永井荷風研究

多田 蔵人

永井荷風の小説作品が内包する機構と、その魅力を解き明かすことが、本論の目的である。長らく思想的作家、あるいは個人主義者としての像を語られてきた荷風の場合、その小説の持つ技巧的な構成方法や、時として随筆雑録等の「思想的」文章よりも尖鋭な批評を提出しているように思われる小説の主題といった側面に光が当たりはじめたのは、比較的近年のことに属する。ここでは、既にいくつかの優れた先行研究が存する荷風小説の読解を更に深めると同時に、荷風小説が呈示する主題や方法が持つ史的意義を探ることを試みている。したがって、本論では荷風の長い作家活動のうち、初期小説の時代、帰朝後作家がいわゆる「江戸趣味」へと傾斜してゆく時期、そして大正後期から昭和初期に至る作家後期の諸作品を取り扱った。荷風の小説史と同時代の表現史が持つ交響関係は、ある程度長い期間にわたって小説史を眺めわたしてみることで、浮かびあがってくると考えるためである。

 小説の主題と方法を解き明かしてゆく手がかりとして、ここでは、しばしば荷風小説の瑕瑾として指摘される、小説形式の類型性、あるいは先行諸作との主題・形式の共通性といった側面に光を当てている。たとえば初期作品が悲惨小説の模倣であるとされ、「江戸趣味」時代の作品が江戸文芸への自己同一化という形で語られ、あるいは大正末から昭和初期の作品について類型性が指摘されてきたように、荷風小説が既存の文学ジャンルや表現形式と共通する面を多く持つことは、従来必ずしも積極的評価の対象となってこなかった。ここでは、模倣であり、アナクロニスムであると映る諸特徴が、そうであることによって持ちえた表現史的な意義に着目する。

 具体的には、個々の作品について、荷風作品が主題や様式を共有していると思われる諸作品を可能なかぎり洗い出し、比較してゆく方法を取る。荷風小説には、ひとつの作品のなかに、主題にまつわる文書や声を、引用や伝聞の形で実に多様に取り込んでいるという特質がある。これらのテクストがどのように小説内部に取り込まれているのかという観点から分析することによって、作品の構造的な読みへと接続してみたい。とりわけ、作家活動の中期から顕著になってゆく、江戸文芸をめぐる分析が、表現史的意義を探る観点からも重要なものとなる。そのように見てみるとき、荷風小説は、近代文学がその展開とともに必然的に抱え込んだ問題――オリジナリティの追求と表裏一体をなす、表現母胎の共有意識の喪失――に直面しつつ、その困難を生きようとしたテクストとして、立ち上がってくるのである。

 このような問題意識のもと、本論では以下の諸作を扱っている。

 第一章「初期小説論――『地獄の花』まで」は、多岐にわたる初期小説の特徴を捉えるため、二節に分けて論じてある。一節では、懸賞応募作品のうちとりわけ完成度の高い『烟鬼』と『花籠』を取り上げ、両作がいわゆる投書小説をめぐる環境のなかでどのような特質を持っているのかを論じた。荷風が小説執筆をはじめた明治三〇年代は懸賞小説の時代であり、したがって、新進作家にとっては小説の評価軸が強く意識された時代でもある。ここでは荷風が先行する諸家の評価軸を機敏に察知しつつ、それをあえて引き受ける形で新たな小説のモードを模索していった様を検証している。二節では、荷風の事実上のデビュー作となった『地獄の花』を取り扱った。一節で論じた二作についても言えることだが、この時期の小説は「悲惨小説」あるいは「暗黒小説」と呼ばれる小説様式と多くの類似点を持つ。ここでは、『地獄の花』をあえてそうした類似を選び取った作品として捉え、本作が類似を通じて「社会の暗黒面」の語りがたさそのものを主題化している様を検証し、そこに暗黒小説としての方法的可能性を見出している。

 第二章「『狐』論」は、作家の幼少期に題材をとり、荷風の自己規定の物語ともされる『狐』を取り扱っている。本作に描かれた狐をめぐる様々な言説を検討してみることで、幼少期をめぐる物語がどのように構成され、結果的にどのような主題を持ったのかを検証している。そのことを通じて、しばしば開明的な近代から江戸の記憶へと遡行しはじめる作家の物語として読まれる本作に、両者の〈あいだ〉に立ち、近代にも江戸にも辿りつけない言葉の位相を描き出す側面があることを明らかにしたものである。

 第三章「『すみだ川』論」では、荷風が後年に至るまで愛した地・浅草をめぐる文書や物語と本作を比較対照してゆく作業を通じて、浅草の濃密な描写を持つ本作が、そのことによってどのような物語空間を作り上げていたのかを論じている。浅草をめぐる種々の挿話や伝承をスプリングボードとしながら、それらのいずれによっても切り取ることのできない物語を作り上げていった語りの身ぶりは、江戸との距離というかたちで表現史に新たな刻み目をつくるものとして、浮かびあがってくるのである。

 第四章「『冷笑』論」では、しばしば思想的な小説とされる『冷笑』において、思想の表現がどのような形で可能になっているのかという点を検証する。本作における思想を語る言葉は、文明批評を分析的に言葉であるよりもむしろ、熱に浮かされたような陶酔状態で幻視をなすようにして語る方法によって表現されていた。そこに描き出されたヴィジョンは、作中に言及されるテクストを読みかえる江戸から近代にかけての時間を、別の形で塗りかえてゆく。こうした表現形態が、同時代における〈告白〉をめぐる問題系と踵を接するものであることも、作中に言及された国木田独歩との差異を通じて論じている。

 第五章「『戯作者の死』論」は、天保改革のさなかにおかれた戯作者・柳亭種彦を主人公とし、自伝的作品とも言われる本作の分析を通じて、思想弾圧の季節を経て江戸趣味へと赴いてゆく作家のなかに、どのようなモチーフが存していたのかを検証している。歴史小説としての本作について、典拠を洗い出し、典拠と比較しつつ読んでみるかぎり、主人公の改革に対する姿勢は両義的なものとして造型されていることが見えてくる。改革に対する理解と反発を同時に抱えこんでしまった作家が、次第に過去の幻影にとらわれてゆく様には、芸術を社会行動として捉える見地から逃れようとする言葉の身ぶりを読みとることができよう。

 第六章「『雨瀟瀟』論」は、作家活動の端境期に書かれ、自己の文体の意味を掘り下げようとするモチーフを持つ『雨瀟瀟』を文体論の見地から検討する。漢詩や戯作や芸能といったさまざまな文体が言文一致体と交錯してゆく本作の物語構造は、引用によってさまざまな物語をイリュージョンのように浮かびあがらせながら、どの文体によっても事態を語りえぬ作家の嘆きを主題化してゆくものとして見えてくる。そうした言葉の膠着状況を描いてゆく戦略が持つ史的意義を、同時代における坪内逍遙の文体改良の試みや新世代の作家達との交錯を見渡すことで明らかにする。

 第七章「『雪解』論」では、「江戸趣味」の季節が終わり、都市リアリズムへと赴いてゆくとされる作家中後期の諸作について、江戸文芸の利用が都市描写に深く関わっている点を論じている。一見淡彩に親子の出会いを描いているように見える本作は、そこにちりばめられた江戸文芸の引用を通じて、複層的な物語構造を描き出す方法を持っていた。引用を通じて描き出されたメタ物語が崩壊してゆく過程に都市が描き出されるという方法が、荷風の都市描写にあったことを示すものである。

 第八章「『つゆのあとさき』論」は、昭和初期に流行した女給の物語である本作が、時に古めかしいと評されるエピソードの操作を通じ、同時代の女性表象を操ってゆく様を明らかにした。類型的ともみえる幾つかの挿話を、配列や言葉の選択に注意しつつ眺めてみるとき、本作が新たな女性表象を紡ぎ出している様が見えてくる。同時に、こうした試みには同時代のモダニズム文学と主題を共有しつつ乗り越えようとする志向が存することを、論じている。

 第九章「『濹東綺譚』論」では、私娼窟・玉の井を描いた本作について、人工的に作り出された私娼窟という空間に、小説家の「わたくし」が江戸情調の物語空間を重ね合わせてゆくさまを、引用の分析を通じて明らかにする。一方で現代小説「失踪」を執筆してもいる作家が、引用による物語と現代小説とのあいだで引き裂かれてゆくさまを明らかにし、物語の完結性から逃れようとしつづける語りの身ぶりを、二つの物語のあいだにあってもう一つのイメージを探り当てようとする作家の物語として、読みとっている。

 以上示したように、本論は小説家・永井荷風の姿を内在的に再構成し、そこに放射されていた様々な表現の力をよみがえらせる方法を取っている。この方法は、従来読まれてきた作家の批評的エッセイや日録が示す卓抜な思想の表現もまた、こうした小説の読解を通じてはじめて、さらに深いものとして立ち現れてくるという目測に基づくものである。

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