鮎川信夫論

田口 麻奈

本論は、日本の戦後詩を領導した鮎川信夫の詩と詩論を詳細に検討することで、戦後詩の文学史的・思想史的意義を具体的に解明することを目指すものである。

鮎川は、戦後詩壇に大きな影響を与えた「荒地」グループの理論的支柱として、戦争で一度途絶した現代詩の展開を、理念・実作両面で立て直すことを企図した詩人である。しかしながら、従来の鮎川論には戦中派としての苦悩や喪失体験を重視する立場が根強く、当時の具体的な文学状況の中での批評性は後景化される傾向にある。また、鮎川の詩論家としての功績が高く評価される一方で、個々の詩篇と詩論との有機的な連関が十全に闡明されてきたとは言いがたい。ほかならぬ詩的言語において即時代的な発議を行ったことが論証できなければ、「荒地」と鮎川を実質的な根拠を持って戦後文学の一角に位置づけることは難しいだろう。

従って、詩篇の読解と歴史的考証を連動させながら、「荒地」グループの理念と鮎川の詩篇の思想的有効性を測り直すことが、本論の課題である。第一部では、詩篇の分析を軸に内側から鮎川像を刷新することを目指し、第二部ではより巨視的な見地から「荒地」の位相を再定位する視野を用意することとしたい。以下、各論の概容を記す。

 

第一部では、戦後10年間を目安に鮎川の代表詩篇を分析し、それらを個人的な情緒の表出としてではなく、同時代の課題に対峙した言語実践の一環として位置づけることを試みる。

第一章「『死んだ男』論」では、これまで戦死した友人「M」への追悼詩として読まれてきた詩篇「死んだ男」(1947年)を中心に、〈遺言執行人〉という詩語の解釈の見直しを図る。この詩語は鮎川が死者(M)の遺志の代理人として戦後を生きることの意思表明と見なされ、「荒地」全体の評価にも深く関わってきた。本章では、鮎川の詩篇における〈遺言執行人〉が、死にゆく者と生き続ける者との区別が無効となる国家総力戦を踏まえて、遺言の授受そのものの不成立を強調した詩語であることを論じ、死者代行の不可能性を示すことによって新たな詩営為(戦後詩)への決意を象ったことを論証する。また、モダニズムや戦争詩の意味づけをめぐる鮎川詩論の主張が全篇にわたって盛り込まれていることを具体的に検証し、戦争を通過して戦後社会に向き合う際の詩人の当為を示すという本作の批評性を明らかにする。

 第二章「『兵士の歌』論」では、「死んだ男」とともに戦死者へのレクイエムと呼ばれてきた詩篇「兵士の歌」(1955年)が、同時期に鮎川が注力していた「死の灰詩集」論争と密接に関わった論争的な性格を持っていることを論証する。本作は生き残った「兵士」(鮎川)が死んだ「兵士たち」を鎮魂する詩篇として解釈されてきたが、内容や語彙・修辞の面から、同時期の鮎川の批評活動との照応関係が認められる。その見地から、かつて体制翼賛詩を書き今は平和運動に従事する付和雷同的な現代詩人を、「ひとりの兵士」に対する集団的な「兵士たち」と呼ぶ本作の批判的意図を浮き彫りにする。ただし、本論の分析によれば本作の「ひとりの兵士」もまた近代的な主体化された個人ではあり得ない。詩人の集団化を批判しながらも、いわゆる主体性論に回収されない洞察を含む鮎川の戦争認識と、その状況論的な有効性を詩篇の分析を通じて導出する。

第三章、第四章「〈病院船日誌〉論」(上)・(下)では、従来、〈病院船詩篇〉(1947年~1954年)と一括して扱われてきた詩群の発表過程や構成に着目し、これらを大きく二つの系統を持つ連作として弁別した上で、戦争体験の言語化(虚構化を含む)として説明されてきた同詩群の読解を刷新する。本論の見地によれば、〈病院船日誌〉のうちのひとつは国家共同体論として、ひとつは戦争体験を確たる主体として語ることの不可能性を主軸として展開されている。それぞれの構成と技術的な側面を検証しつつ、鮎川における戦争認識が、過去の記憶の問題ではなく、国家と主体との相互依存的な関係性を見据えた現在の継続的な問題であることを論証する。なお、(上)の分析では、T・S・エリオットを介した鮎川のカトリシズム観が、単なる詩篇の意匠や詩句の断片的な引用に留まらず、その思想的射程を決定づけていることを、具体的な典拠の検証とともに明らかにする。

 第五章「『小さいマリの歌』論」では、従来、鮎川の私生活に由来する平明な抒情詩として扱われてきた本作(1954年)に、鮎川独自の公共論が託されていることを論証する。幼い少女「マリ」と人生を共にする決意を歌った本作は、前四章で扱ってきたような硬質な詩群とは別系統とされる詩群の代表格である一方で、戦死者への負い目から成人女性との家庭的営みを忌避する罪業意識の表れとも解釈されてきた。しかし詩篇からは、旧来の抒情詩の拠り所となる「自然発生的」な感情を否定し、主体と言葉との関係を突き詰めた上で、他者との関係を構築しようとする現代的な理念を読み取ることが出来る。本章では、抒情詩や「歌う詩」をめぐる鮎川の議論を検証しながら、〈私〉に根ざしながら〈公〉の問題系に参画してゆくような新しい抒情詩として本作を再定位する。この見立てを通じて、鮎川の多岐化した作品系統を繋ぐ思想的理路を見出すとともに、鮎川における戦後詩の理念が、戦後民主主義における政治的公共性の概念とは次元を異にする、文学における公共哲学を包含していたことを明らかにする。

 なお、第一部の補遺として、『鮎川信夫全集』(思潮社 一九八九・一~二〇〇一・一二)未収録の詩篇(計10篇)を、新資料として改題を附して掲出した。前半に掲出した二篇の戦後初期詩篇は、占領期新聞・雑誌記事情報データベース(占領期メディアデータベース化プロジェクト委員会作成)の恩恵を被ってプランゲ文庫の雑誌コレクションから確認したものであり、鮎川の作品史を辿る上でも重要なモチーフを多く含んでいる。後半の八篇は、主に児童向け学習誌や少女向けの教養誌に向けた商業的な詩篇であり、社会における詩の役割が大きな変化の局面を迎えていたことを示す資料である。

 

  第二部「「荒地」の形成とその周辺」では、グループとしての「荒地」の詩史的な、また同時代的な位相を、周辺の詩誌や運動との比較を交えて多角的に検証する。

第一章「「荒地」の輪郭と根拠」では、第一次~第三次まで、長い活動期間の間に多くの切断線を抱えている「荒地」グループの非連続的な側面を検証するとともに、世代的連帯感とは違った水準での詩的コミュニティとしての機能が「荒地」の最も重要な紐帯であったことを具体的に確認する。その際、よく「荒地」の対立項に置かれる「列島」ではなく、同時代詩としての「マチネ・ポエティク」との比較を重要な補助線とする。これらの検証を通して、「荒地」グループを属人的なメンバーシップで括り出す現行の議論や、「荒地」対「列島」という戦後詩の見取り図を分節化する。

 第二章「思想詩におけるリズム」では、口語自由詩の生命線である「リズム」の問題が、朗読性や音楽性を否定した戦後詩においてどのように扱われたかを考察する。本来、定型から脱する論理であった大正期の詩の「リズム」は、感情や真情の湧出に伴うものとして理論化されたために、私小説のエッセンスである「心情の歌」(=告白)であるとして、定型詩とともに戦後詩の批判の対象となる。本章では、鮎川信夫や小野十三郎における抒情詩批判が、戦後の私小説批判における詩の位置と関わって展開されたことを確認しつつ、戦後詩における「リズム」の根拠が、感情ではなく思想の強度に置き換えられてゆく必然性を具体的に検証する。

 第三章「現代詩/戦後詩の詩学――詩誌『亞』の方法と提出」は、現代詩の原点とも評される詩誌『亞』と安西冬衛の詩業を支える方法論を検証する。近年、植民地文学ないし短詩運動として意味づけられている『亞』と安西が、実際には長編詩の連載による物語的な虚構性を主軸としており、昭和初期の『詩と詩論』系モダニズムとは違う強度を持つことを実証すると同時に、その詩的虚構による時代への批評性が言語遊戯として自己完結してゆく様を論じ、「荒地」の批評性との質の相違を確認する。

第四章「戦争責任論と抒情批判――堀田善衞を視座として」は、堀田善衞の自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』(1968年)が、日本の詩史(文学史)を問い直す射程を備えながら、戦後の「荒地」が展開した戦争責任論や抒情批判、日本文化批判が出来する必然性を顕著に描き出している様を論じる。本作は、第一次「荒地」やその周辺の詩人たちの戦前の交友関係を描くモデル小説でもあるが、本章では、本作における芥川龍之介への批評性に注目し、終末の予感を美的に価値化する〈末期の眼〉に関する葛藤を小説の軸として分析する。また、芥川を媒介として堀田のテクストに現われる日本文化論の考察を通じて、小説に定着された堀田独自の批判的経路を析出するとともに、堀田と戦後の「荒地」における課題の共有を確認する。

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