本論文は、17世紀後半に多くのユダヤ人共同体を席巻したメシア運動のプロパガンダを担ったガザのナタンの規範思想を研究することを目的とする。メシアを自称したシャブタイ・ツヴィの名を冠してシャブタイ派運動と呼ばれるこの運動では、ナタンの思弁的な努力によって、その特異なメシア論の根幹が形成される。その背景にある出来事は、メシアであったはずのシャブタイ・ツヴィがイスラームに改宗したという事実である。しかし、カバラーの思想的文脈のなかにあって、ナタンら多くの指導的な信者にとって、このメシア棄教は単なる終末の挫折ではなかった。ナタンの思想のほとんどは、このメシア棄教に隠された秘密を解き明かすことであった。なかでも、現行の戒律や慣習が失効し、シャブタイ・ツヴィだけでなく、新たなメシアの世界に臨む信者が規範の拘束を免れることができるという反規範主義は最も重要な発想のひとつである。
 本論文では、そうしたナタンの反規範主義が実は規範への強いこだわりの上に成り立っていたことを明らかにする。その際に、ナタンの規範思想を機軸に、シャブタイ・ツヴィを追ってムスリムになったドンメ教団の信者、および多くのシャブタイ派の要素を含む規範集成『日々の歓びの書』を比較項として分析する。全体を概観するならば、①ガザのナタンの規範と反規範の相補的性質、②ドンメ教団の反規範主義、③『日々の歓びの書』の規範主義に分けることができる。それぞれの骨子は以下のとおりである。

 

①ガザのナタンの規範と反規範の相補的性質
 ナタンの規範主義の基礎をなす「修復」(ティックーニーム)と規範指導(ハンハゴート)は、いずれも16世紀にガリラヤ地方のツファットで発展したカバラー、特にイツハク・ルーリアや彼の弟子たちの形式を踏襲している。本章では、まずそれぞれについて、ルーリア派での意義を解説することから始める。シャブタイ・ツヴィがもたらす贖いに備えるために、メシア運動の初期のナタンは、懺悔の祈禱を唱えることで霊魂の浄化を行うよう人々に呼びかけた。これが1665年頃にガザで著された「修復」と呼ばれる文書群である。さらに、メシア棄教後もサロニカの弟子たちに従うべき行動や規範の細目を伝えていたことが、彼らの記録から知ることができる。いずれの文書でも常に戒律遵守が問題になっており、ナタンが罪業の修復を目的とし、一貫して規範に対する真摯な態度を実践の基盤に置いていたことが分かる。
 その一方で、ナタンはシャブタイ・ツヴィという個人の精神的な特異性に注目しながら、いくつものカバラー論考を著して、そのなかで反規範主義的な思想を打ち出していく。メシア棄教後にその傾向には慎重さが垣間見られるようになるが、困難な現実に直面してメシア論の深まりを見ることもできる。そうした変化を1665年の『大蛇(タニニーム)論』と1670年頃の『燭台(メノラー)論』を例にとりながら観察する。具体的には、ナタンが時代の遷移、律法の更新、戒律の失効を語る際に用いる霊魂転生(ギルグール)論、世界循環期(シュミトート)論、生命の樹と死の樹の概念を分析する。ただし、これらもナタンが考案したものではなく、すでにシャブタイ派以前のカバラーに由来する概念である。そこで、彼の反規範主義的な概念に見られる借用と模倣から独創を選り分けるために、霊魂転生論は16世紀の『霊魂転生の門』と『霊魂転生の書』を、世界循環期論は14世紀の『形状(テムーナー)の書』を、生命の樹と死の樹は14世紀初頭の『光輝の修復(ティクネー・ハ・ゾーハル)』と『忠実な羊飼い(ラーヤー・メヘムナ―)』を比較対象として取り上げる。
 規範主義と反規範主義の概念史を個別にたどれば、ナタンは必ずしも新しい発想を創出したとは言えない。だが、シャブタイ・ツヴィという現身のメシアがすべての文学活動の前提となり、彼の使命とその秘密を人々に訴えかけるとき、ふたつの傾向が相互補完的に機能していることが明らかになる。彼は最後までシャブタイ・ツヴィに失望することなく、しかしムスリムになった信者のように極端な道を選ぶこともない。そうした均衡状態のうえに作り上げられた規範思想は、それまでのいかなるカバラーの伝統にも見ることはできないナタンの教義の本質なのである。

 

②ドンメ教団の反規範主義とガザのナタンの影響
 シャブタイ・ツヴィに倣ってムスリムになった人々は、サロニカの半閉鎖的な集団の内部で独自のメシア論と慣習を作り上げた。本研究では、ドンメ教団と呼ばれるこの集団の教義を、主としてユダ・レヴィ・トゥーバーという18世紀のカバリストの聖書註解や聖歌から明らかにする。彼の文書のなかには、明らかにナタンの反規範主義の影響を発見することができる。しかし、霊魂転生論、世界循環期論、生命の樹と死の樹といった概念に沿って双方を比較すると、かなりの相違と歪曲が存在することが分かる。それだけでなく、ユダヤ教から離反した環境に育った彼は、もはや「修復」の祈禱やカバラーの規範指導を知らず、ナタンの規範思想の特徴である規範と反規範の相補性にはまったく関心を示さないのである。
 ドンメ教団の信者の反規範主義的な志向性は、彼らの独特な慣習にも間接的に現れている。そこで、それらのなかから、婚礼の際に行われるヘナ染めの魚(クナル・バルック)という儀式と羊の夜(レイル・ケベス)の配偶者交換を取り上げて詳細に論じることにする。前者はシャブタイ・ツヴィが行った地上に贖いを実現させるための魔術的な儀礼に由来するが、ドンメ教団のなかでは本来の意味が忘れられて日常の祭礼に組み入れられたと思われる。後者は配偶者交換の禁忌を破ることが許される日の夜に行われる放埓の儀礼である。この日には、シャブタイ・ツヴィに見立てた羊の肉を乳製品とともに調理して食べることも許されたと考えられる。ふたつの事例は、改宗者の子孫がナタンの反規範主義の精神を不完全な状態で引き継ぎながら、そこにユダヤ教徒もイスラームとも異なる慣習を織り交ぜていったことを教えている。

 

③『日々の歓びの書』の規範主義とガザのナタンの影響
 18世紀以降、スファラディー系のカバリストの間に広く流布した『日々の歓びの書』は、長い間ナタンが著者であると疑われてきたカバラーの規範集成である。実際には、ナタンの死後に著されたことが証明されたが、それでもそのなかには彼の規範指導に類似する要素やシャブタイ派信者が書いたと思われる箇所があることは間違いない。本研究では、特に肉と乳製品に関するカバラー的解釈、樹木の新年のメシア論的解釈、「レハー・ドディー」の歌詞の変更を事例として取り上げ、ナタンとの関連性の程度を細かく検証する。肉と乳製品の禁忌と許可を記述した箇所はほとんどナタンの規範指導と一致する。ただ、樹木の新年や「レハー・ドディー」については、かなりの相関性があるものの、完全に同一であるとは確定できない。ルーリア派のカバリストや他のシャブタイ派信者と比較しながら、こうした不一致の意味するところについても考察を加える。我々は『日々の歓びの書』がシャブタイ派信者であるかどうかを問題にすることはないが、彼がナタンに由来する戒律や慣習を意識的に採用したことは断定できる。それでも、ルーリア派のカバラーの精神に満たされたこの規範集成の著者は、ナタンが説いた律法更新や戒律破棄の教義を含めることはなかったため、彼の規範主義を部分的に継承したと考えるべきである。