「共生」の都市社会学――理論的実践の構築に焦点をあてて――

三浦 倫平

本稿は、「共生」という社会学的な問題を都市というフィールドで分析する際に、どのような問題設定が重要になってくるのか、そして、どのような分析枠組みが求められるのかという点を論究することを通じて、都市社会学という実践を総体的に問い直すことを目的とする。そのために、広範囲にわたる既存の認識を再考し、分断されている、あるいは隠されている課題を剔出することで、その課題を乗り越える問題設定や枠組みを探求した。

序章では、既存の「共生」に関する認識が、(固定的な共同体を前提にする)共存論か、規範論である点で、「都市への権利」を主張する近年の都市社会運動を、「共生」という社会学的な問題を提起しているものとしては捉えきれないという点を主張した。その上で、「共生」という概念を「異質な要素同士の共存から、相互理解などを経て、共に生きていくことを可能にする社会を新たに形成していく動き」として仮定的に再定義した。

1章と2章では、既存の理論の認識=方法について検討を行った。1章ではまず第1節で、「共生」というテーマを内包する「都市空間の危機的状況」に関する研究群を検討し、その課題を検討した。その成果と課題から、Ⅰ:いかなる要因で「共生」が揺らいできているのか、Ⅱ:いかなる「共生」の構想がいかにして生み出されているのか、Ⅲ:いかにして「共生」を可能にする社会を作り出していく事ができるのか、その実践にはどのような可能性や課題が存在しているのか、といった「共生」をめぐる3つの問題設定を導出し、人々の意味世界を焦点とする事の重要性を論じた。

次に第2節では、都市空間の危機的状況を「共生」の問題として論究できていない既存の都市社会学の認識=方法の背景に理論的実践の偏りがある事を論じた。理論的実践の重要性を指摘していた新都市社会学の議論の意義と課題を再検討した結果、Althusserの議論が誤解され、特定の経験的対象を持つことが重視される一方で、「問いの構造」への自覚化が不十分であったことを明らかにした。

そして、第3節では、理論的実践の重要性を主張していたM. Castellsの方法=認識を振り返りながら、彼が「共生」というテーマをどのように扱っているのかを検討した。その結果、空間を理論的対象として設定していない為に、空間をめぐる意味、関係性、実践など様々な要素が意味世界と相互に重層的に関連するという方法=認識を持っていない点に課題がある事を明らかにした。

そして2章では、共生を捉える上で重要な焦点となる事が明らかとなった意味世界をこれまでの都市社会学がどのように捉えてきたのか、その方法と認識を検討した。

1節では、初期シカゴ学派が早々に意味世界を捉える事の重要性を理論的に論じていた点を明らかにすると共に、人間生態学的な空間認識が意味世界の歴史性、多様性、構成要素といったものを捉える事を阻んでいた点を明らかにした。

2節では、意味世界を焦点にして「共生」に関する問題設定を先駆的に論究してきた日本の開発研究や住民運動論の成果と課題から、意味世界を捉える際の重要な論点を導出した。それは、①論理化されていない意味世界の展開を把握していくこと、②意味世界の共同性の多様性や根拠を把握すること、③意味世界の背景要因や構成要素を明らかにすること、④どのような方法で社会を形成していくのかという構想=意味世界を把握することの4点である。

3節では、人類学を含めた広義の都市社会学が他者の「意味世界」をどのような立場、方法で明らかにしようとしてきたのかを検討した。その結果、研究者と研究対象者の相互交流という立場が構想されており、それを具体的な方法に繋げていくためには、研究者と研究対象者が相互にパフォ―マティブに意味世界を構築する様相を捉えるアクティブインタビューという手法が一つの突破口になることを明らかにした。ただし、この手法は意味世界の構成要素/規定要素を念頭に置かないという課題がある為、その課題を克服する為に、本稿では、意味世界を空間的に捉え、意味世界の構成要素/規定要素に着目することを示した。

4節では、意味世界を空間的に捉え、その歴史性、多様性、構成要素/規定要素に着目していく為の方法=認識の手掛かりとして、Lefebvreの理論を再検討し、「空間の表象」「空間的実践」「表象の空間」が重層的に交差する理論的対象として意味世界を捉える視角が重要な手懸りになることを示した。

 

次に、3章以降では、「都市への権利」がテーマ化している下北沢地域の紛争を素材として、序章と11節で導出した社会学的な問題設定がイシューとして浮上している事を確認しつつ、分析を行った。

1節では、下北沢地域の概要と紛争の原因となった連続立体交差事業の概要について明らかにした。

2節では、計画推進側と反対側の論理や意味世界に着目しながら、いかなる「共生」の構想が存在するのかを明らかにした。計画推進側は人間工学的な都市空間によって「誰もが安全で安心に生活、利用できる都市空間」を構想する一方で、「社会」を形成する主体としては多くの商業者や住民、来街者を外していた。

一方、反対運動側の意味世界の「社会」には街の当事者として来街者も含まれ、当事者間の水平的な関係性が構想されていた。また、計画を推進する立場に立つ人々も、共に「社会」を形成する主体として運動側に構想されていた為、推進側の主張を尊重し、共存可能な代替案を作成する等、共生が可能な社会がより徹底的に構想していた。

次に、第4章では、以上の共生の構想の対立の背景に、人々の意味世界が規範的、集合的、歴史的に作り上げられてきた事が影響しているという事を明らかにした。

運動側の共生の構想の核となる「歩いて楽しめる街」という意味世界の背景には、土地の利用形態が多様に変化する事、それと相互作用する形で街の表象が様々に変化し、またそれに対応する形で、来街者の実践が生まれ、そこから社会関係が生み出され、それがまた土地の利用形態や表象に大きく影響を生み出していくというような循環構造がある事が明らかとなった。この循環構造に人々は規定されて意味世界を作り上げると共に、意味世界の構成要素として物質、表象、社会関係、実践を取捨選択していった。

計画推進側の中心をなす地権者や商業者は、ビルオーナーになるという形で経済的合理性を追求するようになり、街の高層化を受け入れる傾向がある。都市計画事業という表象に対しても当初は否定的だったが、行政を上位の政治的主体に設定する政治的な構想が支配的であった為、行政との数十年にわたる協議の結果、表象は正当化/正統化され受け入れられていった。このように推進側も物質、表象、社会関係、実践の循環構造に規定されるが、運動側とは異なる構成要素を選択する事で異なる意味世界を歴史的に作り上げていった。

以上のように、多様な意味世界を生み出しやすい盛り場という都市空間の磁場の中で、私的所有権を最大限認める国家主導の都市型公共事業がまちづくりの形骸化を進め、地権者らの意味世界を包摂し、人間工学的な都市空間を作り上げようとする事が、この地域における共生の揺らぎの大きな要因である事が明らかとなった。都市空間をめぐり多様な意味世界が生み出される中で、特定の意味世界によって都市空間を排他的に独占しようとする社会経済的な動きが共生を難しくしていると言える。

5章では運動の展開に即しながら、いかに共生を可能にする社会を作り上げるか、その方法をめぐる三つの政治的構想に着目し、その意義と課題について分析を行った。

三つの構想のうち一つは、一連の都市計画を推進する人々を「敵」として境界線を引き、「敵」の計画を止める事が共生社会を実現する為には最重要という「対抗型の構想」である。二つ目は「敵/味方」というような境界線を引くのではなく、推進派とも協働で討議をしていく事が、より良い共生社会に向けた第一歩となるという「連帯型の構想」である。三つ目は、様々なイベントによって、問題に関して無自覚な多くの人を巻き込んでいく事を優先とする「イベント型の構想」である。

対抗型の構想の課題であったまちづくりの機運というものを残り二つの構想が生み出し、連帯型とイベント型の構想の課題であった行政に対するブレーキを対抗型の構想は生み出していた。そして、対抗型と連帯型の構想の課題であった幅広い人々への訴求力をイベント型の構想はカバーしていた。このように、複数の構想が存在する事で、結果的に、各々のタイプの課題をカバーしており、今後これらの構想が共存出来るかどうかが共生の社会の実現という終わりなき戦いに向けて重要であるという事を論じた。

また、以上のように、事例の分析を通して、意味世界という分析枠組みに関しても、意味世界の「社会」の捉え方、構成要素/規定要素の捉え方、共生の構想のタイプという点を捉える必要性を導きだし、その枠組みを強化した。

そして第6章の結論では、(上述した)本論文の分析的意義の他に、方法論的意義を示した。それは、問題設定と分析枠組みを理論的蓄積と経験的対象の両方を素材とすることで構築した点、空間との関連から意味世界を捉える事の有効性を示した点、規範的かつ経験的な中範囲の理論を構想することで都市社会学と公共社会学の連接を試みた点である。また、理論と事例の対話を通して明らかになった重要な論点(「よそ者」論・「都市への権利」論・「公共圏」論への新たな視点)を示した。そして、最後に、分析を運動主体にフィードバックすることで、運動主体の意味世界がどのように変化していくのか、運動の課題がどのように克服されるのか、されないのかを捉えるという本研究の展望を明らかにした。

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