本論文は、西田哲学と三木の思想との間にある相違に注目し、両者を対比的に検討することを通じて、日本近代哲学・思想の中で「個人」が「社会」や世界の形成に対して如何に位置付けられていたのか、つまり日本近代哲学・思想における「個人」像の一端を明らかにすることを主たる目的としている。

第一章では、三木の「形成的世界の形成的要素」論が、個としての人間と社会との相互形成関係を主として論じた上で、その形成関係を媒介とすることで人間と世界との関係性を指し示すものであることを明らかにする。すなわち、西田哲学においては自己の形成と世界の形成とが「即」という語で結ばれているのに対して、三木の論理においては個としての人間と世界とを媒介する「社会」の形成が重視されていることの意義と意味を検討していくことになる。

第一節の考察は、西田の「創造的世界の創造的要素」論においては、人間による形成と「創造的世界」の形成とが相即する形で捉えられているのに対して、三木の「形成的世界の形成的要素」論は、人間と世界との間の媒介項として環境や社会の形成を差し挟むことで、人間による形成的な行為から世界の形成を論じていることを明らかにしている。つまり、三木の思想の特徴を媒介性という点に見出していくことになる。

第二節においては、三木が世の中や世間という語によって表される領域をもって「閉じた社会」と呼んでおり、その「閉じた社会」における「ひと」は「他と連続的」なあり様をしている存在とされていることを、まず明らかにしている。その上で、三木は「閉じた社会」の考察のみでは社会のあり様を十全に捉えたことにはならないと考えていることを示し、第三節における「開いた社会」についての考察への導入としている。

第三節においては、三木が論じる「開いた社会」のあり様を把握していくことになる。この節における考察により、三木の「開いた社会」についての思想は「私と汝」論の形をとって展開されていることがまず確認される。そして三木の「私と汝」が、他者との出会いにおいてはじめて相手が「汝」として現れ、その「汝」によって意識が自己へと回折することで「ひと」としての日常から「私」が析出されるという事態を論じたものであることが明らかとなる。

第四節の考察は、第一章のまとめとして、一方では「種」である「閉じた社会」という側面で「個」である人間による形成と関係させながら、他方では「類」である「開いた社会」という側面で「世界」の形成とのつながりにおいて捉えるというように、社会という一語に両様の含みを持たせてその矛盾を介することによって、三木は彼の「形成的世界の形成的要素」論において、人間による形成と世界の形成とを連絡させて描き出していることが示されることになる。

 

第二章の考察は、「純粋経験」の思想から「場所」の思想へと至る初期から中期の西田哲学が、無限に自己展開していく「自覚の体系」の論理化を目指したものであることを示すことになる。この章における考察は西田哲学の特徴が「自発自展する思想と文体」という点に存在することを明らかにしていくが、これは第一章で明らかにされた三木の思想における「社会」の媒介の重視という特徴と対比するに際して重要となるものである。

第一節においてまず、西田が哲学として表現しようとしているところのものを理解するためには、西田の経験を外部から導入するに先立って、また、西田哲学の性格を「東洋的「無の論理」」や「宗教的自覚の論理」 と規定する手前で立ち止まって、まず西田の叙述に内在する形で「真の無」や「絶対の無」をはじめとする一つ一つの概念の意味を問うていく必要があることを提示している。

第二節では、西田の思想が、「自己の中に自己を写す」働きが自己言及的に作用して無限に自己展開していくという特徴を有していることを明らかにし、それを「自発自展する思想」という観点から論じていくことになる。

第二節における検討をうけて、第三節では、西田哲学における論理や文体が、言語による把捉を不断に逃れゆく「自発自展する思想」を捉えるための「自発自展する文体」として特徴付けられることを明らかにしている。

第二章の結論となる第四節は、「自発自展する思想と文体」という特徴を有する西田哲学を現代において論じるという営み自体のあるべきあり様について考察するものとなっている。

 

第三章では、1930年代の西田の論考を中心的に検討することを通じて、まず西田の歴史論の論理構制とその問題性を示した上で、その歴史論と「私と汝」論との交点を跡付けていく。ついで、西田の論考において「真の我」「真の自己」が「創造的世界の創造的要素」として捉えられているそのゆえんを明らかにし、最終的に、西田の哲学が「人生の悲哀」と深く結び付いたものであることを示すことになる。

 第一節においてまず、西田の「創造的世界の創造的要素」論が本来的に歴史論とは結び付きがたいものでありながら、それでもなお歴史論と結び付けながら展開されているという問題を指摘する。

 第一節を受けて展開される第二節は、西田の歴史論が「永遠の今の自己限定の立場」から展開されていることの問題性を明らかにしていくことを主眼としている。

 ついで、第三節では、西田の歴史論が「私と汝」論と結び付きながら展開されていることを明らかにし、西田の歴史論の論理構制を解き明かしていく。

 第四節における考察は、西田が、互いに非連続的で絶対に他なる存在である「私」と「汝」が出会うことで「非連続の連続」としての時が成立し、「過ぎ去った汝としての過去」と「現在の私」が相逢うことにおいて歴史が成立すると考えていることを明らかにする。すなわち、西田は互いに絶対に他なるものである「私」と「汝」がそれでもなお相逢うということの内に歴史の成立の可能性を見出している、ということが明らかとなる。

 第五節においては、世界を語ることが自己を語ることであり、自己の行為を語ることがとりもなおさず世界の創造を語ることになるという発想のもとに西田哲学が展開されていることがまず示される。ついで、生命の極限に立つ時のみ真に「人間的」な「存在」であると捉えられているからこそ、弛緩せずに創造的であり続けることが人間に求められることになるという、西田哲学における「当為」のあり様が解き明かされることになる。

 第三章のまとめとなる第六節は、西田の歴史論と「私と汝」論が根柢において結び付いていることをまず明らかにする。つまり西田は、「永遠の今」や「絶対現在」から時が自己限定し歴史が成立していく契機を、互いに絶対に他なるものである私と汝がそれでもなお相逢うことの内に求めているのであり、この構想は死にさえも意味を見出そうとする西田の死生観に裏打ちされたものであることが明らかとなる。

 

第四章における考察は、三木の歴史論と社会論の検討を通じて、三木の思想が一貫して「人間学」という主題を扱うものであったことを示していくことになる。この章における考察により、『哲学的人間学』『哲学入門』『構想力の論理』などの著作の中で示されている三木の後期思想が、「主体」としての人間のあり様を論じるものである一方で、社会の独立をも基礎付けてしまう危険性を含んだものであったことが確認される。そして最終的に、三木の「個人」と「社会」に関する思想と死生観との結び付きが示されることになる。

第一節においてまず、三木の社会論が、人間の独立性を重視するものである一方で、社会の独立をも導いてしまう危険性を含むものであったことが確認される。

第二節では、論文「人間学のマルクス的形態」の読解を通じて、三木の思想が「人間学」に立脚しながら成立しているものであることを明らかにする。ついで、マルクス研究を通じて三木が社会論や歴史論を扱い得る論理を獲得していく過程を跡付けることになる。

第三節における考察は、処女作『パスカルに於ける人間の研究』から『歴史哲学』へといたるまでの三木の思想を検討することによって、三木の思想における「人間学」という主題の一貫性を確認し、三木の歴史論の論理構制を把握していくことになる。

第四節における考察は、三木の「人間学」を「主体論」という観点から検討することを通じて、三木の思想における「責任」のあり様を捉えることを主眼としている。

第五節においては、三木の思想が社会の独立をも導いてしまうその所以を把握するために、『構想力の論理』の中に見られる「自然の技術」「自然の構想力」についての議論を検討している。この節における考察により、三木の「形成的世界の形成的要素」論と「構想力の論理」との結び付きが解明されることになる。

最終第六節における考察は、三木の遺稿「親鸞」が、信仰の告白として書かれたものではなく、三木が一貫して主題としてきた「人間学」を論じる哲学的著作であることを明らかにし、最終的に、三木の個人・社会・世界に関する思想と死生観との関係を提示することになる。