ジョルジュ・バタイユによる民族誌学、考古学、神秘思想をめぐる考察とファトラジー翻訳―回収と改編、価値観の再検討

大木 勲

本研究では、ジョルジュ・バタイユによる創作活動を主要な対象とし、そこにひそむ着想の源泉を探り、その作品の基盤に光を当てることが目的となる。具体的な手続きとしては、民族誌学、考古学、神秘思想への接近を解説するとともに、そこで作家が抜き出した諸要素を眺め、当人が掲げる個人的な体験の理論や詩的観念との関わりを考えていく。このため、第一部の「民族誌学、考古学、神秘思想とエキゾティシズム、ノスタルジー、オカルト趣味」では主に理論的考察を扱い、第二部「中世文化の簒奪、前衛作家による実験的言語操作」においては、作品として結実した言語実践を分析する。

 この作家が理知的な西欧文明という枠組みを強く意識し、その枠組みを越え出る思考体系や生活様式に強い関心を寄せていたことは知られている。ここに表出する個人的嗜好を理由として、バタイユはその作家活動の初期から、民族誌学や考古学、神秘思想の分野における発見や新たな知識を精力的に吸収していた。しかしながらこの学問的探求は、エキゾティシズム、ノスタルジー、オカルト趣味に代表される幻想的側面とも表裏一体の関係にある。一例を挙げるならば、古文書管理の専門家養成機関に学んだバタイユは、中世についての幅広い学識を有していた。一方でこの作家の提示する中世観が、自由な想像力に彩られていることも事実である。このような学問的探求と幻想的側面が織りなす錯綜関係を指針として、この作家が第一次大戦後の文学状況のなか伝統的な問題系を取り込み、新たな文学創造のため活用するべく再構築していった様が詳細に記述される。

 

 上述の目的を達成するため、まず、第一次大戦後に起こった文化的価値観再検討の流れにおいては副次的なものとして語られるのが慣例であったバタイユの歩みを、シュルレアリストやミシェル・レリスの活動と比較、対照を行い分析する。他方、これら作家の思想は、とりわけポスト植民地主義の文脈で実利的な読みがなされるなど、特筆すべき再評価の対象ともされてきた。したがって各批評家が展開した論説を読み解くことによって、それぞれの時代の争点に照らし合わせながら、この作家が戦間期に行った活動の備える射程を探ることが望ましい。その分析結果を踏まえたうえで、これらの争点に回収されることのない本質的な特性を強調することが可能となる。その際には、鋭い批判意識の傍らで、空想に彩られた個人的な解釈が認められる。しかしときに恣意的とも形容できるこのような認識は、作家の共同体像と相互に影響し合い、作品にも痕跡を残すという理由から、創造的な機能を果たすことにもなる。また、「社会学研究会」においては、オカルト趣味を媒介として異国趣味と懐古趣味とが接続されることから、この傾向がとりわけ顕著に現れている。以上のような観点に立つ考察は、諸学問から得た知識を取り込み活用していく作家の創作原理を理解しやすいものとする。

 続く第一部第二章では、バタイユが編集主幹を務めた『ドキュマン』誌における民族誌学的資料の具体的な扱いを見ることによって、このような創作原理を実践面から裏付ける。不定形という概念にまつわる議論や仮面論など、『ドキュマン』誌における活動は頻繁に引用されている。これに反して、実際の資料の位置付けや、資料と作家との間の距離などが考慮に入れられることはきわめて少ない。それだけに、事実関係に基づきながら、それぞれが扱う資料の選択に理由付けを行うことが求められている。これに関連して、既存の資料を自らの美学と関連付け、さらにはそこで見出した技法を流用していく過程が明らかにされる。なお同様の構図は、これらの作家が古代の、とりわけ中世の文化を扱う際にも見出される。この問題を掘り下げるべく、以下ではバタイユならびに同時代の作家による古代嗜好を対象とした分析を行っていく。彼らがいかに伝統に寄り添い、その要素を脱歴史化し自らの美学に取り込んでいったかが理解されるだろう。

 したがって第一部第三章においては、当時の社会情勢あるいは文学状況を詳細に論じることによって、現代作家が見せた中世観の特性を探ることを目的とする。そこで特筆すべきなのは、中世の想像的再構成とでも呼ぶべき解釈である。これをとおして受容された神秘主義者の著作や中世文学がバタイユの言語観に取り込まれ、ひいてはその創作活動にまで影を落としていることを明らかにする。そのためには、この作家が青年期に慣れ親しんだ作品の言語、すなわち神秘家のラテン語と中世の俗語に代表される混交的な言語の実態を指摘し、作家の関心の根拠を特定することが有益なものとなる。バタイユと中世について、とくにその言語観や詩的言語の実践を含めて検討することは、先行研究においてはほとんどなされていない。本研究ではこれをさらに押しすすめ、最終章において、神秘主義者の叫びとバタイユの言語観とが織りなす関係を分析する。

 このため本研究の第二部では、主にバタイユによる詩的言語の実践という面に着目しながら考察を行う。上述した知識の活用ならびに再構成を可視化するのが、第二部第一章で扱われる中世ナンセンス詩ファトラジーの翻訳となる。「ファトラジー」と「夢想詩」という名で呼称される詩形式は、日本においてはほとんど知られていない。かつて中世ナンセンス詩とシュルレアリズムが誤って結び付けられたのち、研究者は両者が有する創作原理の関連を否定することに終始していた。ただし、たしかに存在する類似点は、両者の技法の分析によって説得的に示されうる。また、内容の無意味と形式をめぐる厳密な規則のコントラストが本質的な要素となるこれらの詩を翻訳するにあたり、バタイユは形式と韻律の統一を排除していることが理解される。

 伝統的技法に関わる側面を排除したこのような操作は、バタイユあるいはアンドレ・ブルトンが抱く詩的観念とも呼応しているものと思われる。この関係を明らかにするため、第二部第二章では、それぞれの作家が抱く詩的観念を分析対象とする。すすんで規範に背を向けるこれらの作家においては、意味よりも音を重視する単語の連結や、言葉遊びに近付く言語操作としての特徴が、注目すべき要素として表出する。さらにはその遊びが、詩的創造へと変容させられることとなる。この一連の過程を検討するべく、シュルレアリストの創作や、そこで明らかとなる各作家の独自性についての調査を行う。ついで、これらの作家ほどには体系的でないながらも、遊びに近い即興性を詩作に取り込むバタイユの言語観が備える特性を見ることによって、自らが行ったファトラジー翻訳との間にひそむ一貫性を浮かび上がらせる。

 以上をふまえ、本研究の結部として、理論と実践の面から、つまり表現内容と表現方法との相互関係を手掛かりに、バタイユの詩的創作を読み解いていく。とりわけその詩作品において、作家が再編成した中世文学や神秘思想に関わる要素はどのように活用されているかを示すことが目的となる。不可能性、供犠、ポエジーというキーワードで語られるバタイユの詩的観念を扱う研究は少なくないものの、バタイユによる詩の実践を分析したものは日本ではほぼ皆無であり、フランス語文献を含めてもごく少数に留まる。またこれは、第一部から行う理論的考察を含めたうえでその書法を分析するという意味で、論文全体のまとめとしても機能する。通常の言語をもって自らの体験を語ることが不可能であると主張するバタイユは、自らの文章に叫びや祈り、呼びかけという属性を与えようと努める。これにあたっては、口語性、つまり声や発話の文章中における表象が一つの重要な創作原理となっていると思われる。したがってここでは、叫びや祈りにも関わるこの創作原理をもとに詩の分析を行っていく。理論と実践を通底する論理が特定されるばかりか、その独特な読書観や、自身の著作において詩作品が担う役割などが明らかとなる。とりわけ、中世研究や人類学に関わる文献を引用することで、この作家の独自性に異なる角度から光を当てるとともに、本論で主題となる他文化への視線が、作家の創作にどのような痕跡を残したかを問うことができる。これは、比較的早い時期から研究対象として注目を集めてきたバタイユの書法につき、検討されることのなかった側面を明確に提示し、また既存の研究を参考としながらも、あらゆる側面を否定性という一点に還元させるような従来の読解を乗り越える研究として意義のあるものとなる。

 

 以上のように、本研究は伝統との関係、人文諸科学との交流という観点からバタイユの活動を眺め、今なお読者も多いバタイユという作家が従う創作原理の一端を解明することを大きな特色としている。その思想的な態度、実際の資料の扱い方、中世詩の書き換え、伝統的な文学手法の改編など、理論と実践の双方に関わる多様な面の分析をとおして、作家がこれらの要素を作り変え、取り込んでいく過程を詳細に検討した。これにより、着想の多元性を特徴とするその作品を読み解くための道筋を示すことが可能となる。

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