金光明経』は,中期大乗経典というものの実相をわれわれに示しているのである.