日本統治期台湾文化人による新感覚派の受容―横光利一と楊逵・巫永福・翁鬧・劉吶鷗

謝 惠貞

  日本統治期台湾(1895~1945)における近代文学の最大の問題とは、言語的アイデンティティであったと言えよう。母語としての台湾語、「祖国」中国の近代的白話文、「宗主国」日本の日本語をどのように選択し駆使するかということは、1937年に新聞漢文欄が廃止され、公の場での日本語の全面的使用を余儀なくされる以前は、絶え間なく議論されていた問題である。

 

そうしたなかで、繰り広げられたのが、いわゆる「郷土文学論争」「台湾話文運動」である。この論争の核心は、郷土文学のテーマと題材、使用言語を「台湾話文」または「中国白話文」に定めるべきか否か、そして「台湾語」の文字化などであった。しかし、その文字化が困難であるため、創作言語が問題になる台湾語を母語とする台湾人は、中国語と日本語を取り入れざるをえなかった。1930年代からは、日本語による展開が徐々に主流となっていく。日本語を介して、文学を志望する台湾の青年たちは、1920-30年代の日本「内地」文壇が盛んに移植していたジョイスら欧米のモダニズム文学風潮に注目するようになった。横光利一を始めとする新感覚派は、その風潮の先頭を切り、日本近代文学における新しい文体を作り出した。

 

 ところが、先行研究には、台湾における横光利一の受容を総合的に論じたものがなく、個別の受容に関する先行研究の検討を主とした。本稿は楊逵の文芸観や、これまで漠然とした影響関係が指摘されるに留まっていた巫永福・翁鬧・劉吶鷗のテクストと、横光利一作品とを詳細に交差的に比較することにより、明らかな受容が認められる作品を摘出した。

 

それらの作品について、本稿では、「植民地的擬態(Colonial mimicry)」の概念を念頭に置きつつ、植民地に生まれたモダニズム作品が、いかに創造的に日本語及び日本語文学を受容し、民族的主体性を構築したのかを分析する。また、「鏡像段階(stade du miroir)」を台湾新文学の自立向上期とし、台湾人作家を日本文学の単なる複製者とは見なさず、その積極的読者として受容しテクストを再生産する作家と位置づける。さらに、台湾人作品を分析する際には、検閲制度下に置かれた植民地の状況を考慮し、語りの微妙なニュアンスが往往にして解釈を左右するため、物語論(Narratology)の分析法を用いて検討したい。

 

具体的には、楊逵の文学論や巫永福・翁鬧・劉吶鷗の小説について、それぞれの源泉となるテクストを提示し、両者を比較研究した。また、「内地」文壇と台湾文壇の時代背景を検証し、「台湾新感覚派」受容の系譜を描きだし、それぞれの作家の位置とその貢献を解明し、新しい「台湾新感覚派」が誕生する過程を論じた。

 

第一章では、1932年から1936年にかけて、台湾文壇が如何に内地の文芸復興へ関心を示したかを検討している。この時期における楊逵による横光利一「純粋小説論」への肯定的評価を『台湾新聞』などで発掘した。楊逵の『台湾新聞』における「純粋小説論」をめぐる論争への関与を通して、横光の通俗性提唱にはリアリズム的打開策があったこと、また、『台湾新文学』の創刊前後、貴司山治の実録文学に共鳴したという影響関係を見出した。

 

第二章では、これまで横光との影響関係を漠然と指摘されてきた巫永福について、彼の留学先である明治大学文芸科での横光や小林秀雄らとの師弟関係や1930年代台湾文芸グループの状況などに関する調査を通して、その日本語文体の模写から創造への過程を考察した。その際には、横光の短編「頭ならびに腹」と巫の短編「首と体」の二作における象徴的構図の類似にも注目し、従来の因習的抑圧による心理的分裂という解釈に加えて、帝国の中心を彷徨う植民地出身者という周縁者のアイデンティティ危機という解釈を新たに提示した。民族感情による「反帝国・反封建」といった思想により、日本新感覚派との岐路を自ら探りあてた巫は、本作に帝国主義に対する抵抗をも含めていたともいえる。

 

第三章では、前章を受けて、作家としての姿勢にも係わる巫の「異質性」を、横光利一への関心と小説表現に関連させて論じる。地主階級出身であることと、検閲が厳しさを増す1930年代の台湾を背景に、階級解放を表現する際、いかに書くかということが、巫にとって大きな課題となっていた。奴隷の「査某嫺」の内面描写を求める時代の要請に対して、巫は1936年に「眠い春杏」で、横光の新心理主義作品「時間」より物語内容としての「意識」を発見し、「意識そのもの」の描写を実践した。「査某嫺」の内面描写を求める同時代文脈に対して、同作は「夢現(ゆめうつつ)」描写を通して三人称と一人称の境界を越境し、査某嫺の主体回復を描き出し、更に台湾人日本語作家としての「主体性」の投影にも成功している。

 

 第四章では、まず翁鬧の一人称恋愛作品を新感覚派と評する先行研究の誤認を指摘した。次に、同時代評と翁鬧の横光への関心を探りつつ、新感覚派と無縁に考えられている台湾色の濃い物語群の趣旨は、個人の運命は測り知れないものだといったところにある点を考察した。また、1935年に発表された「羅漢脚」を横光利一の「笑はれた子」と対照させ、狭義と広義の新感覚派を定義することによって、翁鬧の台湾郷土描写作品は狭義の新感覚派ではなく、それ以前の志賀直哉と強い影響関係を見てとることを指摘した。さらに、単なる写実とは異なる「描写の具象性」を主張する翁鬧は、台湾貧困家庭の描写に、メトニミーとメタファーの効果を同時に作用させようとしたのだが、同時代論者にとってはリアリズムの実践としての成否が焦点となり、メタファーの意味が看過され、評価が偏ってしまったことも指摘した。

 

第五章では、研究対象を1920年代から30年代までの上海に移し、文学・映画活動に従事した劉吶鷗における新感覚派受容を取り上げる。彼は留学中、新感覚派の新しい文体と描写対象に目覚め、日本短編小説集『色情文化』の翻訳を手掛けた。また、劉は横光の「皮膚」の模作として「遊戯」を戦略的に執筆し、創作集『都市風景線』を成功裡に出版していった。その過程において劉は三つの翻訳戦略を実践した。まず一つ目は、福建語調の中国白話文を逆手に取って『色情文化』を翻訳し、独自の小説文体を作り上げた形での受容である。二つ目は、劉が日本の新感覚派と新興芸術派を混同させた都市風俗描写の小説を編訳することができたのは、水沫書店の資本提供者でもある所以である。三つ目は、日本語の解さぬ読者を相手にしているからこそ、横光「皮膚」を模作し第一作「游戯」の創出に至る過程において、読者をその翻訳文体という空間へと誘導し、その一方で、この新文体の語り手の主体を中国男性に定めることにより、上海主流読者の信頼を得、権威の創造に成功するに至ったということである。当時の「台湾文壇」にはこの「三つの書き換え」という翻訳戦略を実践できる環境は未だ備わっていなかったのである。

 

終章では、横光利一の文学論と表現技法の、楊逵、巫永福、翁鬧、劉吶鷗による受容を総合的に検討し、類似点と相異点(定義の誤謬)を指摘し、新たな定義と「台湾新感覚派」像を提起する。

 

まず三つの共通点が挙げられる。一つは、「影響の不安」はさほど強くないことである。なぜなら、台湾の日本語作家は常に、二重のスタンスと二重の読者を予想しており、先行作者の横光と同じ土俵に立とうという姿勢が殆ど皆無であった点である。

「台湾新感覚派」の場合は、日本語という「借り物」が自明の前提であったため、不安がある程度解消されており、またそれのみならず、横光の権威を流用する態度さえ取っている。二つ目は、横光の、初期の志賀直哉に影響された文体や、新感覚派時代の「象徴」手法、「純粋小説論」、「都市モダン風俗」について、台湾人作家はそれぞれ表現法や文学観として継承したが、民族意識による「植民地的擬態」といった意識の作用により、描写対象の多くは作者の存在する環境の中で描かれたものであり、むしろ「どう描くか」を追求する姿勢こそが表現を変容させたといえよう。三つ目は、読者が異なれば、模作作品の評価が大きく変わるということだ。つまり原作との間の間テクスト性がどのように読者に意識されているかが評価を左右するのである。

 

一方、相異点、または先行研究における定義の誤謬として二点を指摘した。まず、台湾人による新感覚派を考えるには、中国新感覚派研究による定義の先入観を排し、元祖の日本新感覚派、特に横光利一に焦点を絞ることがきわめて重要である。先行研究は専ら中国新感覚派が都会文学に属すという分析に終始し、あたかも日本新感覚派も都会しか描かない流派だという倒錯を生み出した。台湾人による受容の視角からみれば、それは一つの様相に過ぎまい。むしろ、横光利一を主に受容したという視点に立ち、受容側が、いかに形式と内容の関係性をずらしていったかに注目すべきであろう。

 

次に、台湾人作家の創作時の横光に対する認識を確認する必要がある。模作対象は創作以前の作品だと考える必要がある。横光は1930年9月「機械」を境に新心理主義に転換しており、劉吶鷗の1930年4月創作集『都市風景線』はそのスタイルとは無縁なはずである。中国新感覚派の技法はすべて劉吶鷗の日本新感覚派の紹介によるものだ、と拡大解釈する誤謬が時々見受けられるのである。

1930年代の台湾の日本語作家たちは、「借り物」の日本語を逆手に取り、受容者から発信者へと転身することにより、自らの民族的視点に立って郷土社会と下層民を描写するという台湾人独自の文学観を確立し、クレオール性に富む新たな「台湾新感覚派」系譜を形成していったのである。

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