中国において、最初に村上文学を紹介したのは1986年2月刊行の『日本文学』誌であった。これ以降、『ノルウェイの森』(以下は『森』と略す)および『1Q84』三部作を中心に起きた1989年、1998年、2007年、2010年の計4回の「村上ブーム」を経て、2015年までに翻訳・刊行された村上春樹の中国語簡体字版の作品数は56作、およそ100種類以上の版本に達している。村上文学は中国の読者に時代と共に変化する日本社会を紹介しつつ、改革開放以降の物豊かな生活を渇望する中国の若者たちの道標となり、現代中国文学・文化の青年層の担い手に深い影響を与えてきたのである。

 この青年層のリーダー的グループは2002年11月のアメリカ週刊誌『タイム』で「村上チルドレン(Murakami’s children)」として紹介されている。中国における村上春樹の受容を考える際、この「村上チルドレン」というキーワードが非常に重要であり、それは彼らが村上文学から得たインスピレーションを新しい中国式文化ムーブメントの原動力として、文学、映画、流行文化の多領域において大きな成果を発揮しているからである。つまり、この日本発の村上文学を母体として誕生した「村上チルドレン」が中国の若者主体の中国現代文学・文化を構成しているのである。 

中国国内におけるこれまでの村上研究は、主に日本文学研究の領域内でのポストモダニズム、精神分析、あるいは文体や物語論などのテーマに集中している。日本では、近年、在日中国人学者による中国の村上受容に関する調査研究が散見されるが、その多くは村上ブームの現状をまとめ、あるいは『森』の人気の理由を探る断片的な村上受容研究に止まっている。筆者が注目していている現代中国文壇で活躍している「70後(70年代生まれ)」・「80後(80年代生まれ)」作家群を中心とする村上春樹の「模倣者」たちが如何にして村上文学を受容し、変容させたのかという、いわゆる中国の「村上チルドレン」研究は未開拓である。

 唯一この問題に着目したのが藤井省三であり、同著『村上春樹のなかの中国』(2007)は1986年紹介以来の村上受容史を整理するとともに、1989年および1998年に起きた二度の村上ブームにも言及し、更に独立した一節を設けて現代中国の人気若手作家慶山(旧名:安妮宝貝)および衛慧の村上春樹受容を分析することで、初めて中国の「村上チルドレン」に光を当てたのであった。

本論では、これまでの中国における村上受容の先行研究を踏まえつつ、読者の中から作家が生まれるという文化の流通・再生産の過程を考慮して、「村上チルドレン」の範囲を「村上春樹の模倣作家たち」から書き込みサイトの村上読者にまで広げて、異なる角度から中国の村上チルドレンによる村上受容の様相を考察した。また近年の中国では、作品を宣伝する際に「中国の村上春樹」、「最も青春的な村上春樹」といった村上関連のレッテル貼りをする傾向があるように、村上は中国語圏においてすでに文学の領域を超えており、あたかも一種のブランドとして扱われている現象に対して「村上春樹ファッション」という概念を提起した。そして、中国における村上チルドレンの間、および村上チルドレンと村上ファッションとの間の関連性を探り、村上チルドレンの現状を分析した。これにより、現代中国における「村上チルドレン」の文化史的意義およびその独自性を明らかにし、現代中国文学における新世代である「70後」「80後」の研究の一助となったと考えている。 

具体的な方法としては、まず、本論の研究対象である衛慧、慶山、郭敬明、忘却魚鱗、孔亜雷、李修文の6作家を、それぞれの村上受容の特徴によって、二つのグループに分けた。すなわち、中国ではすでに著名になり、その作品が日本でも翻訳・刊行されたことのある既成作家で「70後」の代表である衛慧と慶山、および「80後」の代表である郭敬明を「模倣的創造の村上チルドレン流行作家」(以下〔1組〕と略す)に分類した。そして〔1組〕より約10年遅れて中国文壇に登場してきた若手作家の忘却魚鱗、孔亜雷、李修文の三人を「成長中の村上チルドレン作家」(以下〔2組〕と略す)に分類した。次に中国人気書き込みサイト「豆瓣網」における読者ユーザーの中でも特に村上文学に注目し、且つ批評意欲旺盛なユーザーたちを、中国に広く存在する村上読者の代表として、「豆瓣網ユーザーとしての村上チルドレン愛読者」(以下〔3組〕と略す)に分類した。続いて、「豆瓣網」掲載の批評を参考にしながら、詳細なテキスト分析を行い、三つのグループに分けた研究対象それぞれの村上受容の特徴を検証した。これと同時に、「豆瓣網」で公開されている各種のデータを活用しつつ、中国人読者の村上作品をめぐる読書傾向を分析し、中国の村上チルドレンの全般的な状況を考察した。最後に、村上文学に登場する特定のモチーフや周縁の事象を強調する社会現象を通して村上ファッションについて考察し、「中国における村上チルドレン・村上ファッションの相関図」を作成した。更に、これらの考察に村上作品から改編された映画の中国における独自な受容状況を重ね合わせて、中国における村上春樹の受容を俯瞰したのである。

論文構成に関して述べると、第1章では、1986年の村上春樹中国初登場時から2015年の本論執筆時にかけての中国における村上作品の翻訳・出版状況を、当時の時代背景、特に2回の大きな版元変更に注目しつつ、年代順に沿って整理を行った。また、藤井省三がまとめた1989年、1998年、2007年の3回にわたる中国の村上ブームののちに続けて発生した第4次村上ブームを考察し、四半世紀を越す中国の村上受容史および現代中国文学史の時空における、「70後」・「80後」現象の出現および「村上チルドレン」誕生の経緯を考察した。

 第2章では、前述した〔1組〕の研究対象を中心に、第一に衛慧による『森』のテーマである「青春物語」と「成長物語」の段階的な受容を考察し、第二に慶山による村上作品に対する模倣的創造の実践を考察、第三に郭敬明が中国に広く存在する「限定的読者」から強く支持されつつ、文学と商業の両面において成功を収めていく過程を考察した。

 第3章では、〔1組〕より約10年遅れて中国文壇に登場した〔2組〕の作家三人を取り上げた。すなわち第一に忘却魚鱗の、物語の構成から登場人物の設定、会話に至るまでが『森』および『風の歌を聴け』に酷似した作品『関於彼岸的一切』(2009年)を取り上げた。第二に孔亜雷の『不失者』(2008年)に潜む『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』などの村上名作に対する「オマージュ」を取り上げた。第三に李修文の、日本を舞台に中国人によって演じられる中国版の『森』と言われる『滴涙痣』(2002年)を考察した。これにより村上作品の創作手法や文学要素に対するやや直接的な模倣からまだ脱却しておらず、独自の作風が定まっていない〔2組〕における村上受容の特徴を分析した。いっぽう、何らかの形で自作品と村上春樹との関係性を強調して読者の興味を引くという〔2組〕のもうひとつの共通点を踏まえ、2004年に起きた『挪威没有森林(ノルウェイに森はない)』による、『森』の「続編」の偽訳事件も取り上げた。

第4章では、〔3組〕の研究対象に対して、「豆瓣網」を中心にネットインタビューを実施し、その調査結果を、「回答者の基本状況」および「村上読書初体験」という二つの問題点に分けて分析を行い、中国の村上受容の状況を考察した。また「豆瓣網」ユーザーである熱心な読者が作家を目指す実例として、豆瓣網専属ネットライターの楊小涅による『ノルウェイの森2』の創作の経緯を紹介した。更に、1989年から2015年までに中国で翻訳・刊行された村上作品を、「長編」、「短編集・超短編集」および「エッセー・その他」の三つのジャンルに分類し、「豆瓣網」で公開された各種のデータを活用しつつ、「村上文学の読書人数グラフ」を作成し、「豆瓣網」の読者批評を参考にしながら、その成因を解明しつつ、「豆瓣網」を中心とする中国における村上作品の読書状況を可視化した。

第5章では、文学以外の領域における中国の村上受容として、映画を取り上げた。2011年9月に中国で劇場公開された映画『森』は、日本で上映されたオリジナルバージョンより30%近くもカットされている。本章ではこの映画が小説→映画→中国劇場版映画という二重の改編を受けた点に注目し、同作に対する中国独自の受容を考察した。

 終章では、南京にある「挪威的森林(ノルウェイの森)」という名の高級マンションや深圳にある「村上春樹」のパン屋、また歌手朴樹の曲である「且聴風吟(風の歌を聴け)」、台湾ロックバンド五月天の「神的孩子都在跳舞(神の子どもたちはみな踊る)」などの社会現象に注目して、中国語圏で村上春樹がすでに文学の領域を越え、一種のファッションとして受容されるに至っている点を考察した。

最後に全5章で試みた考察を総合して、1986年2月に村上春樹文学が最初に中国に紹介されて以来の、中国の「70後」「80後」を中心とする「村上チルドレン」による村上受容を総合的に検討し、現代中国における村上チルドレン、村上ファッション、並びに村上読者などの各グループの間の関係を、「中国における村上チルドレン・村上ファッション相関図」にまとめて提示した。このようにして、中国における村上春樹受容の問題を改めて考察した上で、本研究の成果に対して全体的なまとめを行い、併せて今後の課題を展望した。