近世天台宗寺院の存立構造

小松 愛子

本論文は近世都市・城下町の内外に立地する天台宗寺院を素材として、寺院を磁極として編成・統合される社会=空間(寺院社会)の存立構造を考察したものである。

近世期の天台宗寺院は、幕藩制国家を宗教的に護持するという役割を担った。将軍徳川家康は、死後、天台宗の山王一実神道に則り東照大権現として神格化されたが、東照大権現は、自ら作りあげた国家に安寧を、民衆に対しては現世利益を満たす神として、幕藩領主の国家支配を正当化する神として存在したため、天台宗寺院はこのイデオロギー装置という性格を帯びることになった。それゆえに、幕藩領主は天台宗寺院に対し、宗教的権威を帯びさせる必要性から輪王寺宮門跡を新設し、他の門跡、仏教諸宗派に比しても抜群の権力と財力を付与した。このように、近世天台宗寺院は幕藩制国家にとって必要不可欠な役割をもっていたが、寺院や教団内部の組織構造や運営、経営などについてはいまだ未解明な点が多い。

そこで、本論文では寺院社会の中核部分である寺院内部の組織構造について、運営主体である僧侶身分集団のありようや、僧侶身分集団を編成する天台宗教団構造にまでふみこんで考察した。さらに、寺院運営を経済的に支えた寺院外部社会との関係については、広大な寺領の社会=空間構造や、武家・町人からの奉納金などを原資とした運用金(名目金)の分析、日常物資の納入や堂社造営、修復などの実務を担った出入商職人の把握など、寺院がどのように再生産を可能とし、存立しえたかという点について多面的な検討を加えた。

本論文はⅡ部だてとなっており、Ⅰ部では巨大城下町江戸の内部に位置する浅草寺を、Ⅱ部では譜代長岡藩牧野家の城下町長岡に隣接する安禅寺をとりあげた。この二寺院はどちらも本山東叡山寛永寺の直末寺という位置づけであるが、浅草寺別当は輪王寺宮門跡兼帯、安禅寺も輪王寺宮門跡御抱、執当兼帯というように、どちらも輪王寺宮門跡の御内組織が運営、経営に深く関わる寺院である。さらに立地の異なるこの両寺院をとりあげることで、幕藩権力が形成する城下町との相互関係の違いや、寺院領主の領域支配の特質についても合せて論じた。

 

Ⅰ部1章は、浅草寺別当職が輪王寺宮門跡の兼帯となった元文五(1740)年以降について、本坊伝法院と本堂の運営を社会=空間構造から明らかにし、輪王寺宮門跡の代理として本坊伝法院に在住する別当代や、御納戸などの輪王寺宮門跡の御内組織のありようと、浅草寺寺院組織の実体的基盤と評価される子院三四院(衆徒、寺僧)の経歴とその職務について検討した。2章は東京大学総合図書館に所蔵される浅草寺代官本間役所が編纂した史料六点を紹介したもので、これらを編纂した代官をはじめとする浅草寺に詰める俗役人の職掌を検討し、合わせてこれら史料が文政8(1825)年の幕府・学問所地誌調方出役による地誌調を契機に作成されたことを指摘した。3章は浅草寺本坊伝法院に詰めた御納戸、吟味役という輪王寺宮門跡御内組織の記録を通して、本坊に出入りする商職人と、彼らが納入した商品を網羅的にとりあげて、消費を主とする寺院がどのように必要な生活物資などを調達していたかをみた。4章は浅草寺末寺浄光寺を題材とし、将軍家鷹場御膳所をつとめた浄光寺の寺院再建の過程と、鷹場御膳所という都市周縁空間が、都市民にとってどのように受容されていたかをみた。

Ⅱ部5章は安禅寺の基礎的把握として、絵図史料を合わせて用いながら、安禅寺領の社会=空間構造の把握を行った。6章は、宝永年間以降100年以上にわたり輪王寺宮門跡直抱えで住職不在であった安禅寺に対し、輪王寺宮門跡御内仏懸りの一行院が、輪王寺宮門跡の内意を根拠に安禅寺住職として下向してきた一件(一行院不帰依一件)を通して、住職=寺院領主と一山や領民、地域社会との関係や、この一件を収束させるために寛永寺執当役所が果たした役割と機能について検討した。7章は安禅寺領の領民と隣接する城下町長岡の町人が信濃川通船の特権をめぐって幕府評定所で争った一件から、寺領と譜代大名藩領双方の利害とこれを仲裁する幕府評定所の統治(問題解決)方法について論じた。

 補論1は、寺院の収入を考える上で重要な運用(料物金貸付)について検討したもので、寺社奉行所の一件記録から、弘前藩津軽家が寛永寺衆徒養寿院に借用し返済が滞った一件を紹介し、名目金返済に関わる特殊な仕法を明らかにした。また、断片的にではあるが、明治初年段階の寛永寺一山衆徒の収入と、寛永寺で行われた料物金貸付について検討した。補論2では、城下町に隣接する事例の一つとして川越喜多院をとりあげたもので、寺院運営を行う僧侶の身分属性、経歴を明らかにし、喜多院一山にとどまらない僧侶の生き方を具体的に明らかにした。

 

以上が本論文の全体像である。素材としては浅草寺、安禅寺などと限定的であるが、天台宗本山組織の頂点に位置する輪王寺宮門跡とその御内組織について合せて検討することで、僧侶身分や個々の寺院について近世天台宗教団の全体構造から論じた。一山寺院(満山)を運営する僧侶身分については、学頭・別当と子院(衆徒・寺僧)をつとめた僧侶間に身分内階層差があることを明らかにし、これが本山や幕府による寺院統制に利用されていた点を指摘した。また、外部社会との関係についても、浅草寺や安禅寺の日常生活を支える諸関係が所領の町人・百姓のみに限定されず、より広範囲に展開していたことを指摘し、この背景について門跡が付与する身分特権があったことなどを指摘し、合せて近世天台宗寺院の特質にふれた。 

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