台湾は1895年の下関条約(馬関条約)で清朝から帝国日本に割譲され、第二次世界大戦の終結によりその統治権が無くなるまで、およそ半世紀のあいだ日本の殖民地統治下にあった。第二次大戦後は中国国民党(以下、国民党と略す)による統治が開始されたが、国共内戦の影響下で三十八年を越える長期戒厳令が敷かれ、事実上の一党独裁が続いてきた。戒厳時期には、政治活動はもとより市民の言語や思想、行動に至るまで幅広く監視、統制され、戦後台湾社会は言わば国民党による再殖民地化によって代行的に日本統治からの脱殖民地化が行われたのである。

 このように二重の“被殖民”の歴史を抱えた二十世紀台湾社会に生を享け、日本統治期から国民党統治期に至る社会情況の変化を経験しながら、台湾が抱える重層的な近現代史の様相を文学作品として描き出したのが、現代台湾文壇を代表する客家人作家・李喬(1934-)である。李喬は台湾近現代史に取材した代表作――『寒夜』三部作(1979-81)、『埋冤1947埋冤』(1995)など――で名が知られるが、自身ではこうした自らの作品を“歴史素材小説”と呼んでいる。李喬によると、“歴史素材小説”はいわゆる歴史小説とは異なり、歴史の枠組みを仮借しながら、歴史上の事件に対する作者自身による解釈を主題として追求した作品であるという。それゆえに“歴史素材小説”では、作者自身の信条や思想が強く反映されている場合が多いのである。

 本論では、李喬文学における最大の特徴である“歴史素材小説”を中心に論じる。李喬は自身の作中で虚構という枠組みを仮借しながら、台湾人が直視すべき集合的記憶への言及を繰り返してきたが、創作上の視線は、何も過去の歴史的事実ばかりを描出することに傾斜したのではなかった。李喬が描き出す“歴史素材小説”は、過去の歴史的事件を物語化するだけではなく、各々の作品が発表された当時の、同時代における現代台湾社会の様相をも注視していた。それはただの歴史的現象の再現ではなく、過去の史的事実を真摯に見据えながら、それと同時に現代台湾での社会変革としての言説にもなっており、さらには高揚する自らの台湾・台湾人意識さえも表出させていたのである。

 李喬の小説に関する先行研究はすでに大量に蓄積されており、物語描写の郷土性をはじめとする多くの論点が重要な確固たる視角として定説化している。だが、それらの先行研究を俯瞰してみると、逆に依然として着手されていない論点も明らかである。簡明直截に言えば、そこでは概して以下の二つの問題が見受けられる。まず外国文学との影響関係の問題である。従来、李喬作品の主題や登場人物、あるいは物語展開の象徴性などに対して焦点が当てられることが多かったが、その反面、李喬作品が外国文学・映画等を含むほかの文化的テクストから如何なる影響を受けてきたのか、という問題に関して考察した論考は寥々たるものであった。とりわけ近代文学以降の文学作品においては、既存のテクストから受ける影響作用は決して無視できない要素と見なされているが、李喬研究ではその点に関する先行研究が皆無であったと言える。

 次に、主題の重層性に関する問題が挙げられる。従来、物語の写実的描写や土地への慈愛、絶対的権力に抵抗する反抗精神など、ひとつの作品を特定の視角から読み込む論点が李喬研究の定説となる傾向にあったが、それは恐らく李喬作品の一面を精察したに過ぎないのではないだろうか。言うまでも無く、小説中では重層的に主題が語られている場合が多く、その傾向は創作の自由において政治的制約が課された文化環境の下では、特に潜在的に実行されていた可能性が高い。そうした意味では、戒厳時期に創作活動に従事した李喬も例外ではなく、その点も等閑に付すことは出来ないはずであるが、先行研究で言及されることは稀であった。

 本論では、上記の二点を考慮しながら、李喬が台湾近現代史の展開に題材を得て創作した代表的四作品――『結義西来庵』(1977)、『寒夜』三部作、「小説」(1982)、『埋冤1947埋冤』――を中心に考察する。これら李喬の作風を特徴づける諸作品を、外国文学の受容と主題の重層性という視角から検討することで、従来は指摘されることのなかった李喬文学の本質を衝く新たな一面を提起したい。

 

 第1章「李喬『結義西来庵』における抗日表象の重層性―1970年代官製文学の中での抵抗と台湾意識の再編成」では、李喬による最初の“歴史素材小説”である『結義西来庵』における抗日表象の二面性について検討する。『結義西来庵』は李喬が初めて台湾近現代史の展開に取材して創作した長編伝記小説でもある。同作は日本統治期の漢人による大規模な抗日武装蜂起である西来庵事件を実写するかのように描き出した作品だが、一方では1970年代末台湾という中国意識が強制されていた時期に、台湾の光復節を祝賀する国民党独裁政権の刊行物として出版された官製文学という側面も持つ。本章では、代表的な抗日武装蜂起を描いた『結義西来庵』における物語の複層性に着目し、作中で如何に台湾人の抗日表象が重層化してゆくのか、李喬自身のアイデンティティ再編成の過程や1970年代当時の台湾社会の変容、とりわけ現代台湾社会での政治的変化をリードする一角となった台湾キリスト教長老派教会による一連の政治的行動の影響などを参照しながら考察してゆく。

 第2章「“虚構”の想像と創造―李喬『寒夜』三部作におけるフォークナー作品の影響を中心に」では、李喬の代表作『寒夜』三部作と外国文学との影響関係について検討する。前節でも述べたように、現代文学ではその創作の場において外国文学からの影響関係は無視できないのだが、ことさら李喬研究に限っては、従来そうした論点を検討する先行研究は皆無であった。本論でも指摘するように、李喬は創作に際してはアメリカ人作家のウィリアム・フォークナー(William Cuthbert Faulkner、1897-1962)の代表的作品を日本語訳のテクストで受容しているのだが、従来の研究でそれらの事実に関して論証がなされたことはなかった。本章では、第1章で論じた李喬の創作過程における歴史素材小説の誕生に関する問題を前提として、そうした独特な創作手法が李喬自身の内面で如何にして確立してゆくのかという点について、李喬のフォークナー文学の受容過程を分析する。

 第3章「李喬の短編小説『小説』と1960年代台湾文学界における安部公房の受容―台湾文学における1960年代実存主義運動から1980年代民主化運動への展開」では、第2章で論じた李喬の小説における外国文学を介した間テクスト性の問題――フォークナー作品からの文学的影響――という論点を受けて、李喬作品における外国文学からの影響の領域をさらに拡げて検討する。本論で詳述するように、李喬は古今東西の書物を渉猟する豊かな読書歴を持っているのだが、日本の安部公房(1924-93)からも深い影響を受けていたことは全く知られていない。本章では、先行研究が指摘することのなかった1960年代以降の台湾文学界における安部公房受容情況を検討しながら、李喬自身による安部文学の受容過程を分析する。また、日本近現代文学において代表的な実存主義小説とされる安部の代表作『砂の女』(1962)の物語展開が、1980年代の文壇で台頭した台湾政治小説の代表作とも言える短編小説「小説」に対して与えた影響を思想面からも考察してゆく。

 第4章「李喬『埋冤1947埋冤』における孤児意識からの脱却―二二八事件をめぐる歴史描写と戒厳令解除後の台湾社会との関係から」では、第1章から第3章にかけて考察した李喬自身のアイデンティティ再編成の過程と、それに伴う創作表現の変化に注視しながら、長期戒厳令が解除(1987年7月15日)されて民主化達成を目前に控えた1990年代前半に、李喬が如何なる理由から『埋冤1947埋冤』を創作し、当時の台湾社会で何を問題提起しようと試みたのかを明らかにする。同作は、台湾現代史における最大の禁忌とされてきた二二八を史実の展開に即して実録の如く描き出した長編小説であり、従来はその物語の仔細な写実性にばかり注目が集中していた。だが、上下巻で構成される同作は、上巻で台湾社会での省籍矛盾の根源である二二八という歴史的事実を可視化する一方で、下巻では寓意に富んだ虚構性の目立つ物語が展開されてゆく。本章では、こうした物語の重層性を検討しながら、戒厳令解除後の時代背景下における李喬の信条・思想の展開と同作創作との関係、および彼が同作を通して現代台湾人に喚起した社会的意義について考察する。