蔡元培の翻訳活動を通しての思想形成に関する一考察

佐藤 隆

  本論文は題目が示すように近代中国の思想家であり、政治家であり、教育家である蔡元培の思想形成がいかにしてなされたかを考察するものである。特にそれを彼の翻訳活動という学問的営為によって探ろうとする。

蔡元培は中国近代史、特に思想史を語る上で欠くべからざる人物である。しかしながら、他の同時期の思想家たちと比べて、彼を対象とする先行研究は少ない。光復会の会長、中華民国初代教育総長、北京大学校長、五四新文化運動のリーダーの一人などのような活動面の事項を羅列することはできても、思想家としての蔡元培は具体的にはこれまであまり検討されてこなかったきらいがある。

その検討内容についても、蔡の思想の個々のテーマについて、たとえば美学だけ、教育事業だけ、アナーキズムだけ、リベラリズムだけなどに焦点をあてて語られることがほとんどであり、その思想の全体像は見えにくいものだった。

蔡は生涯三つの本を翻訳している。ともに辛亥革命以前のものである。それはケーベル『哲学要領』、井上円了『妖怪学講義』、パウルゼン『倫理学原理』であり、この三書には共通して神秘主義や超現象世界への志向の考え等が濃厚に書かれている。したがって、この三書の叙述に沿って、蔡の思想的営為を実証的にとらえて、蔡の思想基底にあるものを論じたのが本論文である。

また、本論文が意図するものの一つに日本に受容された西洋学がさらに中国にわたるケースを、蔡という中国知識人の事例で検討したいということがある。近代中国の典型的な西洋学受容は日本経由のものであるが、そのパターンにも種々のケースがある。蔡には日本留学の経験はなく、むしろ後年ドイツに留学しドイツ人教師に直接西洋哲学等を学んだ。にもかかわらず、実際の思想作品として残っているのは、そのほとんどが日本経由の西洋学を書き表わしたものである。ドイツ留学以前に日本語という手段によって、日本で翻訳された西洋学の書を通して、彼の新しい学問が基本的に形作られたのである。そのスタイルは、同世代の厳復、魯迅、梁啓超らと異なる。蔡の西洋学受容のケースを明らかにすることは中国近代史、特にその思想史研究において幾分かの意義がある。

 以上の問題関心にもとづき、本論文では、第一章を「ケーベル『哲学要領』の翻訳」、第二章を「井上円了『妖怪学講義』の翻訳」、第三章を「パウルゼン『倫理学原理』の翻訳」と題して、蔡元培が日本語から中国語に翻訳したこれらの書物について、原著と比較しながらその内容や表現を分析し、その行為が蔡元培の思想的営為においていかなる位置を占めるものなのかを考察した。

 第一章は、帝国大学のお雇い外国人教師として西洋の哲学を紹介する授業をおこなったケーベルについて、その授業を日本人受講生が日本語でまとめて出版した『哲学要領』の中国語訳を扱う。そこでは、中国に先行して西洋哲学を大学生に向けて紹介していた日本から、哲学についての要諦を摂取しようとした経緯を明らかにした。

第二章は、日本人として「哲学」を修得した第一世代ともいうべき井上円了が、宗教や迷信について論じた『妖怪学講義』を翻訳することによって、蔡が何を意図していたのか、井上原著の意図や表現との差異にも注目しながら論じた。

第三章は、井上哲次郎の慫慂のもと、その門下生であった蟹江義丸らが日本語訳したパウルゼン『倫理学大系』を、蔡が中国語に翻訳した『倫理学原理』の分析である。パウルゼンのドイツ語原著はカント哲学の流れを汲む人物の書として19世紀末の帝国大学において教材として使用され、蟹江らの日本語訳もそうした文脈で作られた。蔡はそれを中国語に重訳することで中国の読者に対して倫理学のなんたるかを啓蒙しようとしたのである。同書は若き日の毛沢東に影響を与えたとされ、近代中国を考えるうえで重要である。また、蔡はのちにドイツに留学して現地で本格的に哲学を学ぶが、そのことが彼の後年の活動にどう作用したか(しなかったか)も併せて論じた。

そして、終章として蔡元培自身の著作である『中国倫理学史』についてその概略を述べ、以上の翻訳活動が蔡元培にとっていかなる意味をもつものであったかについて、考察を加えた。

結論として、本論文は以下のようなことを明らかにした。

まず、蔡がなぜ教育を第一優先事項として取り組んだのかという点について。その根源的動機は、蔡が中華民国建国当時教育総長の立場で提出した「新教育に対する意見」で主張している「教育たるものは現象世界に立って、実体世界にかかわるものである」との見解がその有力な答えのひとつと考える。すなわち「世間」という「現象世界」だけでなく、「出世間」して「実体世界(本体世界)」へかかわることが蔡の教育思想の根幹をなすものであるとの認識である。

また蔡がどちらかと言って変法運動に冷たく、清朝の官途を棄ててから一貫して革命運

動に従事したのは、「仏教護国論」に書かれてある「論語=君主=小乗、孟子=民権不廃君=権大乗、荘子=有民無君=実大乗」という井上円了等の哲学からヒントを得た宗教哲学的な考えがベースになっていると思われる。彼のほとんどの政治活動もこの視点から解釈可能である。

従来、リベラリストとしての蔡元培がしばしば研究対象となってきた。しかし、蔡がなぜ自由を重んじたか、なぜリベラリズムに心酔し、その提唱に怠ることがなかったかの点については、蔡の思想の深層を抉っての明確な説明が欠けていた。本論文では、現象世界から超現象世界への飛翔のための条件として自由が必須と蔡は考えたという観点から分析し、それゆえ蔡はリベラリストになったと結論付ける。そうみなすことで、彼がさらに発展して、一切の束縛を排除して自由の完璧な具現の世界たる無政府主義こそがその究極の理想となったことが論理的に説明可能となる。

蔡の神秘主義に親近する宗教思想、「出世間」を志向する思想は、蔡の翻訳作業という学問的営為に由来するものである。この超現象世界への蔡のアクセスは日本語による哲学書を緻密に蔡が読む行為、すなわち翻訳を通じて養成され、それによって彼の思想的根幹のひとつが形づくられたと考える。

 さらに、蔡の美育や美学への執着については、パウルゼンが説いていた、「吾人は至善の内容を理解すること能はず、宗教及び美術によりて譬喩的に感じ得るのみ。宗教及び美術は有限的可了解的事実を以て無限的不可了解的事実を指示するものなり」が、その基本的動機であった。つまり「無限的不可了解的事実」という超現象世界への接近のために、現象世界に存在する「有限的可了解的事実」たる芸術・美学・美育を通して「無限的不可了解的事実」を若干でも把握に努めるということである。この一点への理解なくして蔡の美学思想を理解することはできないと思われる。

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