「科学」としての日本音楽研究:田辺尚雄の雅楽研究と日本音楽史の構築

鈴木 聖子

本研究は、近代における日本音楽研究の形成過程を、科学的認識論の視座から考察するものである。具体的には、日本音楽研究という学問領域の開拓者である田辺尚雄(1883-1984)の雅楽研究と「日本音楽史」の構築を中心として分析する。近年の日本音楽研究では、田辺の音楽研究はその妥当性や植民地主義的な性格が批判の対象とされてきた。それに対して本研究は、彼が自らの研究の「科学」をどのように認識していたかという点に着目し、彼の研究を当時の科学観の中で相対化して歴史的に位置づける方法をとるものである。

第一部では、田辺の研究の土壌としての明治期の日本音階研究を検討した。国民国家の形成を図り近代化を推し進める明治新政府は、「西洋音楽」を皇室・軍隊・教育へと導入する。「西洋音楽」との邂逅によって、人々は在来の音楽を「日本音楽」として発見し、日本音楽を西洋音楽と比肩しうるものに「改良」することを目指して議論した。日本音楽研究は、このような「国楽論」を暗黙裡に共有する科学として誕生する。そこで最初に取り組まれたのは、当時の西洋音楽研究で基礎とされた「音階」の研究である。こうして日本音楽研究は、日本音楽に音階という、従来の日本音楽にはほとんど存在しないシステムを見出す作業から始まったのである。20世紀初頭、音響学者ヘルマン・ヘルムホルツに影響を受け、西洋音楽研究・音響学を専門として出発した田辺尚雄は、大学院に進学すると日本音楽研究に転ずるが、そこで彼がまず取り組んだのも音階研究である。彼は雅楽音階を基礎として、俗楽音階を「粋」という特色から捉えるという、日本文化論としても先駆的な音階研究を発表する。彼の音階研究は、明治期の国楽論のひとつとして位置づけることができる。

第二部では、田辺が取り組んだ進化論的日本音楽史の創出のプロセスを考察する。20世紀初頭よく参照されたヒューバート・パリーの西洋音楽発達史や、日本音楽の原始性を礼賛したアルフレート・ウェスタールとの議論から、田辺は日本音楽が進化論的な歴史を持たない「半開」「未開」のものと認識され、オリエンタリズムの対象となる危険にさらされていることを自覚する。また兼常清佐(かねつねきよすけ)のような西洋音楽のみを「芸術」として愛好し、「邦楽排斥論」を唱える日本側の知識人の存在にも田辺は頭を悩ます。このようなことから、新しい時代に適応した「日本音楽史」の必要性を彼は考える。しかし問題は、和声の発達を進化の基準とする西洋音楽史を、そのまま日本音楽史に導入できないことであった。日本音楽の場合、雅楽・能・歌舞伎など過去の音楽が、それぞれ異なる体系のうちに伝承されており、それらを一音楽史の線上に、淘汰による進化として語ることが困難なのである。そこで彼は、民族の歴史や生活習慣からそれぞれの音楽の価値を分け隔てなく理解しようとする民族学・社会学的なアプローチや、レコードというメディアを利用して世界の音楽の固有性と発達性を鑑賞させる音楽教育法に目を向ける。これら同時代の西洋の新しい音楽へのアプローチを取り込むことによって、彼は民族の音楽史を西洋音楽史と比肩する発達史として語る可能性を見出していく。その最初の結実である『日本音楽講話』(1919)は、田辺を日本音楽研究者として一躍有名にした。興味深いことに、この書は内容の半分以上を雅楽の説明に費やしている。その理由はふたつある。一つは、西洋での「家庭音楽」のように、中流以上の家庭で演奏できる音楽として雅楽を推奨するためである。もう一つは、5世紀以降アジア大陸から輸入された音楽が日本固有の音楽と融合して発達したという「雅楽」の歴史が、彼の執筆当時の音楽状況である、西洋音楽の輸入と日本音楽の融合・発達という歴史に当てはまるからである。換言すれば、彼は日本音楽の現在と未来の在り方を考察するために、その前例として雅楽の過去を進化論的に再構築したのである。この音楽史を現実に人々の耳へ届くものとしたのが、SPレコード全集『平安朝音楽レコード』とその解説書『雅楽通解』(1921)である。ここで彼は雅楽を三分類に定義し、①神楽など国風歌舞→②外来楽舞→③催馬楽など日本固有の歌曲、と時系列に収録曲を並べることによって、雅楽の歴史を進化論的に体験できるよう聴者を導いた。実際には、各用語の文献上の初出年代に沿って三段階に並べたものを「発達」と呼んでいるに過ぎない。しかしレコードに収録された現在の雅楽は、固有・融合・発達という進化の物語を再現し、人々に今ここで過去を体験させたのである。こうした経験を伴う歴史認識は、日本音楽研究の「科学」を暗黙のうちに支える要素のひとつとなったと考えられる。

第三部では、田辺のアジア諸地域の音楽研究と日本音楽研究の関係について検討した。雅楽を日本音楽史の冒頭に配置したのち、彼は雅楽の源泉を古代アジアへと遡る。1920年11月、正倉院収蔵の古楽器調査に参加した田辺は、正倉院南倉の「箜篌(くご)」という雅楽の古楽器の起源を古代アッシリアに推定し、雅楽の起源を古代アジアへと地理的に歴史的に拡張していく。彼が楽器研究の際に参照したカール・エンゲル著『世界最古の民族の音楽:アッシリア・エジプト・ヘブライを中心に』(1864)・『楽器』(1875)がそうであるように、楽器学は西洋においては収集された非西洋の民族楽器のコレクションを基礎として始まった。ゆえに、ここで田辺の視線が古代東洋の楽器へ向けられたことが、次に日本の「外地」であるアジア諸地域の民族音楽調査の契機となるのは偶然ではない。彼の1920年代前半の朝鮮、台湾、沖縄、樺太などの音楽調査の目的は、大きくみて古代の日本音楽の起源を求める旅であった。ところで、同じ頃、彼は日本で「家庭踊」や家庭音楽の思想を流行させている。これは、国家を構成する単位として重視された中流階級以上の家庭を、「文化生活」において向上させるという風潮に乗るものであった。そして「外地」の調査旅行の際に訪れた日本人家庭では家庭踊を教えて広め、家庭踊や植民地音楽研究の報告をレコード雑誌や文化生活研究会を通して発表していることからは、外地と家庭という二つの方向性が、国民の音楽知の共有という点において共通したものであることが理解できる。これらの活動の結果、彼は『日本音楽の研究』(1926)のなかで、植民地の音楽を「日本民族の原始音楽」と位置づけ、その日本音楽史の最も発達した現在に、家庭音楽としての「新日本音楽」を据えた。この独自の日本音楽発達史が、『東洋音楽史』(1930)・『日本音楽史』(1932)で完成されるそのとき、彼の雅楽は東洋音楽史と日本音楽史の間をつなぐものとしての役割を果たす。

第四部では、田辺の雅楽概念が、日本とアジア諸国との関係を反映しながら、第二次世界大戦前夜から敗戦後へと移行する様子を観察した。満州国建国・国際連盟脱退によって日本が国際的に孤立化していくとともに、田辺の音楽科学も全体主義的な傾向を帯びていく。1936年の東洋音楽学会の設立に際しては、「東洋音楽の研究は東洋人の手で」といったアジア・モンロー主義を掲げることを彼はためらわない。1940年代前半、日本がアジア諸国の盟主として「大東亜文化圏」の中心たろうと試みた時代には、雅楽を大東亜共栄圏における日本文化の優越性を主張するために使用する。この時期に彼が制作に携わったSPレコード全集『東亜の音楽』(1941)・『大東亜音楽集成』(1942)・『南方の音楽』(1942)は、当時の日本の東洋音楽研究の集大成である。そこでは雅楽はもはや「東洋音楽」の象徴として、現実の「東洋音楽」の範疇にさえ入るものではない、「世界音楽」なる高みへと昇っている。いっぽう、敗戦直後の田辺には、国の文化的再建のために地方の音楽に目を向けようと反省を促す意見がみられる。しかしながら、1946年3月には文部省社会教育局の古典芸能調査委員に任命されるなど、公的に文化を指導する側の立場を戦前から継続することによって、彼もまた他のオールドリベラリストと共に「逆コース」をたどる。彼にとって、雅楽は皇室専属の文化財となり、未来の「世界音楽」のために研究すべき古典となる。また、彼も編集委員として携わった平凡社『音楽事典』(1954‐1957)は、その内容の多くが現在にまで踏襲されることになる記念碑的事業であるが、彼はその「日本の雅楽」の項で、皇室を中心とした日本固有の民族性と、アジア諸国に起源をもつ国際性という、戦前から継続するふたつの性質を再利用しながら雅楽の価値を保証する。まさしくこうした雅楽概念が、1955年に重要無形文化財に指定された雅楽の概念やその指定要件に反映される。

以上のことから、次のことが明らかになった。日本音楽研究は近代的な「科学」たらんとして、西洋音楽研究の基礎である「音階」を日本音楽のなかに発見し、次に1910年代には和声の形成を価値基準とする進化論的な「西洋音楽史」を「科学」と捉えて、西洋音楽と比肩しうるとされた雅楽を起源とする「日本音楽史」の進化を語ることに熱中した。これを「東洋音楽史」と結びつけた1920年代後半の日本音楽研究は、具体的に領土を拡張したことで文化多様性を理解しうる可能性もあったが、1930年代には全体主義的な啓蒙の姿勢を帯び、1940年代初頭には「大東亜音楽科学」という日本中心主義へ進んだ。そして敗戦後、焦土から文化国家建設に資するために「科学」を重んじた日本において、日本音楽研究の「科学」は、戦前よりも本質主義的な価値判断を下すようになった。田辺の雅楽研究と日本音楽史が、現在においても有効な部分を持っているとすれば、それは彼の創出した「科学」の枠組みが、現在の日本音楽研究の一部をなおも支えているからであると考える。

一覧へ戻る