苦熱・納涼・生命の汪溢―先秦から唐代の詩賦に見る「夏」の描写の変遷―

髙芝 麻子

 本論は、『詩經』から唐詩にいたる夏の詩賦について、そこに見いだせる季節感を論じるものである。

中国の古典詩歌の季節感を日本におけるそれと比較するとき、しばしば指摘されるものに、日本の俳句には季語があり、勅撰和歌集の冒頭には四季の部立てがあるが、中国には季語がなく、また季節の部立てはあっても重視されていないという点がある。確かに日本では、和歌や俳句を四季で分類することは非常に一般的であり、その発想は『和漢朗詠集』をはじめとして、日本で編まれた漢詩集にも援用されている。

中国では四季による詩歌の分類が重視されてこなかった理由として、作品数に不均衡のあることが指摘されている。春秋を詠う作品に対し、夏冬を詠う作品が極端に少なく、詩集の構成としては適切さを欠くというのである。しかし『古今和歌集』の四季の部立てに収められた作品三百四十二首の内訳は、春歌134首(39%)、夏歌34首(10%)、秋歌145首(42%)、冬歌 29首( 8%)であり、春秋が82%、夏冬が18%となっている。中国で編まれた数少ない季寄せ風の詞華集『古今歳時雜詠』(宋代に編纂)では、春秋が81%、夏冬が19%であり、その比率は日中でほとんど変わらない。この数字からは、日本では春秋の偏重がなかったために、四季の部立てが盛行したとは言いがたい。

中国古典詩歌に見える季節感の研究は、すでに多くの蓄積がある。秋を悲しむ「悲秋」の情は『楚辭』「九辯」に始まり、行く春を惜しむ「惜春」の情は六朝後期に詩歌の主題になったと言われる。春秋の詩的心情については、詳細な研究がすでにある一方で、夏と冬についての研究はほとんどなされていないのが現状である。松浦友久は「中国古典詩における『春秋』と『夏冬』」において、「春秋は、それ自体、より多く詩的感情を生みやすい性格を内在している」ことを指摘し、さらに中国の主要都市において「春と秋は、長い夏と冬に挟まれた短い過渡期に過ぎない」という気候的特徴に言及して、以下のように論じている。

中国の春と秋とは、まさにその短かさと、それゆえに増幅される愛惜や寂寥のゆえに、より感じやすく、より濃密な詩歌の季節となりえたのだと考えてよいであろう。

 あるいは以下のようにも述べる。

詩的季節としての夏冬について、もし強いて共通感覚を求めようとすれば、それは「苦熱」「苦暑」「毒熱」……、「苦寒」「寒苦」……といった生理的感覚に関するものだけであり……、心理・心情の次元に関する共通感覚としては、ほとんどまったく成立していない。

 すなわち、春・秋には詩的情緒が生じやすいが、夏・冬には地理的・気候的な要因から詩的情緒が生じにくく、また実際に詩的情緒と見なしえるものはほとんどない、という指摘である。

中国古典においては、夏を描く詩賦は確かに少ない。だが、そうであっても、一定数の夏の詩歌は作られてきたのであり、中国よりも、季節の変化が穏やかであると言われる日本の場合と比較して、夏の歌の比率が特に少なかったという事実はない。また中国では、動植物や自然現象と季節の関係は緩やかなものであり、ある動植物が特定の季節とだけ結びつくという発想がない。しかし中国の古典詩歌を素材として、季寄せ風の詞華集が編纂できることからも明らかなように、動植物や自然の景観に触れて、季節の情感を覚えることは、中国においても詩作のひとつの源泉であった。詩人たちが夏に向き合い、詩賦を生み出して行くとき、「傷春」「悲秋」のような形ではなかったとしても、そこには必ずや何らかの情緒があり、共有された心情があったのではないか。本論は、以上の見地から、夏を描く詩賦について、論じるものである。

 

 全体は五部および補説から成る。第一部から第四部は、『詩經』から唐詩までの夏の詩の変化を時系列順に追う。第五部では、蝉とホトトギスについて、『詩經』から唐詩(蝉については宋詩・宋詞も含む)にどのように描かれているかを、季節感を中心に検討した。また、末尾に中国の気象についての補説を附した。

 

第一部 『詩經』と『禮記』「月令」――後世への影響を中心に

 『詩經』の時代に用いられていた暦については、現代においても、定説とされるものはないため、『詩經』に見える十二ヶ月は、それぞれが旧暦の何月にあたるのか、判然としない。その点を踏まえた上で、『詩經』に見える夏に関わるであろう表現について、検討した。

(1-1)『詩經』に描かれた景物が六朝以降の詩賦の出典となる場合、それが季節に関わるものであるときには、厳密に季節を一致させようとはせず、おおよその季節感が受け継がれる形になる。

(1-2)『詩經』に共有される四季や十二ヶ月の季節感としては、その季節、その月にどのような農事を行い、どのような花が咲くかといった歳時の知識・記憶が重要な位置を占める。

(1-3)『詩經』においては、満開の花や繁茂する草木、その下の木陰、激しく鳴く蝉など、強い生命力を感じさせる盛んな景物が好んで描かれた。

(1-4)一方、『詩經』において暑熱が言及されるときには、用例は少ないものの、その暑熱は非常に恐ろしいものとして描かれていた。

 以上の四点のうち、(1-1)(1-2)については夏に限らず、四季全体について言えることである。

 

第二部 『楚辭』と漢魏詩賦――暑さへの恐怖と天からの祝福としての涼しさ

 (2-1)『楚辭』「招魂」に詠われる邸宅や、漢魏の詩賦に見られる天子の宮殿には、しばしば冬にも温かい場所と夏にも涼しい場所が対をなして描かれている。両者は陰陽のバランスを取り、世界の運行を支えるものと考えられていた。

(2-2)宮殿の描写では、夏にも涼しい場所にのみ言及し、それを尊ぶ表現も見いだせる。涼を尊いものとする心性は、戦国楚・宋玉「風賦」や建安の公宴詩などにも見いだせる。天子の催す祝宴では、涼しい風が天からの恩寵として描かれている。

(2-3)「招魂」や漢魏の詩賦からは夏の暑熱を非常に恐れる心性が窺える。夏の涼しさが尊ばれていたのは、暑熱が恐れられていたことと表裏一体の関係にある。戦国末から漢魏の時代には、寒暑に対する心情に大きな偏りが存在した。

 

第三部 六朝詩賦――納涼詩の成立と山水詩に見える夏

 六朝時期については、夏を描く詩を中心に、賦についても視野に入れて論じた。

(3-1)六朝になると、暑熱に対する恐怖心は次第に薄れて行く。暑さに苦しむ女性の姿態や、暑さの中にふと感じる一抹の涼を美しいものとして描くことに眼目を置く作品が作られるようになる。

(3-2)夏の山中の涼しさが好ましいものとして描かれるようになり、梁代になると、山中に宴して涼を得たと詠う「納涼詩」が生まれる。

(3-3)夏を描く田園詩、山水詩には、生命力溢れる景物を好ましいものとして描く作品が作られるようになる。

 六朝には暑熱への恐怖が薄れたことで、暑さの中にある美、山水の涼、真夏の光の中にある景物などを好ましいものとして描きうるようになったのである。

 

第四部 唐詩――夏の詩の多様化

 唐代においては詩を中心に論じた。

(4-1)盛唐の夏を描く詩には暑熱と格闘し、あるいは裸足や脱帽した放埒な姿で涼を満喫する、滑稽味を帯びた詩人の自画像が描かれるようになる。

(4-2)盛唐から中唐にかけて、暑中に涼を得ることが老荘思想における「靜」、あるいは仏教思想における「空」を意味する、との観念が普及する。この観念は、暑中に涼を得られる者を称揚するために、様々な形で言及されている。

(4-3)唐代においても夏の景物は明るく好ましい感情を喚起する一方、生命力溢れる景物の中に、大切なものの不在を見いだし、孤独感を覚えるという詩が作られるようになる。

 盛唐から中唐にかけての夏の詩の多様化は、詩人個人の日常に対する丹念な観察によって生み出されたものである。中唐に始まるとされる詩の個人化は、夏の詩においては、すでに盛唐より始まっていると言える。

 

第五部 蝉とホトトギスの季節感

 第五部では、夏と深く関わる風物である蝉とホトトギスについて、それぞれが通史的にどのような季節感を備えて詩賦に描かれているのかを論じた。

(5-1)蝉について:従来の研究では、蝉は秋に鳴き、ものさびしい情緒を表すものとされてきた。本論は、漢代から宋代までの詩の中で、① 夏に鳴いて、夏らしさを感じさせる蝉、② 夏に鳴いて、秋の訪れを予感させる蝉、③ 秋に鳴いて、秋の情緒を喚起する蝉、の三者がどのように表れているかを検討した。その結果、宋斉梁代、及び中唐以降の詩歌には、活力に溢れた蝉の声が夏の景物の一つとして描かれていることが明らかになった。

(5-2)ホトトギスについて:『楚辭』「離騒」に見える「鶗鴂」という鳥は、ホトトギスかモズの異称であろうとされているが、いずれであるかについては議論が百出している。六朝と唐の詩において、「鶗鴂」・ホトトギス・モズが、どのような季節感をもって描かれているかを検討した。モズはほぼ一貫して春の鳥であるのに対し、ホトトギスは唐になると、秋の鳥としても描かれ、鳴き声が草木や花を枯らすという「鶗鴂」のイメージと結びつき、春の終わりの鳥としても描かれた。

 

補説 古代中国の気象状況

 中国の気候の変遷について、春秋戦国から唐までを中心に、先行研究の成果をまとめ、また、現在の各都市間の気候についても整理し、そのデータを補説として掲載した。

 

 以上の検討から、夏の詩には、苦熱・納涼・生命の汪溢という三つの大きな主題があり、それが時代を追って変遷していることが明らかになった。そして、唐代以降には、その変遷を踏まえて、夏の詩に描かれる主題はさらに多様化することとなる。

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