本論文は、フランスの思想家ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard, 1884-1962)が論じた時間に関する議論を手掛かりとして、彼の思想全体を読み直す試みである。バシュラールは科学を主題とした認識論、および詩的イメージを論じた詩学において独創的な主張を展開した思想家と見なされている。しかし、これまであまり注目されることはなかったが、バシュラールは1930年代に時間を主題としたいくつかの論考を残している。具体的には、1932年の『瞬間の直観』および1936年の『持続の弁証法』の二著作であり、これ以外にも、1939年の論文「詩的直観と形而上学的直観」、1937年5月にフランス哲学界でなされた口頭発表「時間の連続性と複数性」が時間を主題としている。本論文はこれらの時間をめぐる論考に着目しつつ彼の思想全体を読み直すことで、新たなバシュラール像を示すことを目的としている。

本論文が明らかにしたことは、大きく言って二点ある。

一つはバシュラールの時間に関する議論が、1930年代という彼のキャリアの初期に集中し、かつ分量としても20冊を超える彼の全著作の中で決して大きな比重を占めるものではないにも関わらず、実は認識論と詩学のそれぞれを、晩年にいたるまで強く方向づけた、という点である。時間をめぐる議論に着目しつつ、バシュラールのそれ以外の議論を論じた先行研究としては、マリボンヌ・ペロの著作(Maryvonne Perrot, Bachelard et la poétique du temps, Peter Lang, 2000.)が存在するが、この著作はそのタイトルからも読み取れるように、もっぱら時間をめぐる議論と詩学との関係を論じている。本論文は詩学のみならず認識論においても、時間をめぐる議論が重要な役割を果たしていたことを示す点で、これまでになかった論点を提示している。

第二に本論文は、認識論、詩学という二つの領域それぞれを、時間に関する議論とのかかわりにおいて読み解くことで、バシュラール思想の根底をなす主張を明らかにした。これまでのバシュラール研究においては、科学と詩的イメージという彼の二つの中心的主題を併せて考慮しつつ、バシュラールの思想全体をどのように捉えるかが、常に問題となってきた。先行研究では、それぞれの論者が独自の立場からバシュラール思想の全体像を示そうと試みているが、それらは認識論ならびに詩学の外にまで視野を広げることがなかった。これに対し、本研究では時間をめぐる議論に着目し、そこにバシュラールの思想の根底を貫く着想を見出すことで、バシュラールの思想全体を貫く論点を二点、指摘し得た。一つは「瞬間」概念に代表される、切断されたもの、否定されたもののなかにこそ創造性が見出せる、という主張である。この主張は認識論においては数をめぐる議論として、詩学においては言語をめぐる議論として展開される。もう一つは「弁証法」概念に代表される、切断されたもの、否定されたもの同士の関係と、それによって生まれる創造性への着眼である。この着眼は、認識論においては理論と実験との関係、および科学の諸領域間の関係をめぐる議論の中に、詩学においては詩的イメージの伝達をめぐる議論の中に認められる。さらに言えばバシュラールの文章のうちには、認識論と詩学との関係そのものを「弁証法」的関係として読み取ることを許容する箇所をも、見出すことができる。

本論文は、三部八章から構成されており、第一部ならびに第二部が二つの章に、第三部が四つの章に、それぞれ分かたれる。第一部では1949年までの認識論を、第二部では1948年以前の詩学をとりあげ、それぞれに時間をめぐる議論がいかにかかわっているかを考察し、両者が「瞬間」概念との密接な関係のもとに展開されていることを確認する。第三部では1948年以降の詩学と1949年以降の認識論を、それぞれ時間をめぐる議論に照らして検討し、時間をめぐるバシュラールの議論における、もう一つの中心的概念である「弁証法」概念が詩学および認識論の中で演じた役割を考察する。

第一章ではバシュラールの時間に関する議論をとりあげ、そこでの主な主張を確認する。バシュラールは時間をめぐる議論において、時間の本質を「持続」に求めるベルクソンに異を唱え、時間の本質を「瞬間」に求めるガストン・ルプネルに賛同する。ただし、ベルクソンに対するバシュラールの反論が、その論拠として「瞬間」においてのみ創造性が可能になることを指摘する点からも伺えるように、ベルクソンの議論の誤読によって成り立っている面があり、一見するとバシュラールが不可解な主張を行っているかのようにも見える。このような主張がなぜなされたのかを、第二章では認識論にまで視野を広げて考察する。このとき、科学に対する批判的態度を背景に持つベルクソンの時間論に対し、多少の無理をしてでもバシュラールが反対しなければならなかった理由が見えてくる。時間の問題を論じる以前から認識論を展開していた彼にとって、科学こそが真正な認識方法であるということは、譲ることのできない前提だったのである。また第二章では、時間をめぐる議論が認識論と連動していることもあわせて確認する。認識論的切断、実験への理論負荷性、認識論的障害といったバシュラールの認識論の主要な概念は時間をめぐる議論と論点を多く共有しており、しかもそれら概念は、実は時間をめぐる議論が活発になる1930年代を境として、一層重んじられるようになっているのである。

第三章では1938年に出版された『火の精神分析』を中心に、詩的イメージをめぐる初期の議論を検討する。一連の考察を通じて、時間をめぐる議論が詩的イメージを論じるそれを動機付けていること、時間をめぐる議論が媒介となって詩学と認識論とが関係づけられたこと、さらには詩的イメージをめぐるバシュラール独自の議論が認識論における「認識論的障害」概念にその根を持っていることが明らかとなる。

とはいえ詩的イメージは、認識における障害として否定的にのみ捉えられるわけではない。第四章では、詩的イメージをめぐるバシュラールの議論が徐々に変化し、彼が次第にイメージの創造性に着目するようになる過程を追う。この変化の要因は、時間をめぐる議論の中で、当初「持続」を生み出すものとされていた芸術が、むしろ「瞬間」と関連付けて論じられるようになったことにある。これによって芸術は、「瞬間」概念がもつ創造性と関連付けられ、かねてより「瞬間」概念と関連付けられていた創造的な科学的認識にも比肩するものとしての位置づけを得る。ここに至って「瞬間」概念が認識論のみならず詩学においても重要な役割を演じることになる。この点に関して第四節では、詩学における「言語」の問題と科学における「数」の問題とをとりあげつつ論じる。

第五章では、1949年以降の認識論をそれ以前の認識論と比較し、49年以降は認識論においても、従来より詩的イメージをめぐる議論において重視されていた「物質」概念が重要な役割を論じるようになり、それに伴って科学における実験、観察の重要性が増したことを指摘する。これによって理論と実験の関係がもつ「弁証法」的性質がより強調されるに至ったことを確認する。

第六章では、バシュラールの「弁証法」概念を改めて考察し、認識論における「弁証法」が「論争」を通じた新しいものの創造を意味し、詩学における「弁証法」が異なるものの「共存」による創造性の発揮を意味することを確認したうえで、それぞれが時間をめぐる議論における「弁証法」の議論に淵源することを確認する。さらにまた認識論と詩学という二つの領域の関係も、時に「弁証法」的関係として示唆されていることを示す。

第七章では1948年以降の詩学を検討する。この時期にバシュラールは、以後は現象学に依拠して詩的イメージを論じると宣言し、いわゆる「現象学的転回」を果たす。本章ではこの「現象学」の内実を考察し、認識の主体による積極的な関与に際して、意識に表れるものへの注目であるという点において、認識論の中で論じられる現象学とも論点を共有することを確認する。

第八章では、そのような内実をもつ現象学に依拠してバシュラールが詩的イメージをどのように論じたかを考察し、詩的イメージの伝達の問題への彼の関心が「弁証法」概念と結びついていることを指摘する。現象学に依拠した詩学においてバシュラールは、人間を孤独でありながら向上する意欲を持った存在として論じる。この見解は時間をめぐる議論における「瞬間」概念、すなわち孤独でありながら創造性をもった時間としての「瞬間」概念の延長線上にある。それゆえ時間論において「瞬間」が単なる孤独にとどまらず、「弁証法」的関係を生み出すものとして論じられていたように、晩年の詩学においても孤独を超える契機への着眼が前景化する。そのような中で詩的イメージの伝達の問題がバシュラールにとって重要となったのである。時間論において「未来への差し伸べ」として語られる、「瞬間」を超える契機は、現象学に依拠した詩学においては詩的イメージを現象学的に捉えようとする態度、すなわち主体が積極的にイメージにかかわる態度として論じられる。ここには孤独な「瞬間」を超える「弁証法」的関係を読み取ることができ、それが人間存在そのものの在り方として論じられていることがわかる。

以上のようにバシュラールの時間をめぐる議論は、それが論じられた1930年代以降の議論に対しても、土台となる重要な論点を提供している。時間をめぐる議論に着目しつつ、認識論と詩学を読み直すことで、バシュラールの思想全体を貫く根本的な着想を明るみにすることができる。時間をめぐる議論の中で提示された「瞬間」と「弁証法」の各概念は、詩学や認識論といった領域の別を超えて、人間存在の在り方そのものにかかわる着眼を内包していたのである。