近現代日本の大卒労働市場に関する社会学的研究―選抜メカニズムに着目して

福井 康貴

本研究では,近現代日本の新規大卒労働市場の展開を,企業による大卒者の選抜と,選抜をとりまく制度の2つに着目して,社会学的に分析した.本研究の目的は,企業と学生の情報探索という観点を軸にして,現代の大卒労働市場が現在の形に編成される過程を描き出し,選抜や制度の機制や論理を明らかにすることである.

 第1章では,第1節において本研究の目的と意義を論じ,選抜と制度に焦点をあてて大卒労働市場の歴史を描くという本研究のアプローチが,大卒就職に関する経済社会学的研究に寄与するものであること,また,大卒就職の現代的な状況に対しても歴史的な分析が理解の助けになることを述べた.第2節では,先行研究の意義と限界について検討し,選抜に着目した社会学的研究が少ないこと,また類似した研究では歴史的な比較の視点から立ち入った分析をする志向が薄いことなどを指摘した.先行研究の中で本研究がどのように位置づけられるのかを第3節で論じたうえで,第4節は,情報の非対称性と埋め込みという本研究の理論的視角を説明し,企業と学生の間の情報の非対称性への対処の系譜として選抜の展開を描くという本研究の立場を論じた.第5節では,本研究が想定する仮説と要因群について議論をおこなった.第6節で分析対象と分析方法について論じたうえで,第7節では具体的な資料の説明をおこなった.

 第2章では,明治期~大正期頃までの企業が採用条件として紹介者を要求していたことを確認し,当時の学生が,師弟/同郷/同窓という同じ交際圏に属すること(同類性の原理)を利用し,自分より地位の高い紹介者と相互行為をおこない,就職のチャンスを得ていたことを指摘した.そして当時の初職への入職には,学歴の獲得だけでは十分ではなく,社会的ネットワークが媒介していたことを示唆した.

そしてこの事実を人々の意味世界の理解という観点から捉え返し,他者に就職の斡旋を依頼することが人々にとって正当な(normal)行為として了解されていたことを述べたうえで,現代人が知っている「自分の力で就職すべき」という規範,つまり「自己/他者」という認知的カテゴリに「正当/不当」という規範的カテゴリを割り当てる概念図式が,当時の人々にとって一般的なものではなかった可能性を示唆した.

社会的ネットワークを利用した採用が行われていた理由としては,大卒者の市場規模の小ささが,社会関係を通じて人と仕事のマッチングを行うことを広く可能にする基本的な条件の1つだと考えられることを述べた.そして,この時期の特徴として,「Society(社会=交際)」の中に労働市場が埋め込まれるなかで,人々は,大学が与える教育資格や成績,あるいは同じ交際圏に属する他者に対する信頼によって情報の非対称性に対処しており,学生の異質性を測定しようとする試みが弱かった可能性があることを指摘した.

 第3章では,戦間期に採用側から,成績だけでは学生を評価しないという論調や,紹介者を求めることを不当視する発言がみられるようになることを指摘した.そうした中で企業独自の選抜試験として人物試験が浮上してきたことを述べたうえで,企業側と学生側の対面的相互行為として立ち入って検討した.

人物試験が,学生の能力を身体の挙動や発話から推測しようとする企業側と,企業側の意図を読んで有利に振る舞おうとする学生側との「情報ゲーム」という性格をもつ場であったこと,当時,学生に向けて就職の「戦術」を説く出版物が刊行されるようになっており,企業側は学生の戦略的行為が能力の情報にバイアスを与えることに危惧を抱いていたこと,しかし同時に,企業側は期待する人物像をはじめとして,面接に関する言葉をさかんにメディア上で紡いでいたことなどを述べ,大学や他者への信頼に委ねずに学生の能力を測るという課題が,当時の企業側に生じていた可能性を示唆した.

人物試験が重視される背景としては,高等教育機関の拡大や進学率の上昇によって,企業が求職者に求める能力における,学校間および学校内の分散が高まった可能性と学校による推薦が十分なスクリーニングとして機能していなかった可能性を指摘した.

 第4章では,戦間期に企業と学生の取引を取り巻いていた制度として,学校推薦制,新卒一括定期採用,六社協定を取り上げ,戦後の大卒労働市場を構成する制度のいくつかが戦間期に準備されたことを述べた.

大学と専門学校における就職者の入職経路は,1930年代半ば以降,「自校紹介」が70%半ばから80%後半へと増加しており,高等教育機関卒業者の労働市場において,学校推薦制が普及していたことを確認できる.ただし,学校から推薦された学生には,企業による選抜という関門が待ち受けていたことが,企業の採用率を検討することで明らかになった.

新卒一括定期採用に関しては,知識階級を採用した企業のうち90%が定期採用を実施しており(1937(昭和12)年度).就職できた学生たちの多くが,卒業と同時に企業に入社していったこと,また,採用において「新卒者を志向」する企業が回答企業の80%を超えていたこと,以上のことから,知識階級の労働市場において,新卒一括定期採用が標準的な(normal)形として形成されており,戦後の就職の「常識」のもう一つの源流であると考えられることを述べた.

最後に.採用/就職活動の早期化を是正するため,1928年,六社協定が結ばれたことを確認し,この協定が,採用選考時期を企業側が自己規制する試みであり,戦後の就職協定と共通の性格をもっていたといえること,そして,このようなルールの登場は,当時の大卒労働市場が,同一の時期に多数の求職者が現れるという,新卒労働市場の一般的な特徴を備えていたことを裏書するものであると考えられることなどを述べた.

 第5章では,学校推薦制から自由応募制への変容と就職協定の展開を明らかにし,戦後の大卒労働市場における制度・慣行の展開について考察した.

学校推薦制から自由応募制への変容については,学校推薦制が戦後も存続することになったこと,学校から推薦された者の採用率は1930年代と同程度の水準であったこと,大学選抜度による推薦や内定の格差が存在していたことを明らかにした.学校推薦制はとくに大卒者の多数を占める人文・社会科学系において自由応募制に取って代わられることになった.この変化の背景には,大学や大学進学率の増加のなかで一部の学生が希少性を持ち始めるという,高等教育システムの変容があると考えられる.

就職協定の展開という点に関しては,協定の変遷を記述するなかでそれが廃止にいたる社会学的なメカニズムを考察した.協定は,就職/採用活動の期日を規制するルールであり,企業と学生間の情報のやりとりを統制するものであったが,協定を定める側に強制手段がなく,しばしばルールに違反する行動が現れることになった.違反行動がマスメディアを通じてモニターされルールが変更されるという構図が繰り返されるなかで.協定は次第に採用/就職活動の実態を追認するようになり,認知的な期待としての側面を強めていった.守られないルールというラベリングは協定を廃止する際,企業側の論拠の1つになった.以上の議論から,企業と学生の取引は違反という形でルールの性格に影響を与えており,ルールを廃止に導く要因の1つとなったことを指摘した.

 第6章では,就職情報誌に掲載された約30年間の面接に関する記事を検討することで,企業が学生を測る方法の通時的な特徴を考察した.一貫して重要視されていたのは自己PRと志望動機であり,具体的な事実によってそれらを示すことの必要性が,採用側によって繰り返し述べられた.これは,学生側の発話にコスト(挙証責任)をかけることによって,情報の正しさを増加させる効果が期待されていたと考えることができる.発話にディテールを要求することは,自己PRでは具体的なエピソードを示せという要請として,志望動機では就社と就職の違いを強調する論調として,通時的に観察することができる.

1990年代に強調されだした自己分析という作業については,志望動機の作成を自己PRの作成の後に配置することによって,志望企業に入社したいという求職者の欲望のバイアスを取り除いて,求職者の情報を獲得するための方法だと考えられることを述べた.また,自己分析のフォーマットは,学生時代の活動と入社後の労働との垣根を解消することによって,労働を自発的かつ倫理的な行動として再定義することに一役買っていることを指摘した.以上の議論から,自己分析が,就社的な態度を否定して就職的なものを称揚する企業側の欲望が,具体的な作業として結晶化したものだと考えられることを示唆した.

こうした具体性の強調や自己分析は,学生の情報提示に手続きの適正化を持ち込むことによって,情報の非対称性に対処するものだったといえる.その一方で,企業の選抜結果を正当化するために学生と企業の関係を対人関係になぞらえる「社風」や「相性」のレトリックが用いられていることを確認し,それが企業の評価を再審に付す機会を断ち切るために導入された魔法の言葉(magic word)であり,他者や大学に対する信頼の機能的等価物として期待されていることを指摘した.

 第7章では,近現代日本の大卒労働市場における選抜と制度の変容と,それらの編成に影響を与えたと考えられるメカニズムについて考察した.第1節で,これまで検討してきた選抜と制度の変容とその要因を整理した後,第2節において,情報の非対称性という観点から変容プロセスを考察し,選抜と制度が諸要因の影響を受けながら編成されていく過程をモデル化して示した.

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