本論文は、電子メディアの登場によって開かれたメディア空間を踏まえて、宗教集団や表現者の立場から「聖性」がどのように更新されたかについて考察したものである。

 

90年代半ばに登場したインターネットが、その黎明期において宗教に及ぼした影響は相当なものであったが、本論文はそうした現象には前史があるという認識を基点とする。具体的には、インターネット以前のラジオやテレビ等の電子メディアの登場時に、そこに新たな聖性が見出され、その可能性を汲み上げるような諸実践が見られる。本論文では「聖性の拡張」というキーワードで、そのダイナミズムを論じている。

 

本論文は二部から構成される。第一部では日本の電子メディア黎明期におけるメディア空間への宗教の参入事例として、NHKの宗教放送、金光教、生長の家、大本を取り上げ、どのような形で聖性の拡張がなされたかを描写する。他方、第二部では、1960から80年代における韓国系アメリカ人ナムジュン・パイク(白南準1932-2006、以下パイク)によるビデオ・アートの実践と思想が取り上げられている。ここでのパイクの創作活動は、ラジオ・テレビからさらに聖性を拡張する思想的・芸術的実践であり、かつパソコン通信やインターネットの前身的事例と位置づけられている。

 

1章では、日本初の公共電子メディアであるラジオが黎明期に人々に与えた期待感を紹介し、考察している。具体的には当時世間で流行した「ラヂオ気分」を鍵語とした大衆の反応やラジオ批評等を通じ、当時のラジオが人の感覚や精神に大変革をもたらすと見なされていたことを指摘し、この脱身体的メディア体験の言説が、従来の日本の霊性文化や当時日本に浸透していた19世紀以降のメタフィジカル宗教と連続性があると説明している。

 

2章は、ラジオが制度的に普及し、装置から番組内容へと関心が移行した後の事象として国内最長のNHKの宗教放送を取り上げる。放送開始時は、人々が平等に知識や品性を磨き人格形成を目指す修養を目的としたが、その後教養へとシフトし、昭和10年頃より国家総動員の手段ともされた。戦後は占領軍の介入で変革され、60年代のテレビ宗教放送の開始を機に聴覚・視覚メディアによる立体的な番組編成が検討された。80年代には、番組の中心を職能者による上意下達的な性質のものから一般の人々の「こころ」へと転換している。このようにNHKが時代の要請に従い、何を以て宗教の聖性としたかについて、その変遷を辿り考察している。

 

3章では、公共メディアの主流から締め出された新宗教教団の電子メディア実践について、金光教・生長の家・大本を事例に検討している。各教団の実践は、公共放送とは異なるかたちでそれぞれが抱く聖性の拡大が試みられ、独自の宗教的期待感を見せた。これはラジオ黎明期の「ラヂオ気分」の二次的再現と換言可能であり、自身の教団が電子メディアという新しい社会的空間において聖性を如何にして導入可能かを問う経験でもあったとしている。

 

第二部ではメディアと聖性の混在的思想が活動の原動力として働いた例として、ビデオ・アートの創始者であるパイクの芸術活動を扱っている。彼は、諧謔精神を以て常に社会や日常に問題を提起する活動を行ったが、それを支えたのが宗教思想とメディア論の融合によって打ち立てられた独自の思想であったとする。制度化された電子メディアの中で宗教性が更新されていく過程を検討した第一部に対し、第二部では、宗教性が電子メディアを既存の制度や構造から解体・再構築し、新たな社会像を構想した過程が俎上に載せられる。

 

4章はパイクの生い立ちと、生涯師事したアメリカの現代音楽家ジョン・ケージから受けた思想的影響を説明し、パイクの価値観形成には幼少時に朝鮮戦争で祖国を離れた経験と、その後のケージとの出会いが車軸の如く関与していることを明らかにしている。

ケージが傾倒した禅や易経等の東洋思想、エックハルト等の神秘主義、不確定性の観念が、パイクに影響を与えており、特に不確定性はディアスポラ的生き方を運命づけられた彼自身のアイデンティティに大きな意義付けを与えている。またケージの音楽創作に倣い、ビデオの創作活動に東洋思想を応用したことが、ビデオ・アートの誕生の契機となった点を指摘している。

 

5章で論じるのは、朋友のドイツ人芸術家ヨゼフ・ボイスと共に培ったシャーマニズムのビデオ・アートへの応用である。第二次大戦中に搭乗した戦闘機がクリミア半島に墜落した際、タタール人から救われ、その大地から霊感を受けたとされるボイスの逸話に共感したパイクは、祖国の巫堂文化への眼差しを回復させることで互いのシャーマニズム世界の接続を地理的・言語学的見地から試みている。シャーマニズムはパイクのメディア観や実践に新たな意味付けを与え、社会的にメディアの持つ多元的側面を具現化させる責任を自覚させるものでもあったとしている。

 

6章では、サイバネティックスの提唱者ノーバート・ウィーナーの言説を、パイクが宗教的文脈に沿って解釈・吸収していく様を考察している。パイクはウィーナーの思想にケージや不確定性思想との共通項を見出すと同時に、彼の実存主義的生き方にも深く同調する。それが無メッセージ的情報の表象、タイム・コラージュ、テクノロジーの人間化等の観念の創出につながり、作品素材に深い哲学的思惟を与えることに成功したとする。またパイクは、ウィーナーの人道主義的知見から弱者に対する眼差しを学び、創作活動を人間のためのテクノロジー(メディア)利用の問題に引き付ける契機となったと指摘する。

 

7章では、パイクのマクルーハン解釈と彼の地球村理念を応用した衛星芸術の意義を考察している。パイクが70年代初頭から80年代半ばに地球村をコンセプトとして生み出した衛生芸術の言説及び作品群は、電子メディアの登場により時空間の制限が取り払われ、世界規模での相互依存の時代が到来するというマクルーハンの地球村の観念を踏まえたものである。しかし、(マイクによって)拡大された神の声に包まれた聖なる共同体というマクルーハンの宗教的メディア観を踏襲したものではなく、構造的にはバックミンスター・フラーの地球生態学と仏教的因縁生起(縁起)との混合によって生み出されたスピリチュアルな性質を持つことを指摘している。

 

パイクの実践はメディア論と自身の宗教観の密接な二重構造から成り立っている。電子メディアに禅やシャーマニズム等の聖性を持ち込むことで、既存メディアの解体・再構築や社会に対する問題提起を提示し、「(高次の)生の充実とその有機的ネットワーク」社会の可能性を打ち出した。それはメディア空間を無機質な情報空間ではなく、人々が躍動する有機的な空間として意味付ける試みでもあった。

 

結論では、本論文全体における電子メディアを巡る宗教的メディア実践に関する議論を総括して、電子メディアという新たな社会空間を通じて人びとがよりよき生を送れるように、様々なかたちの聖性がその空間に持ち込まれ拡張されていったと論じている。さらに、インターネットが登場した現代の状況を、これまでの議論の延長上に位置付けつつ、現代の電子メディア上の交流で生じる宗教的な交流や感情も、既に歴史的に繰り返されてきたことであるという理解を示している。