運動オブジェクト追跡に関与する視覚運動処理

金谷 英俊

本論文は,視野内を運動し続ける視覚対象(オブジェクト)を追跡するオブジェクト追跡に寄与する視覚処理過程について,実験心理学的に検討を行ったものである.このオブジェクト追跡に関しては,視覚的注意などの高次の視覚機能に焦点を当てた研究が多く(e.g., Cavanagh & Alvarez, 2005),より低次の視覚処理段階において運動オブジェクトの時空間的変化を検出する運動処理過程,ならびに抽出された運動情報がオブジェクト追跡に寄与しているか否かについては,これまで十分な検討が行われてこなかった.そこで本研究では,オブジェクト追跡課題に対してISIinter-stimulus interval)の挿入,1次・2次運動刺激,属性内・属性間運動刺激の使用などの実験操作を適用することで,意識的な視覚処理であるオブジェクト追跡に低次の運動情報が寄与するか否かについて検討を行った.また,運動情報が寄与するのであれば,その運動情報が,視覚運動処理メカニズムのうちいずれのメカニズム由来のものか,ならびに注意など高次の視覚機能とどのような関係にあるかも併せ検討した.

 第2章では,視野内の複数の運動オブジェクトを追跡するMultiple Object Tracking課題(以下,MOT課題)を用い,低次の運動情報がオブジェクト追跡に寄与しているか否か,および高次の注意処理との関係について検討を行った.低次の運動処理過程である1次運動検出メカニズムのはたらきに影響を及ぼすとされるISIMOT課題の仮現運動刺激へ挿入した場合に,ISIがオブジェクト追跡に与える効果について調べた.その際に,課題成績を上下視野に分けて分析し,課題成績の上下視野非対称性に関する検討も併せ行った.実験1では,MOT課題の輝度定義の仮現運動刺激を上下視野に呈示し,挿入するISI0-133.3 msec5段階に変化させ,ISI挿入の効果を検討した.その結果,100 msec程度のISIにより課題成績が低下した.加えて,ISIを挿入しない場合には課題成績が下視野優位となったが,ISIを挿入すると特に下視野で課題成績が大きく低下し,100 msec以上のISIの挿入により下視野優位性は消失した.実験2では,1次の視覚属性である輝度に加え,注意の関与する運動処理により運動が検出されると考えられている,2次の視覚属性であるコントラストまたは運動で定義したMOT課題刺激に対し,挿入するISIの値を5段階に変化させた.その結果,輝度定義条件に加えてコントラストならびに運動定義条件でも,ISIの増加とともに成績が低下した.上下視野別の分析では,輝度定義条件では実験1と同様の結果が得られたが,2次運動条件ではコントラスト・運動間で一貫した結果は得られなかった.実験3では,高速呈示文字列のなかからターゲット文字を検出する文字検出課題(RSVP課題)によって認知的負荷をかけた二重課題状況下でMOT課題(輝度定義・コントラスト定義・運動定義)を行い,処理容量に限界があると考えられている注意とオブジェクト追跡との関係について検討を行った.その結果,どの属性条件においても二重課題による負荷を与えることにより課題成績が低下した.さらに条件別の分析より,輝度定義刺激とコントラスト定義刺激において,ISIを挿入しない場合に下視野ではRSVP課題による負荷を与えてもMOT課題成績が低下しにくく,逆に上視野でより大きく低下した.

 以上の実験より,100 msec程度のISI挿入によってMOT課題の成績が低下することが示された.このMOT課題に対するISIの効果は,1次運動検出の時間特性と概ね一致することから,低次の運動情報がオブジェクト追跡に寄与している可能性を示唆する結果であると解釈できる.2次刺激でもISIの効果が認められたことは,想定される運動処理が1次運動刺激だけでなく2次運動刺激も処理できる可能性を示唆するものであろうしかしながら,注意にもとづく運動処理が関与するとされる2次運動刺激でもISIの効果が認められたこと(実験23),二重課題による負荷を与えると課題成績が低下したこと(実験3),そして課題成績に1次運動検出にはみられない上下視野差が存在することは(実験1-3),オブジェクト追跡における注意処理の特性を示す結果であり,ISIが効果を及ぼしたのは注意処理であるとも解釈可能である.加えて,視野ごとの分析でも運動処理の寄与については明確にはならなかった.以上のことから,本章の実験結果は,オブジェクト追跡に低次の運動情報が寄与するか否かを明らかにするものとはならなかった.

 第3章では実験課題を換え,Verstraten, Cavanagh and Labianca2000)が用いたものと同様の注意追跡課題により,オブジェクト追跡が可能となる刺激の時間周波数の上限値(以下,時間周波数限界)を指標として,オブジェクト追跡に運動情報が寄与するか否かを検討した.実験4では,オブジェクトを定義する視覚属性のうち,1次属性として輝度,2次属性として運動,両眼視差,フリッカー,およびコントラストを用い,各属性におけるオブジェクト追跡の時間周波数限界を測定した.また,刺激の2つのフレームのオブジェクトが同一の属性で定義された属性内オブジェクト追跡条件に加えて,2つのフレームのうち一方のオブジェクトが輝度で,他方のオブジェクトが2次のいずれかの属性で定義されたオブジェクトのフレームを交互に呈示する属性間オブジェクト追跡条件を設定した.その結果,属性内条件では刺激の種別にかかわらず時間周波数限界は約4-5 Hzとなり,また,属性間条件では属性内条件よりも時間周波数限界が低速側にシフトし2-3 Hz程度となった.すなわち,両者の時間周波数限界の間には明確な相違が認められた.この結果は,属性内オブジェクト追跡と属性間オブジェクト追跡では,寄与しているメカニズムが少なくとも部分的に異なっていることを示している.この点を明らかにするため,実験5では,実験4と同じ属性の組み合わせを用いて,2つの孤立オブジェクト刺激間の往復直線運動を用いて古典的仮現運動知覚の時間周波数限界を測定し,オブジェクト追跡の時間周波数限界との比較を行った.仮現運動知覚率が50%となる時間周波数を仮現運動知覚の時間周波数限界と定義したところ,属性内,属性間にかかわらず約4-6 Hz程度と,実験4の属性内オブジェクト追跡の時間周波数限界と近い値となり,属性間オブジェクト追跡の時間周波数限界である2-3 Hzとは一致しなかった.実験6では刺激中に運動成分が存在しない刺激を用い,注意の自発的な移動の時間限界を測定した.こうした事態における注意の移動時間限界は2-3 Hz程度,すなわち実験4における属性間オブジェクト追跡の時間周波数限界とほぼ一致する値となった.さらに実験7では,属性間刺激におけるオブジェクト追跡と仮現運動知覚の時間周波数限界の結果の相違について検討するために,実験4で用いた多義性のある刺激配置パターンに対する仮現運動知覚の時間周波数限界を測定した.その結果,属性間刺激でありかつ多義性のある場合には,仮現運動知覚が生じにくいことが明らかとなった.

 以上の結果をまとめると,属性内刺激ではオブジェクト追跡の時間限界と仮現運動知覚の時間限界が近いものとなり,属性間刺激ではオブジェクト追跡の時間限界と注意の時間限界がほぼ一致した.オブジェクト追跡には注意が関与しており,時間周波数が3 Hz程度まではこの注意が機能し得るため,注意のみでもオブジェクト追跡の遂行が可能となっていることを示すものと考えられる.特に属性間オブジェクト追跡では多義性のある刺激からの運動情報の抽出が困難であり,結果としてオブジェクト追跡に対する注意の関与が大きくなると考えられる.それに対し,時間周波数が3 Hz以上の場合のオブジェクト追跡については注意の要因で説明することは難しく,刺激の属性が1次,2次いずれであっても,刺激から運動情報が抽出される属性内刺激であれば,オブジェクト追跡に比較的低次の運動情報が寄与している可能性を示唆するものと解釈できる.

 本研究の結果は以下の3点である,(1)属性内運動に対するオブジェクト追跡は,ISI挿入に対する感受性が低い,(2)二重課題により注意負荷を課した場合には課題成績が低下する,(3)属性内運動を用いたオブジェクト追跡の時間限界は仮現運動の時間限界とほぼ一致し,属性間運動を用いた場合の時間限界は注意の自発的な移動の時間限界とほぼ一致する.以上の結果を総合的に考えると,これまで想定されてきた自発的・能動的な注意にもとづく高次の視覚処理に加え,それとは異なる処理過程,おそらくは比較的初期の視覚運動処理メカニズム由来の運動情報がオブジェクト追跡に寄与していることを示すものと解釈することができるまた,オブジェクト追跡に寄与する運動処理過程に関して,本研究の実験より,1次刺激と2次刺激に対する処理が類似した傾向をもつことが示された.この結果については,本研究で用いたようなオブジェクト刺激に対しては,輝度定義刺激であっても1次運動検出メカニズムでは処理されず,それとは異なる,2次運動刺激を処理するメカニズムと同一のメカニズムで扱われていることを示唆するものと考えることができる.

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