本論文は八章から構成されている。

第一章では、本稿の問題意識、分析方針、本稿で取り扱う事例について記述する。社会運動論は、集合行動の「発生・持続・発展」そして人々の運動への「参加・継続」を論じてきた。しかし、基本的に運動論が対象としてきたのは組織的な集合行動としての社会運動であり、そこでは「個人」は「組織」に付属するものとして論じられてきた。しかし、個人化・流動化が進行する現代社会の運動において、組織と個人を同一視した上での運動研究は、決して実態を正確に把握する試みとは言えない。

本研究は社会運動への視点を「組織」から「組織と個人」へと転換させ、社会運動研究に新たな視点をもたらすものだが、その際の重要な分析視角として、活動家の生活の局面を、動態的な「出来事」と静態的な「日常」に区分する。特に、活動家たちをめぐる社会運動の文化を分析するために「日常」の側に注目する。活動家の日常を形成する価値観や振る舞い、彼らが集合した際の規範やしきたりのありようを把握するために、政治的な目標を達成するため、時間と場所を定め、ある手法を用いて組織的に実行される「出来事」の側を検討したい。その事例として、本稿は「2008年北海道洞爺湖G8サミット抗議行動」を取り上げる。

第二章では、資源動員論の潮流に基づく社会運動論と、個人化の時代における社会運動研究に分類されるふたつの先行研究群を検討する。第一に、社会運動論は社会運動・集合行動の説明因をさまざまな形で示してきたものの、その対象の多くは組織的に行われる、予めその実行を予定された「出来事」に集中していること、またその背景にある活動家個人をめぐる日常の分析が不十分であることを示す。一方で経験運動論やライフスタイル運動研究といった近年の社会運動研究は、活動家たちの会合のやり方や食嗜好、消費をめぐる選好といった「日常」に目を向けるものの、そうした手法や嗜好の発生と集合行動がどのように結びついているかを十分に記述していない。そのため、本研究は、活動家たちの人間関係を媒介として、ある社会運動イベントによって生じた紐帯が、活動家同士の規範形成や情報共有にどのような影響を及ぼすのか検討するという方針を示す。その際に、活動家のこだわりや価値観・理念、彼らが組織化された際に生じる規範や慣習を生じさせ、また彼らのコミュニケーションによって伝達・反映・再生産される要素として「社会運動サブカルチャー」という概念を用いる。これにより、集合行動論以来引き継がれてきた意識や資源をめぐる動員論的な社会運動論の知見を踏まえつつ、経験運動論が論じた参加のあり方を説明し、「社会運動と文化」論が発見してきたさまざまな知見に新しい意義を付与することができる。社会運動論に対して「組織」と「個人」という視点の転換をおこない、動員論的社会運動論(集合行動論、資源動員論など)・行為論的社会運動論(経験運動論)の架橋が可能になるという点で、社会運動論に対して大いに貢献できる。

 第三章では、分析枠組みを提示する。活動家たちの集合行動である出来事と、その準備や実行の過程に内在する日常的要素を分析するための概念として、デモやシンポジウムといった運動の「メインステージ」(出来事の中の出来事)と、そのための準備・設営作業である「バックステージ」(出来事の中の日常)がある。さらに活動家の日常の中には、活動家たちが普段従事している社会運動(日常の中の出来事)と、彼らの職業生活や家庭生活といった私生活(日常の中の日常)がある。本稿はサミット抗議行動を、多様な分野の問題に従事する活動家らによる「一時的集合」として捉える。その上で、行動のバックステージとメインステージが活動家らの振る舞いやしきたりを反映し、また活動家同士の関係を媒介に伝達され、再生産するものとして分析する。そこで見出された要素を活動家たちが普段過ごしている日常を通じて検討することで、「社会運動サブカルチャー」をなす要素として具体的にどのようなものがあり、彼らのどのようなライフスタイルや属性に基づいているのかということを明らかにする。

 サミット抗議行動を通じて、人々はどのようなコミュニケーションを行い、その背景にはどのような要因があったのか。それを明らかにする第一段階として、サミット抗議行動という社会運動のダイナミズムを記述するために、活動家・活動組織間の社会ネットワーク分析を行う。第四章第一節ではその導入として、分析対象である「2008年北海道洞爺湖G8サミット抗議行動」の概説を行う。2008年に日本で開催された「北海道洞爺湖G8サミット」に対する抗議行動は、グローバルな運動であるがゆえに問題の当事者が判然としない。それゆえ、主な担い手が問題によって規定されない活動であった。また運動が生じる場所に関しても、社会問題の起こっている場所ではなく、閣僚会議の開催地へと自動的に決定される。その結果、運動の目標に強く共鳴しない人々や、義務感によって参加する人が生じる。また、目標が明確でないからこそ、参加者たちは自らの理想やこだわりをこの運動に込めやすい。集合的アイデンティティに依拠せず、参加の多様性をもつこの運動は、「組織」と「個人」を論じるにあたり適切な事例と考えられる。

第四章第二節・第三節では、具体的なサミット抗議行動の研究として社会ネットワーク分析に着手する。はじめに、社会運動ネットワークを検討する際、組織の意志決定構造がトップダウンか否か、社会運動のキャリア、多様な問題意識を抱いているか否かといった点が、ネットワークを形成する上で重要な変数として挙げられる。しかし、サミット抗議行動の中で、個々の組織は非常に属人的な要素から結びついていることが明らかになる。この結果を踏まえて本研究は「個人」同士のネットワークに照準を定めて分析した。人々はサミット抗議行動を通じて、差異を乗り越え、他者の抱える社会への問題意識や課題の捉え方を学び、経験を共有することによって集合的アイデンティティにかわる新たな連帯を作り出すことが可能になった。しかしその一方で、活動家たちは自らの政治的な信念や政治に対する態度を手法や戦術をもって表現することになり、その手法をめぐって衝突や無理解が生じることになる。

 第五章では、サミット抗議行動のバックステージとメインステージを通じてどのような社会運動サブカルチャーが顕在化されたのかを明らかにする。デモやメディア活動といった抗議のやり方は、活動家たちによって異なる意味を付与される。それは活動家たちの担ってきた運動だけでなく、職業キャリアや余暇活動によって解釈され、改めて意味付けされるものだった。サミット抗議行動を行う上で、活動家たちは「管理」と「自治」という規範の間で揺れ動き、敵対するアクターは何なのか、社会の歪みから被害を受ける人々を守るとはどういうことなのか、活動家同士信頼しあうとはどのようなことなのかという問いかけを通じて、自分にとって社会運動とは何かを考えることとなる。普段から異なる社会運動に従事している者たちの合意形成は困難を極めるが、結果はどうあれ過程を共有したことにより、一部の活動家たちやステークホルダーたちは良好な関係を形成することに成功する。さらに、人々が衝突や信頼形成に至る背景には、活動家たちの社会運動履歴だけでなく、彼らが日常生活を通じて築いてきた理念や思想があることもまた読み取れる。

 第六章では、サミット抗議行動の検討を通じて見られた社会運動サブカルチャーを構成する要素が、活動家たちが普段から携わっている運動を通じても観察可能であるかを確認する。動員拡大に伴うステークホルダーや差別といった問題、運動の中で誰が権力を握るかなど、サミット抗議行動を通じて見られた課題は普段の社会運動にも沈潜しているものだ。さらにそうしたこだわりは、やはり活動家たちの参加を支える家庭や職場といった場での日常生活をめぐる他者とのコミュニケーションや、そこで得られる知識・情報に依存している。ここから第七章の、活動家たちの運動参加を支える日常という主題が導き出される。

 第七章では、日常生活と社会運動との関わりを、彼らの家庭生活や職業生活から検証する。活動家たちの運動参加は、彼らの知識量や家庭での教育に依存している。その一方で、職業生活や家庭生活の状況によって活動家たちが運動参加を妨げられる事態も見られる。この場合、人々は自らの生活を通じて政治的な理念を個人的に実現させようとする。活動家たちが社会運動サブカルチャーを私生活の諸領域に反映させていることは、組織的な社会運動から離脱した人々が運動に再参加するにあたっても大いに役立つことがわかる。

 第八章では、本論文での知見の整理をおこなった後で、結論を述べる。本稿は「出来事と日常」という視点から社会運動を論じることで、運動の中に「意図しない参加」や「復帰」といった多様な参加が存在することを明らかにした。社会運動論は個人を組織に従属する存在として論じるがゆえに、こうした多様な参加を説明できない。しかし、本稿は社会運動サブカルチャーという概念を用いながら「組織」とともに「個人」に分析の焦点を当てることにより、それまで「社会運動と文化」論に属してきた研究に新たな意義をもたらすことができる。社会運動のダイナミズムを論じてきた運動研究は、運動の発展という動態に寄与するものとして社会運動における文化的な側面を扱わざるを得なかった。本稿は組織研究としての社会運動論から個人を独立して論じることにより、活動家個人におけるさまざまな運動との関わり方を主題化することが可能になる。