明末清初の作家李漁は、小説『無声戯』、『十二楼』、戯曲『笠翁伝奇十種』によって、世に広く知られている。彼の作品は斬新な趣向や精妙な構成を有しているだけでなく、作者自身の独特な思想や見解を含んでいる。後世の中国文人たちは、その内容の面白さに目を付け、自らの作品の素材として、李漁の小説や戯曲の筋書きを大いに利用している。

また、李漁の作品は江戸時代の日本に伝わり、日本においても多くの読者を得た。八文字屋自笑が明和八年に出版した『新刻役者綱目』は、李漁『蜃中楼』の第五、六齣の翻訳を収録したものであるし、三宅嘯山、曲亭馬琴、石川雅望、笠亭仙果らも、李漁の戯曲や小説を翻案して読本や合巻にしている。明治時代に入ると、広津柳浪は李漁の戯曲を模倣し、森槐南は李漁の小説を翻訳した。

このように、李漁の作品は日中に広く受容されており、日本文学における中国戯曲小説の影響を論ずるのに相応しい対象であると考えられる。そこで、本論文では李漁の作品を中心として、その特徴と日中文学における影響について検討したい。また、日中文化やジャンルの違いによる改変の差異を明らかにし、李漁作品及びその改編作品の文学史的価値を再考してみたい。

本論文は序章、終章及び全六章の本論から構成されており、四つの主題について論究する。

第一章では、李漁の小説における同性愛描写を通して、その創作技法や価値観を見る。李漁の男色小説「男孟母教合三遷」及び「萃雅楼」に対する従来の解釈は、「李漁は男色を批判している/いない」という二者に分かれていたが、主題の選び方や主人公の描写のしかた、物語の重心から見れば、李漁には男色を批判する意図がそれほど無かったことがわかる。男色批判の意図を持つと解釈されるのは、男性間の同性愛が家庭内倫理の維持に役立たず、更には倫理自体を妨害しかねないものであるために、李漁は男性間の同性愛をはっきりと称揚することができず、曖昧な書き方をしたことと関係がある。李漁の作品は真情の価値を肯定しながらも、伝統的な礼法には背くまいとしており、両者のバランスを取ろうとした試みが見て取れる。

第二章では、李漁作品の中国における影響を見る。ここでは、李漁の戯曲『比目魚』を改編した松竹草廬愛月主人の小説『戲中戲』及び『比目魚』、戯曲『風箏誤』を改編した作者不詳の小説『風箏配』、戯曲『奈何天』を改編した作者不詳の小説『痴人福』を考察の対象とする。

上記の小説は、李漁作品の内容を踏襲してはいるものの、いずれも大団円の結末や色事の描写を追加している。大団円を加えたのは読者の期待に応じるためであり、色事の描写を加えたのは猥褻な描写を売り物にすることで、原作の読者よりも文化レベルの低い読者層を引きつけようとしたためであると思われる。また、『戲中戲』及び『比目魚』と『痴人福』の二作は、類似の内容である李漁の小説「劉藐姑曲終死節」及び「醜郎君怕嬌偏得艶」を改編の底本とはせず、ジャンルの異なる戯曲を底本に選んでいる。これは、戯曲の字数が小説より遥かに多く、単行本として出版するに相応しい分量であったため、戯曲を底本にした方が改編に手間が掛からないと判断された結果であろう。また、これらの改編作は原作をより通俗化する方針で加筆されたため、淡白で論理的な李漁の小説よりも、ドラマチックに作り上げられた戯曲の方が、改編の底本として相応しかったとも言える。

第三章では、李漁の戯曲『玉搔頭』を翻案した、曲亭馬琴の『曲亭伝奇花釵児』及び広津柳浪の『絵姿』について論ずる。『曲亭伝奇花釵児』は享和四年の正月に刊行された中本型読本である。馬琴は『玉搔頭』を貫く「忠臣を判別すれば、国を長く治めることができる」という趣旨をはっきりと掲げようとはしておらず、忠臣の心情表現や活躍の一部を削除している。そして、原作における主人公の「真情を重んじる」特質や、ヒロインの「正しく人物を評価する」能力を切り捨て、原作とは異なる人物像を作り上げている。新たな趣向を練り上げ、自らの創作意図を巧妙に加えて作られたこの作品からは、馬琴の豊かな創作力の一端を窺うことができる。

『絵姿』は明治二十三年九月二十一日から十一月三日まで、『東京中新聞』に連載されていた小説である。柳浪は原作の内容を模倣しながらも、新たに面白味のある文章や典故を付け加えている。適当な分量ごとに話を切り分け、毎回それぞれ面白みをもたせるという戯曲の特徴が、新聞連載の性質と一致しているところから見るに、柳浪が『玉搔頭』を翻案の粉本として採択したのは、そうした戯曲の形を生かすことで、多くの手間を掛けずに小説が作成できると考えたためであろう。『絵姿』は、独創性は足りないものの、新たなメディアの形式が翻案の底本の選択に影響を及ぼすことを示唆している。

第四章から第六章までは、李漁の小説『十二楼』を翻案した笠亭仙果の『七つ組入子枕』について論ずる。嘉永三年から安政元年にかけて刊行された合巻『入子枕』は、『十二楼』の中から選び出した五つの話を巧妙に組み合わせ、関連性を有する一つのシリーズにまとめて翻案した作品である。初編から三編までは、「合影楼」と「奪錦楼」の話を底本にし、従姉弟同士であるお雛と古雅之助の恋愛話と、仲の悪い夫婦が二人の娘を婿四人と縁組させる話を一つのストーリーにしている。四・五編は、三編に登場した了然尼についての異本として「帰正楼」を翻案し、詐欺師調伏丸の改心と浄蓮尼の出家について描いている。六・七編は「三與楼」と「夏宜楼」の話を底本にし、前三編に登場した敵役橘織部を物語に取り入れ、身代の衰えた園四郎が屋敷を売り出す話と、その息子粂之助の恋愛話を綴り合わせている。ここでは、「合影楼」の翻案に該当する部分(初編から二編の二十丁まで)、完結の部分である六・七編、改変の程度が最も大きい四・五編の三章に分けて、逐次『入子枕』の構成や特徴、翻案作としての価値を解明していく。

『入子枕』は、本来おのおの独立した話の中で、相互に同じ人物を登場させることによって、それらを同じ物語世界で行われるものにまとめている。『入子枕』の前三編では、「奪錦楼」の主人公袁士駿を「合影楼」に引き入れ、本来「合影楼」には登場しない人物佚太郎を創出し、「奪錦楼」前半の話を、佚太郎が父親に宛てた手紙の内容として「合影楼」に取り込んでいる。更に六・七編では、「三與楼」の虞繼武と「夏宜楼」の瞿佶の人物像を融合させ、粂之助というキャラクターを創出して両作を連結させている。また、『入子枕』の前半と後半を繋げる要である橘織部は、「奪錦楼」の中の苗字しか登場しない醜悪な男と袁士駿の友人郎志遠という二つのキャラクターを一つに融合させた人物である。仙果は織部に神主の息子という設定を加え、園四郎が貧困になるよう呪いをかける役にさせている。このように、仙果は大規模な改変を避け、原話をほぼ忠実に取り込みながら、五つの短篇作を綴り合せている。物語全体の流れ、登場人物の性格や行動が一貫性を持つことから、仙果の趣向や構成上の精緻な工夫がよくわかる。

『入子枕』は日本演劇の背景や人名を転用しているところが多い。初編から三編までの話は、明和八年近松半二作『妹背山婦女庭訓』の要素を多く採択している。お雛と古雅之助の名前と、『妹背山婦女庭訓』の久我之助と雛鳥との関連は明らかであり、お雛の父大和屋管衛門と、古雅之助の父紀伊国屋戸八郎の屋号も、『妹背山婦女庭訓』の領地の名から転用されたものである。また、六・七編に登場する粂之助と恋人お梅の名前は、宝永七年近松門左衛門作『心中万年草』から転用されたものである。粂之助の名前には粂仙人の伝説もかけられている。仙果は中国小説の新奇な素材を浄瑠璃や歌舞伎の世界と融合させ、読者にとって新鮮でありながらも馴染みのある作品に仕立て上げている。

『入子枕』はこれまでのように李漁の一つの作品をそのままの形で日本化したものとは違い、五つの話を合併した長編物である。新たな人物や筋を追加したり、演劇の要素を取り込んだりしたところからは、仙果の熟達した翻案ぶりが窺われる。また、婦女や子供を想定読者とした合巻というジャンルを選んだことによって、李漁の『十二楼』はこれまでよりも広い階層の人々に認識されるようになった。

李漁の戯曲小説は斬新な主題や巧妙な叙述、ユーモアの風格を有し、後世大いに好評を博し、日中の文芸に様々な影響を及ぼした。『痴人福』、『風箏配』などの作品は文学的には価値の低いものであるが、改作の商業的な一面をよく反映している。馬琴の『花釵児』には、作者が異国の話を積極的に学ぶ姿勢やその豊かな創作力、巧妙な筆致が表れている。仙果の『入子枕』は、全体的構成から文章の表現に至るまで高い完成度を持ち、李漁作品の翻案の一つの頂点であるとも考えられる。柳浪の『絵姿』は、新たなメディア形式からの影響や、新聞連載と戯曲の特徴が一致することを示している。これらの改作はそれぞれ独自の価値を有しており、李漁作品の受容や日中文学交流の一側面を反映している。

目まぐるしく変化する歴史環境は多様な社会文化を作り、また多様な思想や価値観にも影響を及ぼした。文学は鏡の如く、その時代の様相や作者の複雑な考え方を映し出す。本論文では、李漁の戯曲小説及びその改作における作意や特徴について論究した。李漁の作品は、時代や国境を越えて多くの人々に愛読されてきただけでなく、様々な作者の手を経て多様な形で再生され、新たな生命力を得続けてきたのである。