漢代経学に於ける五行説の変遷

平澤 歩

本研究では、漢代における五行説、とりわけ経学における展開について考察した。

 五行説はすでに先秦時代に存在していたが、この期間に生み出された様々な言説が、漢代に至って整備・総合化された。この整備・総合化が、後代の発展・飛躍に繋がったのである。二千余年に亘る五行説史に於いて、漢代は、謂わば最初の成熟期にあたる。

 漢代の、とりわけ経学に関連する五行説の傾向は、次のようにまとめることができるだろう。先秦時代に展開された様々な五行説が、前漢期ではそれぞれ別個に発展し、そのうちの月令・五徳終始・洪範五行等が、儒者にも用いられるようになった。前漢末頃になると劉向・劉歆がそれらの体系化を試み、後漢期には分野を越えた議論が活発化した。

 

 第一章では、先行研究を元にして、先秦時代の五行説について整理した。この時期は、「木・火・土・金・水」の五種の名や、五行・方位・季節の配当、そして五行相勝の規則といった基本的な要素が出揃う、五行説の萌生期と謂える。この時期の言説には、ある程度、分野を超えた共通点・影響関係が見出されるものの、相互に差異が多く、そういった差異を解消するための議論も見当たらない。

 第二章では、前漢期の五行説の、特に五徳終始説・時令説及び『洪範五行伝』について検討した。これらは同じく五行を用いていても、それぞれ独自の理論・体系を有しており、異なる分野同士の内容を比較した場合には矛盾も見出される。例えば、系統ごとの相違は依然として残り、事物の配当や、用いられる五行の論理(相勝・相生・相沴等)は異なった。つまり、先秦期と同様に、未だなお雑多な説が別々に発達していたのである。また、この時期に、『洪範五行伝』・五徳終始説・時令説が徐々に儒者たちに用いられるようになった。すなわち、五行説が儒学に入りこんだ時期と謂えよう。

 なお、劉向・劉歆以降の五行説に新しい傾向(総合化・体系化への志向)が見られることを示すために、第一章・第二章では彼ら以前の五行説についてやや網羅的に、すなわち経学に限らず多くの五行説について考察した。

 第三章、第四章では、それぞれ劉向と劉歆による、五行説の整理・体系化について論じる。相互に異なる理論・内容を有する幾つかの五行説を、劉向親子は、易や月令の下にそれらを整合させ、体系化を進めた。劉向は、『洪範五行伝』・五徳終始を易学に符合するように解釈・改造し、五行説の体系化に着手した。そして、劉歆は、五行を含む万象の数理を易理の下位に置くという大胆な構想の下で、五行については月令に基づいて諸説を改造し、統一を図った。

 第五章では、後漢期の経学における、五行をめぐる議論を紹介する。劉向親子によって体系化が図られたとはいえ、後漢期にも依然として相異なる諸説が並存した。そして、多くの学者たちによって、分野ごとに見られる配当の差異を解消する説明が試みられ、つまり異分野間で五行の配当をめぐる議論が盛んになった。公羊学に対抗するために左氏学者が修母致子説をひねり出したり、『周礼』を中心とした経学体系を構築するために鄭玄が月令の文言に難解な解釈を施したり、個々の動機はそれぞれであった。しかし、その背後には、五行が首尾一貫した理法であり、様々な文献(とりわけ経典)に見える五行説が体系的に整理されるべきであるという、共通した認識があったのであろう。

 後漢期以降のこうした議論の傾向は、現存の資料を見る限りでは、劉向・劉歆に発するように考えられる。本研究では、五行をめぐる議論の方向性が劉向・劉歆を境に大きく変化したことを、経学に関連する(年代が比較的分かり易い)資料を専ら用いて論証した。

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